2019年9月8日「人が計画を立て、主が決定される」箴言16:1〜33

序−事を謀るは人に在るも、事を成すは天に在り。蜀漢の軍師諸葛孔明が、魏の軍師司馬懿を火薬を敷き詰めた谷に誘い込みましたが、突然の豪雨で失敗しました。その時孔明は天を仰いでこの言葉を呟いたそうです。箴言にも同じような言葉がありますが、その教えるところは何でしょうか。聖書の根幹を教えています。

T−人は心に計画を持つが−1〜2
 私たちは、やりたいこととやらなければならいことの狭間でもがいています。なりたい自分と現実の自分との間で葛藤しています。ですから、人は心に計画を持ち、願いを祈ります。1節。何かに成功するためには、確かな計画を立て、その計画に基づいて努力しなければなりません。しかし、世に言う成功というのが、必ずしも私たちが追求しなければならい人生の目的とは限りません。成功に向かって走って行った結果、空しさと悲惨しかない場合もあります。努力してもならない葛藤もあります。
 なぜでしょう。2節。人は自分の行いがことごとく純粋だと思い、自分の行うことは正しいと見えますが、神様はその心の奥底を見ておられるということです。自分の道はまっすぐだと思っていますが、滅びの道へ向かっていたかもしれません。25節。それを閉ざされたという意味もあります。人は、自己中心に物事を考えています。いくら客観的に判断しても、その判断は主観的、自分本位にならざるを得ません。限られた知識と経験の中で生きている私たちが、物事を総合的に洞察することは難しいです。創造主なる神は、すべてをご存知です。ですから、主のみこころをお聞きして、御言葉に自分の人生を照らして見なければなりません。イザヤ55:8〜9。
 世の中には、私たちが納得しにくいことがたくさん起こります。世において悪いことが横行し、悪者が栄えるのを見るのは苦々しい限りです。良しとしない人が活躍し、認められるのを見て、なんであの人がと妬みや怒りが生じます。詩篇72:2〜3。つかの間に過ぎない期間で見ている私達はいらいらしますが、主は、苦々しく思う私たちにこう言われます。4〜5節。闇が光に打ち勝つことができないように、悪は善を打つことができません。現実が暗くても、悪人が勢力を伸ばしていても、落胆する必要はありません。神の畑に毒麦が混ざっているだけです。歴史を司る方は神様です。
 人は多くのことを計画しますが、計画通りになるわけではないことをわきまえる必要があります。自分の進路や結婚、子供の出産と養育、人が生まれて死ぬこと、計画通りするのは難しいでしょう。しかし、実際に行われることを見れば、人の思いどおりになるのではなくて、最終的には神の御心が行われるのだなと思えて来ます。1節。ですから、私たちは、高慢になって計画してはなりません。ヤコブ4:14〜15。では、計画通りならないし、主の御心が行なわれるなら、計画しても無駄なのでしょうか。努力は空しいことなのでしょうか。決して、そんなことはありません。努力は無駄にされません。ただし、私たちのすべきことは、どんな場合でも、主なる神に信頼することです。

U−しようとすることを主にゆだねよ−3
 計画がゆるがない、1つの秘訣があります。3節。これは、私たちが主を信じるだけで、すべての計画が自然にうまく行くという意味ではありません。「自分のしようとすることを主に委ねる」ことは、主を信頼して自分の計画を任せることです。その生き方の特徴は何でしょうか。主を恐れて、真実に生きることです。6節。人は誰でも失敗をします。しかし、問題は、失敗者は神を見ていないということです。失敗の最も大きな原因は、神に任せないということです。
 「しようとすること」とは、自分のするすべての労苦や努力のことです。3節のことは、「あなたの仕事と人生、あなたのすべての努力と苦労を主に委ねなさい」ということです。主に委ねると言っても、なるようにしかならないというような無責任や諦めの思いではありません。神の民は、神の管理者として、神から働きや賜物を委ねられています。神様が私に任せてくださったのだから、自分の使命と賜物を感謝して生きるのです。
 自分の仕事は大したことはないと思い、他人の仕事ばかり評価されると考えている人がいます。また、自分がしていることを詰まらなく思い、雲をつかむような夢を見ている人もいます。当然、仕事に身が入らず、成果もなく、評価されません。仕事や奉仕を主から委ねられていると思う聖徒は、何をするにも主に対してするように心からするようになります。コロサイ3:23。家庭や職場で、学校や社会で、教会で、私たちがすべき本来の仕事があります。そのことを神の栄光のために熱心にするのです。
 自分のしようとすることを主に委ねる者は、神の方法ですべてのことを行うようになります。たとえ信仰を持ってしたことで得たものがわずかだったとしても、それは、不正によって得た多くの収穫よりまさるものです。8節。人々は、手段や方法を問わずにお金や地位、評価を得ようとします。そこで、葛藤や妬みを感じるようになります。しかし、聖書は、不正な方法や手段で富や名声を得ることよりも、神の方法で少ない収入や評価で甘んじることの方がよいと保証しています。
 世の人々が計画を立て努力するのは、自分を喜ばせ、肉の欲を満足させるためです。しかし、自分のする事や計画を主に委ねる者は、神様を喜ばせることに焦点を当てて生きる人たちです。7節。主を喜ばせ、神を中心に行動して働いて行けば、主が仕事を導き、働きを祝福してくださるということです。そして、敵も和解させてくださると言われています。不可能に見えたことも、神が回復させてくださるということです。
 主に委ねるということは、結果も主に委ねるということです。私たちが、どんなに最善を尽くしても、必ずしも自分が期待していたような結果が出ない場合もしばしばあります。だからと言って、私たちは、すぐに落ち込んだり、失望したりしてはなりません。結果も神様に委ねているはずです。私たちは、神がなさることすべてを理解することはできませんが、信頼することはできます。信頼して、委ねていけば、神様が導いて、事を行わせて下さるのです。詩篇37:5〜6。
 お祈りすることは、神様に委ねることです。神の御心が行なわれるように祈ります。お祈りしたら、完全に委ねます。そして、最後まで望みを抱いて忍耐します。ローマ12:12。ですから、神様が祈りにどう答えてくださるか聞かなければなりません。エレミヤ33:3。

