2019年12月15日「様子を知り、心を留める」箴言27:1〜27

序−今年も後半月です。この一年を箴言の教えから振り返ってみましょう。箴言は、当時の生活習慣や環境を通して、生きる知恵を教えています。当時の神の民は、ほとんどが羊飼いでした。ですから、羊飼いの姿を通して、私たちはどう生きるべきかの知恵を教えてくれます。

T−状況を調べ、表情に心を留めよう−23
 まず、羊飼いの心構え、態度について教えています。23節。他の訳では、「必ず群れの状態を把握し、群れに注意を払ってください」とか「群れの表情を知るように熱心になり、群れに心を込めてください」と訳されています。「群れの状態を把握し、心を留めるように」ということが強調されています。それは、羊が危険にさらされていないだろうか、草をよく食べているか、水は飲んでいるか、病気にかからなかったかと熱心に群れの様子を窺うことです。良い羊飼いは、羊の様子を熱心に把握し、それらをよく知っており、いつも羊のことを心に留めています。
 つまり、私たちの周りにいる人々の状況、様子を把握していなさいと言うのです。自分の暮らしのことで精一杯、他の人には関心がない世相ですが、聖書の教えは、「あなたの羊の様子をよく知り、群れに心を留めておけ」ということです。「あなたの羊、あなたの群」とは、何でしょう。自分に任せられたことや自分に委ねられた働きでしょう。「あなたの群れの世話にあなたの心を入れて」という訳もあります。自分が世話をし、仕える人々のことでしょう。家族や友人、職場や責任ある現場のことでしょう。
 先日アフガンでなくなられた中村哲医師は、人々の病気の背景には食料不足と栄養失調があると考えて、「100の診療所より、1本の用水路を」と、2003年から東部で用水路の建設をはじめました。そして、27kmの用水路によって1万6500haの大地が潤され、砂漠が緑地に変わり、農民65万人の暮らしが支えられるようになりました。その地の状況をよく調べて、人々の表情をよく知って行った支援でした。危険も承知しての活動でした。
 ですから、「あなたの羊、あなたの群」とは、負わせられた仕事や働きだけでなく、自分の心が向いている人、心を留めていることもそうです。振り返ってみて、自分に任された事の状況をよく把握していたでしょうか、委ねられている人の様子や表情に心を留めていたでしょうか。自分の様子に気遣ってくれて、大変な時の自分を知っていてくれて、辛い状況に心を留めてくれる、そんな人の存在がどんなにありがたいことでしょうか。そんな人の人生は、本当に充実がある人生です。
 箴言は、なぜこのような勧めをしているのでしょう。なぜ群れの様子をこまめに把握し、心を留めるように言っているのでしょうか。それは、神が私たちにそのことを任せたからです。羊と群れは、神が私たちに任せてくださった人々、委ねてくださった働きのことです。神は、とても貴重な羊を大切な群れを私たちにお任せくださいました。したがって、私たちは、羊の様子をよく知って、心を留めて世話をしなければなりません。
 イエス様こそ、今日の御言葉を最もよく守られ方だと言うことができます。ヨハネ10:14。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています」と強調されています。イエス様は、この世に来られ、私たちの様子をよく知り、私たちの状況を把握し、私たちに心を向けてくださり、私たちの救いのために、十字架にご自分の命を渡されたお方です。ヨハネ10:15。あなたの羊飼いであるイエス様は、あなたを見ておられ、あなたの様子をよく知り、あなたの状態を心に留めておられます。

U−忠実な管理者となろう−24〜25
 羊を世話する良い羊飼いの働きは、何でしょう。羊を草のあるところへ連れて行きます。25節。草は普通にありふれており、人々は草をなかなか大切に思いません。しかし、群れを養い羊を飼う者は、草を探して群れを移動させて、新鮮な草が食べられるようにします。それによって、草のなくなった土地にも、新しい草が生え、過放牧の荒廃から守られます。しばらくして戻って来る時には、新しい草を食べることができます。
 草を見つけながら羊を導き、新鮮な草を与えるのが良い羊飼いであり、賢い羊飼いです。もし怠惰な羊飼いであるなら、新鮮な草を食べさせることなく、土地も荒廃させてしまいます。幸いなことは、草は食べてなくなっても、再び芽が出て、丘の上に延々と草が育つことになります。忠実に働くならば、神が草を豊かにくださるのです。羊飼いは、継続して羊を世話するだけです。私たちを祝福してくださる主は、私たちの働きを守り、導き、祝福してくださいます。
 ですから、私たちに必要なことは、任された働きや委ねられた責任に忠実であるということです。Tコリント4:1〜2。人は、仕事や働きに関して、ややもすれば先のことを心配してしまうものです。自分の力の足りなさに悲観し易いものです。しかし、私たちは、「キリストのしもべ、神の奥義の管理者」なのです。与えられている働きや人々についての責任は、神から委ねられたものです。ただ管理者に必要なのは、委ねてくださった主に忠実であるということです。
 確かに力量の不足や働きの結果について心配し、悩むことでしょう。しかし、その働きは、神から任されたことです。管理のための力、働きの完成のためには、神が賜物を与えてくださいます。Tペテロ4:10。恵みの賜物の良い管理者として、その賜物を用いて、仕えるだけです。与えられている賜物を見出しましょう。必要な賜物を祈り求めましょう。そして、信仰の確信をもって臨みましょう。
 よみがえられたイエス様は、弟子のペテロに対して、三度も「わたしの羊を飼いなさい」と言われました。ヨハネ21:15〜17。良い羊飼いは、羊に絶えず新鮮な草を与えます。主の羊である聖徒たちも、新鮮な御言葉の糧を食べなくて、御言葉の飢饉になります。アモス8:11。
 「富はいつまでも続くものではなく、王冠も代々に続かないからだ」とは、どういうことでしょう。24節。富も名声も限りあるものです。持てる期間があります。しかし、草は食べられても、また生え続けます。羊や群れの養育は続きます。私たちは、失われることに心を留めずに、永続的なものに心を向けるべきだということです。あなたは、自分に委ねられたことに心を留めていますか。働きを任され、人のことを委ねられることは、尽きることがありません。何もできなくなっても、とりなし祈ることができます。

