2019年10月13日「悟りの道、悪人の道」箴言21:1〜31

序−人は、人生に成功することを望みますが、地位や評価を得、業績や財を残す人はほんの一握りで、多くの人々は平凡な人生を送ることになります。しかし、神様がご覧になられ、求められる人生は、世の成功とは違うものです。今朝の箇所は、神様がどのような人生を評価されるのか見せてくれています。

T−自分の道、主が見ておられる道−1〜2, 箴言16:2, 24:12
 人は、自分が歩んでいる人生をどう思っているのでしょうか。2節前半。人は、自分は正直者だ、自分の行いは純粋だ、自分の歩む道はみな正しいと思っています。箴言16:2。私たちは、どう思っているでしょうか。たいていの人は、他人と比べても、別段悪くはない、普通だと思っています。果たして、そうでしょうか。
 聖書の中から例をあげてみましょう。エジプトの宰相となったヨセフの前に、ヨセフを奴隷として売ったひどい兄たちが来た時、「私たちは正直者です。間者ではありません」と答えました。創世記42:11。また、主の命令に従わなかったサウル王は、預言者サムエルの問いに対して「私は、主の言葉を守りました」と答えました。Tサムエル15:13。そう答えたサウル王に対してサムエルは、「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」と言いました。Tサムエル15:22。
 神様は、人をどう見ておられるのでしょうか。2節後半。「しかし、主は人の心の値うちをはかられる」というのです。つまり、人は自分の行いが純粋だと言うのですが、神様は、人の心を見通しておられるというのです。罪に堕ちたアダムは、姿を隠し、神様に対して自分の行為を隠して、ごまかしました。しかし、アダムの心を見ておられました。もし私たちが、「私はそのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価するお方は、それを見抜いておられ、私たちのたましいを見守るお方は、それを知って、応じられます。箴言24:12。
 主は、あまねく全地を見渡して、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるというのです。U歴代16:9。あまねく全地を見渡しておられる神の目を信じて、覚える者は幸いです。ダビデ王が息子ソロモンへ残した遺言も引用しましょう。T歴代28:9。「 わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである」と言い残しました。
 人は、人に見られることに気を遣い、外見や見た目を整えることに心を遣うものです。だから、人に良い行いを見せようとします。マタイ6:1,5。人はうわべを見るが、主は心を見るお方です。そして、主は、私たちの心を探り、思いを調べて、それぞれその生き方により、行いの結ぶ実によって報いるお方です。エレミヤ17:10。
 私たちをご覧になられる神の目をいつも意識して生きるなら、私たちの生活はどのくらい変わるのでしょうか。神の言葉の中に、より深く入ってみませんか。神のより深い恵みの中に入ってみませんか。神の大きな祝福の中にいる自分を見ることでしょう。

U−悟りの道、悪人の道−3〜29
 ですから、心を見ておられる神に対してどう応えるか、人生はそこにかかっています。正しいことを行う反応をします。正しいことを行うことは、いけにえにまさって、主に喜ばれます。2節。外面的なことだけでは、神を喜ばせることができません。御言葉に従う人生が必要です。Tサムエル15:22。正しいことを行うことは、正しい者にとっても喜びです。15節。正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れとを得ます。21節。しかし、高ぶる目とおごる心は罪です。4節。主は、高ぶった横柄な者を嫌われます。24節。高慢は、神の裁きを受けるようになります。ヤコブ4:6。
 怠惰ではなく勤勉になることで応答します。勤勉な人には、利益をもたらします。5節。勤勉に慎ましく暮らす知恵のある者の住まいには、必要な物が満たされます。20節。しかし、怠惰は、欲望を引き起こします。偽りの舌をもって財宝を得る者は、死を求める者です。6節。愚かな者は性急に富を集めようと考え、欲だけで計画を立てるため、失敗します。なまけ者は、一日中自分の欲望に明け暮れて、その身を滅ぼします。25節。快楽や贅沢を愛する者は、富むことはありません。17節。
 寄る辺のない者を慈しまれる主に応えます。主がその善行に報いてくださいます。箴言19:17。正しい人は人に与えて惜しみません。26節。しかし、悪者は、隣人をあわれもうとはしません。10節。寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶときに応えられません。13節。イエス様は、例え話の中で、「最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです」と言われました。マタイ25:40,45。
 平和で争わないことで主に応えます。箴言17:1。ところが、争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがましだというのです。19節。争いや攻撃から屋根の片隅に逃れるというのです。9節。偽りを言う者は滅びるが、よく聞く者は注意して語ります。28節。
 正しく歩むことを持って主に応えます。悪者は自分の暴虐に引きずられ、罪人の道はねじれていますが、正しいことを行うきよい人の道はまっすぐです。7〜8節。自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会いません。23節。18節には、「悪者が正しい人のための身代金となり、裏切り者が直ぐな人の身代わりとなる」とさえ言っています。悪者が正しい者の代わりにされるという主の取り扱いを信じます。
 自分の進む道をわきまえて主に応えます。29節。しかし、悪者はあつかましく、他人を欺き、わきまえがありません。主が見ておられる、主の主権に従うという悟りの道を迷い出てはなりません。16節。迷い出れば、滅びに向かいます。滅びに至る道は広いですが、いのちに至る道は狭いとイエス様が教えてくださいました。マタイ7:13〜14。自分の心の中を見ておられる主に対して、どのように反応するかで、人生に違いが出て来ます。大きな違いが出ます。どのように反応しますか。

