2019年10月6日「焦らず主を待ち望む」箴言20:1〜30

序−忙しく、急速に動いている現代社会にあって、多くの人が焦燥感を覚えています。人は、思うように事が運ばないと、苛々して焦ります。焦燥感によって、心理的身体的QOL(クオリティ・オブ・ライフ)つまり、生活の満足度の指数が下がります。焦り、苛立つ時は、体調が悪くなり、トラブルが多くなり、幸福感が下がります。焦りや苛立つことがないでしょうか。聖書は、このことについて、どう教えているのでしょうか。

T−焦りは、性急で軽率な言動へ−
 まず、21節と25節に注目しましょう。共通点は、「性急に」ということです。21節の相続は、「急に得た」ということが強調されています。急に得た相続は祝福されない、むりやり性急に得た富が、その人を堕落させるということです。人生を破壊してしまうというのです。放蕩息子の例え話を思い出させます。ルカ15:15〜32。正当でない方法で富を得ようとする姿を警告しています。25節の「軽々しく」とは、性急にという意味です。急に思い立ってささげ物をすると誓ったけれども、後で撤回するような軽々しい言動です。神の前に、軽々しく、心焦って間違った言葉を言ってしまったのです。伝道者5:2。
 箴言29:20では、「軽率に話をする人よりも愚かな者のほうが、まだ望みがある」と言っています。軽率つまり、性急に比べれば、まだ愚かの方が待つことができるから望みがあるというのです。自制できない人、待つことができない人は、性急で軽率です。箴言21:5では、「あわてる者は欠損を招く」と言っています。急いでいるとわきまえもなくなり、焦って失敗したり、我慢できずに怒りを爆発させたり、軽率に人を裁いたりしてしまいます。私たちは、どんなことで焦燥感を抱いているのでしょうか。
 焦燥感に陥ると、酒に走ります。1節。しかし、人は酒を飲めば、軽率な言動になります。人をあざけり、心にある不満や文句を吐き出すようになります。当然怒り、憤慨をあらわにします。2節。争うようになります。3節。なぜ、自分の親切を吹聴するのでしょう。6節。人が自分の親切や善行を認めて、褒めてくれるのを待てずに、焦って自分で吹聴するという姿です。噂を聞いて真偽も確かめず憤慨し、性急に人を中傷するのも、愚かな姿です。19節。焦った時、どんな言動になりましたか。
 忍耐して勤勉にしていることができないと、人はどうなりますか。諦めて、失望して怠惰になります。4,13節。また、焦って性急に富を得ようとして、ずるいことをするようになります。14節では、買う時は文句を言って買い叩き、手に入れたら、儲けたと自慢する姿です。さらには、不正を犯すことになります。10,23節。商品を量る重りや枡をごまかして、不正な利益を得ようとするのです。景気低迷の今日、量のごまかし、不正検査、不当賃金、経理操作等々が横行しています。
 楽して得ようと、人から金品を騙し取ろうとします。16〜17節。近年、ますます詐欺が増加し、その手口も多様化しています。株やギャンブルに手を染める人も増えています。「だまし取ったパンはうまいが、じゃりがいっぱい」というのは、石臼のために石の粉がパンの中に入ることです。不正な手段は、失敗して、自分に返って来るという警告です。簡単に急に富を得たい、その欲が不正や失敗の始まりとなります。ヤコブ1:14〜15。
 自分の考え、行動を点検しなければなりません。11節。幼子でさえ、何かする時、その行いが純粋なのかどうか、正しいのかどうかを明らかにするというのです。人は心に自分の道を思い巡らします。しかし、はたしてそれでいいのかと主に聞かなければなりません。箴言16:9。どんなに知恵があり、判断力があると言っても、「人間はどうして自分の道を理解できようか」なのです。24節。焦って、性急になってはなりません。急いでは事をし損じるのです。