V−すべての決定は、主から来る−9,33
 人は、自分の道を思い巡らし、計画を立てます。しかし、人の歩みを確かなものにするのは主です。9節。人が計画を立てますが、すべては主が決定されます。33節。「くじ」は、神が決められるということであり、「ひざ」は、原文の意味では懐や胸です。つまり、私たちは自分心で計画しますが、主が決定されるということです。これが、聖書の教えの根幹であり、私たちの信仰の土台です。ただし、「人が計画を立て、主が決定される」とは、比較的世で成功した人生を生きる人は、神がそうされたと感謝できても、困難の中で呻吟する人は、神が許さないのかと釈然としないでしょう。強調されていることは、私たちの人生のすべてにおいて、最後の決定権は神にあるということです。人がどんなに頑張って計画を立てたとしても、決済の判は、神様が押されるというのです。
 このことを、どんなに頑張っても自分の思うとおりにならないのかとがっかりするか、最後には神様が責任を取ってくださるのだと信頼するか、受け取り方で全く違って来ます。心に自分の道をどんなに思い巡らしたとしても、その歩みを確かなものにするのは主であるとわきまえて、最後の判断は主を信頼して、主に委ねるのです。
 なぜ王は、主に導いていただく必要がありますか。10〜15節。王一人の問題だけではなく、治められる無数の人々に影響を与えるからです。指導者の一歩一歩が、続く多くの人々の歩みを決めるからです。親や上司や目上の者として、私たちが自分の人生の計画を立てても、主が決定される生き方をして行くなら、それが、他の人の生き方に影響を与えて行くことになります。そのことを意識しましょう。
 最後の決定権は、自分にあるとは思わないでください。神にあることを必ず知っておいてください。人がどのような計画を立てようとも、それをなされるのは主なのです。箴言19:21。賢い知恵ある者は、すべてのことが神の主権に属することを知って、謙虚に神を信頼して、御言葉通り生きようとします。問題に悩み、患難に憂えるなら、神が私のことを心配してくださるのですから、思い煩いをいっさい神に委ねることができます。Tペテロ5:7。
 「人が計画を立て、主が決定される」とは、非常に重要な原理です。なぜなら、私たちにとって、神の守りや助けがあってこそ、すべてのことが可能だからです。詩篇127:1。どんなに富を稼ぎ、健康であっても、土台が崩れれば、その人生は崩れてしまいます。信仰の土台は、イエス・キリストです。イエス様の十字架の救いがあってこそ、たましいが生きる人生となります。神の主権を受け入れる人は、どのような場合でも、希望を失いません。ローマ8:31〜82。神は、私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方です。



箴言16:1 人は心に計画を持つ。【主】はその舌に答えを下さる。
16:2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし【主】は人のたましいの値うちをはかられる。
16:3 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
16:4 【主】はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。
16:5 【主】はすべて心おごる者を忌みきらわれる。確かに、この者は罰を免れない。
16:6 恵みとまことによって、咎は贖われる。【主】を恐れることによって、人は悪を離れる。
16:7 【主】は、人の行いを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。
16:8 正義によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。
16:10 王のくちびるには神の宣告がある。さばくとき、その口に不実があってはならない。
16:11 正しいてんびんとはかりとは、【主】のもの。袋の中の重り石もみな、主が造られたもの。
16:12 悪を行うことは王たちの忌みきらうこと。王座は義によって堅く立つからだ。
16:13 正しいことばは王たちの喜び。まっすぐに語る者は愛される。
16:14 王の憤りは死の使者である。しかし知恵のある人はそれをなだめる。
16:15 王の顔の光にはいのちがある。彼のいつくしみは後の雨をもたらす雲のようだ。
16:16 知恵を得ることは、黄金を得るよりはるかにまさる。悟りを得ることは銀を得るよりも望ましい。
16:17 直ぐな者の大路は悪から離れている。自分のいのちを守る者は自分の道を監視する。
16:18 高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。
16:19 へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともにいて、分捕り物を分けるのにまさる。
16:20 みことばに心を留める者は幸いを見つける。【主】に拠り頼む者は幸いである。
16:21 心に知恵のある者は悟りのある者ととなえられ、その快いことばは理解を増し加える。
16:22 思慮を持つ者にはいのちが泉となり、愚か者には愚かさが懲らしめとなる。
16:23 知恵のある者の心はその口をさとし、そのことばに理解を増し加える。
16:24 親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。
16:25 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
16:26 働く者は食欲のために働く。その口が彼を駆り立てるからだ。
16:27 よこしまな者は悪をたくらむ。その言うことは焼き尽くす火のようだ。
16:28 ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。
16:29 暴虐の者は自分の隣人を惑わし、良くない道へ導く。
16:30 目くばせする者はねじれごとをたくらみ、くちびるをすぼめている者は悪を成し遂げた者だ。
16:31 しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。
16:32 怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。
16:33 くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、【主】から来る。


イザヤ55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──【主】の御告げ──
55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

ヤコブ4:13 聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。
4:14 あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。
4:15 むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」

詩篇37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

Tペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

詩篇127:1 【主】が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。【主】が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。

ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

エレミヤ33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。


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