V−救いの道、勝利の道−1,30〜31
 私たちを見ておられ、私たちの心を見通しておられる主は、どういうお方ですか。30節。「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも役に立たない」というのは、私たちの知恵や英知では、主を知ることはできないということです。神は主権者であり、民族と国を制御される王の王だからです。1節。確かにそうです。創造主の御心と御業を被造物である人間がどのように理解できるでしょうか。全能なる神をちっぽけな存在である人間が、どのように察し、知ることができるでしょうか。「神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」ローマ11:33。
 それでも、私たちは御言葉で知らされている中で神様を知り、その御心に従うのです。主は、私をご存知です。よく見ておられます。愛してくださり、イエス様を救い主と信じた者を神の子どもとしてくださいました。ヨハネ1:12。子どもに必要なことを教えてくださらないはずはありません。有名な大衆伝道者D・Lムーディーは、「私は多くの人々が、神の豊かな食卓で、取るに足りないお菓子程度を求めることを見てきた。これらのことは、神の子どもには絶対に似合わないことです」と言いました。私たちは、神に会うことで、神を知ることができます。聖霊の助けを得て、御言葉によって神をより深く知ることができます。エペソ1:17〜19。
 私たちは、どのように成功できますか。私たちの知恵や洞察力、私たちの希望や計画などが、主の御心と一致していなければ、私たちが成功することができません。私たちが知っている通り、神の明確な救いのご計画は、イエス様が全人類の救いのために十字架につけられ死なれることでした。神は、イエス様を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。使徒2:23〜24。ここに私たちの救いがあり、勝利があります。31節。
 古代の戦いでは馬が勝利を握っていましたが、救いの勝利は主にあるということです。ローマ11:33〜34。ダビデ王は、「ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう」と言っています。詩篇20:7。主の御心は、重要で必要なことは知らされています。私たちがすべきことは、主よ、主よと言うより、主の御心を行うことです。マタイ7:21。誰にでも、神が立てて下さった計画があり、期待される人生の姿があります。残念ながら、ほとんどの人が自分に対する神の御心を知らないか、無視しているのです。神の御心を切実に知りたいと願えば、神の御心を知ることができます。知ったならば、神の御心に従うのです。
 私たちの主は、十字架上で、「完了した」と勝利の宣言をなさいました。ヨハネ19:30。十字架刑の痛みと苦しみと恐ろしい迫害の中で勝利し、恐怖と絶望と死の闇と戦って勝利されました。そして、「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」と言われました。ヨハネ16:33。



箴言21:1 王の心は【主】の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。
21:2 人は自分の道はみな正しいと思う。しかし【主】は人の心の値うちをはかられる。
21:3 正義と公義を行うことは、いけにえにまさって【主】に喜ばれる。
21:4 高ぶる目とおごる心──悪者のともしびは罪である。
21:5 勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべてあわてる者は欠損を招くだけだ。
21:6 偽りの舌をもって財宝を得る者は、吹き払われる息のようで、死を求める者だ。
21:7 悪者は自分の暴虐に引きずられる。公義を行おうとしないからだ。
21:8 罪人の道はねじれている。しかし、きよい人の行いはまっすぐだ。
21:9 争い好きな女と社交場にいるよりは、屋根の片隅に住むほうがよい。
21:10 悪者のたましいは悪事にあこがれ、隣人をあわれもうとはしない。
21:11 あざける者が罰を受けるとき、わきまえのない者が知恵を得る。知恵のある者が学ぶとき、その人は知識を得る。
21:12 正しい人は悪者の家を見抜く。悪者どもは自分の悪事のために滅ぼされる。
21:13 寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶときに答えられない。
21:14 ひそかな贈り物は怒りをなだめ、ふところのわいろは激しい憤りをなだめる。
21:15 公義が行われることは、正しい者には喜びであり、不法を行う者には滅びである。
21:16 悟りの道から迷い出る者は、死者の霊たちの集会の中で休む。
21:17 快楽を愛する者は貧しい人となり、ぶどう酒や油を愛する者は富むことがない。
21:18 悪者が正しい人のための身代金となり、裏切り者が直ぐな人の身代わりとなる。
21:19 争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。
21:20 知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし愚かな者はこれをのみ尽くす。
21:21 正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れとを得る。
21:22 知恵のある者は勇士たちの町に攻め上って、その頼みとするとりでを倒す。
21:23 自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。
21:24 高ぶった横柄な者──その名は「あざける者」、彼はいばって、横柄なふるまいをする。
21:25 なまけ者の欲望はその身を殺す。その手が働くことを拒むからだ。
21:26 この者は一日中、自分の欲望に明け暮れている。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。
21:27 悪者のいけにえは忌みきらわれる。悪意をもってささげるときは、なおさらのこと。
21:28 まやかしの証人は滅びる。しかし、よく聞く者はいつまでも語る。
21:29 悪者はあつかましく、正しい者は自分の道をわきまえる。
21:30 【主】の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。
21:31 馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いは【主】による。



創世記42:11 私たちはみな、同じひとりの人の子で、私たちは正直者でございます。しもべどもは間者ではございません。

Tサムエル15:13 サムエルがサウルのところに行くと、サウルは彼に言った。「【主】の祝福がありますように。私は【主】のことばを守りました。」
15:22 するとサムエルは言った。「主は【主】の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

箴言16:2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし【主】は人のたましいの値うちをはかられる。

箴言24:12 もしあなたが、「私たちはそのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それを知らないだろうか。この方はおのおの、人の行いに応じて報いないだろうか。

U歴代16:9 【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」

T歴代28:9 わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。【主】はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。

Tサムエル16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」

エレミヤ17:10 わたし、【主】が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。

箴言19:17 寄るべのない者に施しをするのは、【主】に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。

箴言17:1 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。

マタイ25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

マタイ7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

ローマ11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。

使徒2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。

詩篇20:7 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、【主】の御名を誇ろう。

ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

戻る