U−焦り、性急は、心を不健康にする−
 いつも、焦っていないでしょうか。性急にことを決めていないですか。何かに追われていることはありませんか。現代社会の流れは、とても速く、現代人には、焦りや性急が多いようです。誰でも、焦りを感じることがあるでしょう。焦りというのは、心に迷いや不安を感じた時に表れる衝動です。普段人は、何かを始める時、頭の中で簡単なシミュレーションをして、先の状況を予測してから行動に移ります。しかし、強い思いによって、考えることなく、性急に軽率に行動するようになります。そして、問題に直面したり、想定外の状況になったりすると、不安と焦りでパニックを起こしてしまいます。
 いつも周りの評価が気になって、心配で仕方がないという人は、常に焦りを感じます。どう思われているか、何かまずいことをしたのではないかと心配で焦るのです。人に流され易いと、自分を主張できず、やりたいことができず、焦りを感じるようになります。自信がなくて、心配性で否定的な思考をし易いと、不安で焦りを感じて来ます。
 反対に、楽観的に何とかなると構えている人も、急に状況が変われば、焦ることになります。焦らないと動かず、焦って性急に事を行うことになります。失敗や問題も多くなります。物事に完璧でこだわりの強い人も、目指す理想が高すぎて、思い通りにならないことで焦りを覚えることもあります。もともとせっかちな人は、いつも時間に追われて焦っています。せっかちでなくても、物事が目まぐるしく変わり、忙しい現代社会では、人々は、スケジュールに追われて、焦っています。
 この焦りや不安が継続して増大すると、心の病気になるそうです。いつも何々しなければならないと思っていると、神経はずっと張り詰めています。筋肉は緊張し、心臓の鼓動も早くなり、脳が「これ以上はもう無理」という指令を出すようになります。そうなると、体に力が入らなくなって、働く気力がなくなってしまうのです。脳というのは、自分の意思とは関係なく、自動的に自分の身体を守ろうとするからです。
 体を休めたら、また回復して動けそうな気がしますが、そうは行かないと言うのです。脳に「もう焦っていないから大丈夫だ」と分からせなければならないからです。「焦っていない」と分からせるには、実際の行動で示す必要があります。ゆっくり動くことが大切です。適度な散歩や運動がいいと言われます。歩きながら道端の草花に目をとめたり、遠くの景色を眺めたりして、深呼吸したりしてゆっくり歩くのです。やがて心の焦りが本当にとれていき、脳もそのことを分かるようになると言われています。
 現代社会は、迅速、急ぎ、忙しさに毒されており、焦り、苛立ちで満ちています。過度の焦りは、心を枯らし、心を病に陥らせます。今私たちに必要なのは、何でしょう。神様が私たちを癒し、整えるために何を与えてくださったのでしょう。

V−主に信頼し、主を待つ−
 聖書の中で多く繰り返されているアドバイスは、「主を待ちなさい」ということです。詩篇42:5,62:1,130:5。私たちの心から焦りや性急さを取り除いてくれるものは、主に信頼し、主を待つことです。22節。「悪に報いてやろう」と言って、復讐したりすれば、大変なことです。身を滅ばすことになりかねません。悪意を持つ者に腹を立ててはなりません。「主を待ち望む」ことです。主が自分を守ってくださり、悪者の取り扱いを主に委ねることができます。詩篇37:34。私たちは、恐れたり、不安になったりすると、焦って、性急に考え、行動するようになりますが、でも、信仰によって主の前に静まって、忍耐して主の働きと導きを待つことができます。詩篇37:7。これが、どんなに大切なことでしょうか。
 自分が完全な存在ではないと知っていれば、主を待つことをします。9節。私たちは、イエス様を救い主と信じたから、罪赦され、イエス様の十字架の血によって聖められました。ヘブル9:22,26。耳と目を造られた主を待ち望みます。12節。忙しさと評価を要求する社会の中にあって、耳で主の御声を聞き、目で主の働きを見なければなりません。唇、言葉で主を待ちます。御言葉の知識が宝となります。15節。主に祈って、相談します。18節。主を待つことができる人は、子孫の祝福も確信します。7節。
 人の歩みは、主によって定められます。24節。聖書の創造主を信じる信仰を持つ人と信仰を持たない人の違いは何でしょう。創造主なる神の視点で世を見るのか、被造物の視点で物事を把握するのかの違いです。本当の神信仰は、自分が神の主権の下にあることをよく認識していることです。その信仰のゆえに、主を待つことができるのです。状況がどうであっても、神に信頼を置くことを続け、希望をもって歩みます。しかし、主を待つことができない者は、焦り、性急になるしかありません。
 信仰とは、その中に途絶えることなく主を信頼し、継続して主を待つことが含まれます。それなのに、小さな問題で焦っているとしたなら、私たちの信仰はどこに行ったのでしょうか。問題を主に申し上げながら、性急に焦っているとしたら、私たちは神を信じている人なのでしょうか。クリスチャンは、主を待って生きる人です。旧約時代の民は、やがて来られる救い主、キリストを待つように言われました。新約時代を生きる聖徒は、再臨の主を待ちながら生きています。主を待つことができる神の人になることを決心しましょう。主を信頼し、神の時と方法に任せて、主を待ち望みます。箴言21:5。



