2019年11月17日「倒れても起き上がる」箴言24:1〜34

序−「オキアガリコボシ・プロジェクト・フロム・ヨーロッパ」、東北震災の時、欧州のアーティストが、福島県会津地方の伝統玩具「起き上がりこぼし」に絵を描いて売って、復興支援したという話がありました。倒れても起き上がる、起き上がりこぼしを復興になぞらえたのです。聖書も、信仰の人は、「七たび倒れても、また起き上がる」と教えています。

T−悪者に倒されても−
 16節を見てください。「正しい人が倒れる」と言っています。1節の「悪い者たちをねたんではならない」から始まり、「悪者に腹を立てるな。悪者に対してねたみを起こすな」と言っています。19節。世で生きる聖徒たちは、信仰によって歩んでいるのに、悪者によって倒されることがあります。悪者が繁栄し、横行している世で生きるからです。人々の中で生活していると、心痛めつけられ、悩まされることが多いです。利害関係が交錯することもあり、見解の相違で対立する時もあります。無視され、侮辱されることもあります。
 悪い人から攻撃されたり、騙されたり、危害を受けたりしたことがある人は、その悪い酷い人を憎み、どうにかしてやりたいと思い、倒れることを願うでしょう。そして、自分を苦しめた者がその報いを受けたなら、溜飲が下がるでしょう。しかし、聖書は、「敵が倒れる時喜んではならない、彼がつまずく時心から楽しんではならない」と戒めています。17節。恨みの感情は、受けたことが酷いほどそれだけ大きいです。人を恨んでみても仕方がないと自分に言い聞かせても、憎しみは少しもなくなりません。他のことで紛らわせても、恨みは中々消えません。
 人の心理には、返報性の原理というものがあります。人から何かしらの施しを受けたとき、「お返しをしなくては申し訳ない」というような気持ちになる好意の返報性もありますが、反対もあります。理不尽なことをされて傷ついた場合、「思い知らせてやりたい!」と恨みの感情を抱くのも、この返報性の原理のためです。恨み憎しみの感情を抱いたままだと、自分の心や身体に影響が及びます。人に対して八つ当たりをしたり、不適切な行動になることがあります。恨みの感情が癒されるには、憎しみの対象を相対化して小さく捉え直したり、報復そのものを昇華させて高い次元に引き上げることだと言われます。悩みの現実そのものは変わらなくても、見方を変え、悩みを分かち合うことで相対化し、気持ちが軽くなります。反対に、孤独は悩みを絶対化しがちです。昇華できるようになるためには、心底自分を大切にする、自尊感情を高める習慣がベースになる必要があります。
 返報性の原理が、敵が倒れるのを喜んだり、憎しみの溜飲が下がることを願います。しかし、そうすること自体、私たちの魂を疲弊させます。私たちが自分に仇なす者の不幸を願う時、神は心を痛めておられます。18節。古代南ユダ王国がバビロンの侵攻を受けた時、隣国エドムがユダの苦しみを見て喜んだことが責められています。オバデヤ1:12。神の怒りは、むしろ失われた神のかたちを回復させるための怒りでした。
 悪者の繁栄を見てもねたまない、敵が倒れるのを喜んだりしないということを聖書が勧めているのは、聖徒たちを守るためです。他人の不幸を喜ぶ気持ちは、病気の心です。悪者から害を受けたり、侮辱されたりすれば、憎しみがわいて来ます。しかし、悪者の繁栄は続かないし、やがて終わります。19~20節。それは、神様の領分です。憎む感情は、私たちの心を蝕みます。ねたみ、憎しみという罪を犯し、空しさや憂いで自分を痛めます。身体的に影響を及ぼします。ですから、自分が倒れた時、人を恨んだりするのでなく、自分がどうするかを考えるのです。