V−自他ともに益となる−26〜27
 そして、自分に任せられたことを忠実にした時に、神の祝福が与えられます。26〜27節。羊飼いが、羊の状態を把握して、注意を払って群れに草を与えて、世話をすれば、羊も生かされますが、羊飼いも生かされるようになります。羊や群れが祝福されて、羊飼いも祝福されるようになります。牧畜の仕事は労苦が多いですが、羊と群れが羊飼いの愛情を受けながら草を食べると、よく育ち、群れも増えます。大量の毛は着る物になり、ミルクも与えられ、山羊を売って土地を買い、作物も作ることができます。どんなに大きな恵み、祝福でしょうか。羊飼い自身だけでなく、家族や僕までも豊かに食べることができるようになります。自他ともに大きな益となるということです。これが、神の民の働きに対する神の祝福です。
 責任や労苦に重荷や徒労を感じることがあるでしょう。自分が犠牲を払っているのではと思うこともあるでしょう。でも、忠実に働く中で、神が必要を供給して、報いを与えてくださることを体験するのです。神の祝福は、委ねられたことについて誠実に応えた時に与えられると聖書は約束しています。今自分の手にあることに心を留めてください。それを大事にし、委ねられたことの価値を思える時、そこから神の祝福を味わうことができます。自他に大きな益になります。
 神が私たちに任せてくださった人々に心を留め、状況を把握しましょう。まず、家族の状況を顧みましょう。Tテモテ5:8。他の人よりも家族を大切にしない風潮がありますが、何よりも家族の表情を窺い、状況をよく知り、その言動に心を留めることが大切です。また、私たちと一緒に信仰生活する聖徒、信仰の兄弟姉妹たちの様子に注意を払い、状況を知りましょう。そして、必要な助けと励ましを与え、とりなし祈ります。「自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい」と言われています。ピリピ2:4。聖徒の助けと祈りは、互いに仕え合うことであり、互いの益になります。
 他の人の状況や境遇に目を向けて、助けて、仕えて、祈り、証しします。誰でもできる働きです。このような羊飼いが、良い羊飼いであり、忠実な管理者です。私たちは、私たちに委ねられた羊や群れに対して、どのような羊飼いとなっていますか。無関心な羊飼いとなっていないか、顧みてみましょう。世の多くのことに関心を寄せて敏感に反応しながら、神が私たちに任せてくださった人々をよく把握して、心を留めることを怠っていなかったか、この年を振り返ります。
 私たちに託された羊と群れがずっと自分のそばにいるわけではありません。私たちの働きと責任がいつまであるのか分かりません。今機会が与えられた時に、様子をよく観察し、心を留めて仕えます。新しい年、委ねられる人や任される働きの様子を気遣い、大変な時を知り、辛い状況に心を留める、そのような人に私たちがなることを願います。23節。



箴言27:1 あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。
27:2 自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分のくちびるでではなく、よその人によって。
27:3 石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。
27:4 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。
27:5 あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
27:6 憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。
27:7 飽き足りている者は蜂の巣の蜜も踏みつける。しかし飢えている者には苦い物もみな甘い。
27:8 自分の家を離れてさまよう人は、自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。
27:9 香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける。
27:10 あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。
27:11 わが子よ。知恵を得よ。私の心を喜ばせよ。そうすれば、私をそしる者に、私は言い返すことができよう。
27:12 利口な者はわざわいを見て、これを避け、わきまえのない者は進んで行って、罰を受ける。
27:13 他国人の保証人となるときは、その者の着物を取れ。見知らぬ女のためにも、着物を抵当に取れ。
27:14 朝早くから、大声で友人を祝福すると、かえってのろいとみなされる。
27:15 長雨の日にしたたり続ける雨漏りは、争い好きな女に似ている。
27:16 その女を制する者は、風を制し、右手に油をつかむことができる。
27:17 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。
27:18 いちじくの木の番人はその実を食う。主人の身を守る者は誉れを得る。
27:19 顔が、水に映る顔と同じように、人の心は、その人に映る。
27:20 よみと滅びの淵は飽くことがなく、人の目も飽くことがない。
27:21 るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。
27:22 愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦といっしょについても、その愚かさは彼から離れない。
27:23 あなたの羊の様子をよく知り、群れに心を留めておけ。
27:24 富はいつまでも続くものではなく、王冠も代々に続かないからだ。
27:25 草が刈り取られ、若草が現れ、山々の青草も集められると、
27:26 子羊はあなたに着物を着させ、やぎは畑の代価となる。
27:27 やぎの乳は十分あって、あなたの食物、あなたの家族の食物となり、あなたの召使いの女たちを養う。



ヨハネ10:14 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。

Tコリント4:1 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
4:2 この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。

Tペテロ4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。

Tテモテ5:8 もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。


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