箴言20:1 ぶどう酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない。
20:2 王の恐ろしさは若い獅子がうなるようだ。彼を怒らせる者は自分のいのちを失う。
20:3 争いを避けることは人の誉れ、愚か者はみな争いを引き起こす。
20:4 なまけ者は冬には耕さない。それゆえ、刈り入れ時に求めても、何もない。
20:5 人の心にあるはかりごとは深い水、英知のある人はこれを汲み出す。
20:6 多くの人は自分の親切を吹聴する。しかし、だれが忠実な人を見つけえよう。
20:7 正しい人が潔白な生活をするときに、彼の子孫はなんと幸いなことだろう。
20:8 さばきの座に着く王は、自分の目ですべての悪をふるい分ける。
20:9 だれが、「私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた」と言うことができよう。
20:10 異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも【主】に忌みきらわれる。
20:11 幼子でさえ、何かするとき、その行いが純粋なのかどうか、正しいのかどうかを明らかにする。
20:12 聞く耳と、見る目とは、二つとも【主】が造られたもの。
20:13 眠りを愛してはいけない。さもないと貧しくなる。目を開け。そうすればパンに飽き足りる。
20:14 買う者は「悪い、悪い」と言うが、買ってしまえば、それを自慢する。
20:15 金があり、多くの真珠があっても、知識のくちびるが宝の器。
20:16 他国人の保証人となるときは、その者の着物を取れ。見知らぬ女のためにも、着物を抵当に取れ。
20:17 だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。
20:18 相談して計画を整え、すぐれた指揮のもとに戦いを交えよ。
20:19 歩き回って人を中傷する者は秘密を漏らす。くちびるを開く者とは交わるな。
20:20 自分の父や母をのろう者、そのともしびは、やみが近づくと消える。
20:21 初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない。
20:22 「悪に報いてやろう」と言ってはならない。【主】を待ち望め。主があなたを救われる。
20:23 異なる二種類のおもりは【主】に忌みきらわれる。欺きのはかりはよくない。
20:24 人の歩みは【主】によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。
20:25 軽々しく、聖なるささげ物をすると言い、誓願を立てて後に、それを考え直す者は、わなにかかっている人だ。
20:26 知恵のある王は悪者どもをふるいにかけ、彼らの上で車輪を引き回す。
20:27 人間の息は【主】のともしび、腹の底まで探り出す。
20:28 恵みとまこととは王を守る。彼は恵みによって王位をささえる。
20:29 若い男の光栄は彼らの力。年寄りの飾りはそのしらが。
20:30 打って傷つけるのは悪を洗い落とすため。腹の底まで打ちたたけ。



伝道者5:2 神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。

箴言29:20 軽率に話をする人を見ただろう。彼よりも愚かな者のほうが、まだ望みがある。

箴言21:5 勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべてあわてる者は欠損を招くだけだ。

箴言3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる

箴言16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。

詩篇7:34 【主】を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。

詩篇37:7 【主】の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。

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