U−倒れても起き上がる−
 「正しい者は七たび倒れても」と言っています。16節。聖書で7という数字は、完全数という意味があります。ですから、「七たび倒れて」というのは、7回は倒れるというのではなく、完全に倒れてしまう、酷い試練に会うことがあるということを強調しています。人生においては、大きな試練を受け、酷い災難に出会い、心痛み、絶えられないほどの大きな苦しみを覚えることもあります。
 正しい人が倒れるというのは、いくら信仰に生きる人だからと言っても倒れることがあるということです。正しく信仰に生きても、災難に出会い、試練があり、失敗するということです。それなのに、現代社会では、必ず成功しなければならないという成功偶像主義があります。人は、失敗に関して多大なストレスを受けて生きており、失敗への恐怖のために果敢な決定を下さず、優柔不断になることもあります。人生を振り返ってみれば、誰も彼もみな失敗をしながら生きています。
 皆さんの中で、一度も失敗しない人がいますか。一度も間違ったことがない人がいますか。言葉で失敗しない人がいますか。ヤコブ3:2。人は、事故や事件、病気や災難などで躓き、倒れます。教育の失敗、仕事の失敗、生活の失敗などもあります。信仰の父アブラハムも失敗し、信仰の勇者ダビデも間違いを犯し、使徒パウロも失敗や失策を繰り返しました。有能な人も間違いや失敗をたくさんしながら生きていくというのです。私たちも間違いを犯し、失敗するのです。
 アメリカで最も偉大な大統領と言われたアブラハム・リンカーンは、法律学校の入学も失敗し、2度も事業に失敗して借金で苦労をしました。政治家になった後も、選挙に8回も落選する経験をしました。「あなたはどのようにして尊敬され優れた人物となりましたか」と尋ねられたところ、「他の人よりも多くの失敗を経験したからです」と答えたという話は有名です。
 「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」という聖句を心に留めましょう。16節。人は、何度も失敗し、試練に会い、倒れます。でも、信仰に生きる聖徒が人と違うのは、「倒れても、また起き上がる」ということです。悪者は、倒れるとそれが終わりです。16節。しかし、信仰の人は、倒れても再び起き上がって、成功する力が与えられます。使徒パウロは、その人生において大きな逆境と試練と失敗が繰り返された人です。それでも、彼は失敗のために躊躇することはなかったし、障害が怖くて新しい試みをやめることもありませんでした。むしろ、その試練と失敗を繰り返しながら、信仰が増し加わり、成功と祝福を受けました。Uコリント4:8〜9。
 失敗は、かえって新しいことに挑戦するきっかけとなります。1つの失敗は、他のことを始めようとする動機を与えてくれます。失敗は、より良い未来のための新たな出発点を作ってくれるのです。使徒パウロの伝道旅行は、計画通り進むことができず、ことごとく御霊によって禁じられ、計画変更を余儀なくされました。しかし、それによってヨーロッパ伝道という主のご計画に導かれました。使徒16:6〜11。
 人生において、誰にでも成功があれば失敗もあります。成功だけの人もおらず、失敗ばかりする人もありません。ところが、人は失敗だけ考えて意氣消沈し、挫折してしまいます。前進を放棄します。挑戦しようとしません。たとえ失敗を経験しても、再び起き上がる人は、失敗する前に比べて、より豊かな幸せを経験することになります。たとえ挫折して倒れても、再び起き上がり、成功の希望を持って挑戦する人は、前には経験していない大きな喜びを享受することができます。

V−イエス様の御名によって起き上がる−
 では、どうして「七たび倒れても、また起き上がる」ことができるのでしょうか。「正しい者は」と言われています。正しい者とは、道徳的に正しい人というのではなくて、「義人」のことです。義人は、信仰によって生きると言います。ローマ1:17。神の御一人子イエス・キリストが、私たちの身代わりに罪のためのなだめの供え物とされました。そのイエス様の十字架による贖いを信じたゆえに、罪が赦され、主なる神との関係が回復し、神に愛され、守られ、祝福される者となります。ローマ3:24。
 ですから、たとえ失敗したとしても、苦痛の現場でも、神がその失敗のゆえに自分に特別な取り扱いをされているという信仰を持つことができます。神が救いに召して下さった者には、すべてのことを益としてくださるのです。ローマ8:28。イエス様を信じた者は、そうされることを確信できると言うのです。詩篇37:24には、何と約束されていますか。「倒れても、主が支えてくださる」と約束されています。神を信じてください。
 「苦しめられても窮することはない、途方にくれても行きづまることはない、迫害されても見捨てられることはない、倒されても滅びない」と約束されている理由は、「いつでもイエスの死をこの身に帯びている」からだと言っています。Uコリント4:8〜10。イエス様を救い主と信じておられますか。イエス様を信じて救われた者は、イエス様の十字架の死によって、「七たび倒れても、また起き上がる」ことができるのです。
 神に背を向けて、御言葉に逆らって倒されている者に対しても、慈愛の神様は、悔い改めて、起き上がることを願っておられます。エレミヤ8:4。主に反抗している者、霊的に死んでいる者に対しても、「起き上がりなさい」と呼びかけておられます。エペソ5:4,使徒26:16。癒してくださる時も、「起きなさい」と主は言われました。マタイ9:6,マルコ5:41。よみがえられたイエス様が私たちのうちで生きておられます。だから、倒れた私たちに言われます。「イエスの御名で起き上がりなさい」と。
 


箴言24:1 悪い者たちをねたんではならない。彼らとともにいることを望んではならない。
24:2 彼らの心は暴虐を図り、彼らのくちびるは害毒を語るからだ。
24:3 家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。
24:4 部屋は知識によってすべて尊い、好ましい宝物で満たされる。
24:5 知恵のある人は力強い。知識のある人は力を増す。
24:6 あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交え、多くの助言者によって勝利を得る。
24:7 愚か者には知恵はさんごのようだ。彼は門のところで、口を開くことができない。
24:8 悪事を働こうとたくらむ者は、陰謀家と言われている。
24:9 愚かなはかりごとは罪だ。あざける者は人に忌みきらわれる。
24:10 もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。
24:11 捕らえられて殺されようとする者を救い出し、虐殺されようとする貧困者を助け出せ。
24:12 もしあなたが、「私たちはそのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それを知らないだろうか。この方はおのおの、人の行いに応じて報いないだろうか。
24:13 わが子よ。蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。
24:14 知恵もあなたのたましいにとっては、そうだと知れ。それを見つけると、良い終わりがあり、あなたの望みは断たれることがない。
24:15 悪者よ。正しい人の住まいをねらうな。彼のいこいの場所を荒らすな。
24:16 正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。
24:17 あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない。
24:18 【主】がそれを見て、御心を痛め、彼への怒りをやめられるといけないから。
24:19 悪を行う者に対して腹を立てるな。悪者に対してねたみを起こすな。
24:20 悪い者には良い終わりがなく、悪者のともしびは消えるから。
24:21 わが子よ。【主】と王とを恐れよ。そむく者たちと交わってはならない。
24:22 たちまち彼らに災難が起こるからだ。このふたりから来る滅びをだれが知りえようか。
24:23 これらもまた、知恵ある者による。さばくときに、人をかたより見るのはよくない。
24:24 悪者に向かって、「あなたは正しい」と言う者を、人々はののしり、民はのろう。
24:25 しかし、悪者を責める者は喜ばれ、彼らにはしあわせな祝福が与えられる。
24:26 正しい答えをする者は、そのくちびるに口づけされる。
24:27 外であなたの仕事を確かなものとし、あなたの畑を整え、そのあとで、あなたは家を建てよ。
24:28 あなたは、理由もないのに、あなたの隣人をそこなう証言をしてはならない。あなたのくちびるで惑わしてはならない。
24:29 「彼が私にしたように、私も彼にしよう。私は彼の行いに応じて、仕返しをしよう」と言ってはならない。
24:30 私は、なまけ者の畑と、思慮に欠けている者のぶどう畑のそばを、通った。
24:31 すると、いばらが一面に生え、いらくさが地面をおおい、その石垣はこわれていた。
24:32 私はこれを見て、心に留め、これを見て、戒めを受けた。
24:33 しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。
24:34 だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。



オバデヤ1:12 あなたの兄弟の日、その災難の日を、あなたはただ、ながめているな。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜ぶな。その苦難の日に大口を開くな。
1:13 彼らのわざわいの日に、あなたは、わたしの民の門に、入るな。そのわざわいの日に、あなたは、その困難をながめているな。そのわざわいの日に、彼らの財宝に手を伸ばすな。

ヤコブ3:2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。

Uコリント4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

ローマ1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

ローマ3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

詩篇37:24 その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。【主】がその手をささえておられるからだ。

戻る