2019年12月22日「神は私たちとともにおられる」マタイ1:20〜23

序−皆さんの名前の由来は何ですか。人が生まれると、誕生を祝い、名前を付けます。名前には、親の思いや願いが込められているものです。世界で最も祝われる誕生日は、救い主イエス様の誕生です。イエス様の名前には、どのように、どんな意味が込められて付けられたのでしょうか。

T−救い主という名のイエス様−21
 日本には、古来子供が生まれてから7日目の夜、お七夜と言いますが、その日までに考えておいた名前を子供に命名し、家族やお世話になった方たちで祝い膳を囲んでお祝いするならわしがありました。同じように聖書でも、人々は、7日目の夜、ユダヤ暦では8日目に、同じようにして、子どもに名前を付けました。ルカ1:59。イエス様もそうです。ルカ2:21。
 皆さんは、自分の名前の意味を知っておられますか。私たちの親も、子供がこのように育って欲しい、あのようになってほしいという気持ちで名前をつけてくれたでしょう。その親の思いを感謝します。聖書に登場する人物もそうです。ヨナの名前は「鳩」、戦争の時代に平和のために生きるように付けられました。 モーセの名前は「引き出す」、その名前の通り民族をエジプトから引き出しました。取税人ザアカイの名は義人でした。
 日本の歴史上の人物に、イエス様に関係する名前があります。聖徳太子です。聖徳太子は、後世に付けられた諡号で、本当の名前は、厩戸の皇子です。太子の母穴穂部間人皇女が馬小屋の前で出産したからそう名付けられたという逸話を日本書紀が伝えています。イエス様の名に因んだのでしょうか。ネストリウス派のキリスト教、景教徒秦河勝が太子のブレーンになっていますから、その可能性はあります。
 21節には、イエス様の名がどのように付けられたのか、その由来が教えられています。イエスとは、救い、救助者、つまり主は救われるという意味です。イエス様は、その名前の通りの方となります。いや、イエス様の名前は、願いを込めて付けられたのではなく、その名に含まれていることをされるために、名づけられたのです。そのために世に生まれて来られました。生まれる前から、神が計画を持っておられたのです。私たちも、この点では同じです。私たちがこの世に生まれたのは、偶然ではありません。自分が生まれて生きていることを憂うることがあるかもしれませんが、神様が特別で大切な計画を持っておられたので、今私たちがここにいるのです。神様は、高価で尊い存在としておられます。イザヤ43:4。その意識をもって生きてみましょう。生き方が変わります。

U−ご自分の民をその罪から救ってくださる方−21,
 その名をイエスとしなければならない理由は、神がご自分の民をその罪から救ってくださるご計画が込められているからです。この「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」には、いくつかの意味が込められています。まず、「自分の民」という表現が使用されていることは、イエス様が信じる人々の王であることを示しています。つまり、イエス様が王としてこの世に来られたということです。
 マタイの福音書には、イエス様が「王として来られた方」であるということを繰り返し示しています。東方の博士たちも「王としてお生まれになった方」を拝みに来たと言っています。マタイ2:2。人は、自分の人生の王になったかのように生きようとして痛みを覚え、自他ともに害を及ぼしてしまいます。救い主イエス様は、私たちの人生の主、王となられたのです。
 イエス様が十字架に掛けられた時、十字架上のイエス様の頭上の罪状書に「ユダヤ人の王ナザレのイエス」と記されました。ヨハネ19:19。それゆえ、イエス様の十字架の絵画や彫刻には、その頭文字INRIを記すようになりました。奈良時代の群馬県に渡来人と思われる羊という人に多胡郡を任せたという石碑が残っています。平戸藩主松浦靜山は、その著書「甲子夜話」の中で、多胡碑のかたわらから掘り出された石槨に「JNRI」という文字が見られ、また碑の下からは十字架も発見されたと書き残しています。
 そして、イエスと名付けられたのは、「罪から救ってくださる方」だからでした。当時のユダヤ人たちは、政治的な救いと経済的な救いを熱望していましたが、人間に最も必要なのは罪からの救いでした。人間を真に不幸にするのは、罪の問題であるからです。私たちにとって最も重要な問題は、健康でも知識でも経済的安定性でもなく、罪から救われることだと教えています。なぜなら、私たちの人生を不幸にするのは、敵意や争い、ねたみや憎しみ、怒りや憤り、放蕩や貪欲と言った心の罪だからです。そこから、実際の罪の言動が出て来ます。その罪の根本は、神様に背を向けて、自己中心になったことでした。イエス様は、神が定められた世の罪を背負って行く神の唯一の小羊です。ヨハネ1:29。私たちの罪の身代わりに十字架にかかられたイエス様が、私たちのすべての罪を解決することができる唯一の方なのです。
 イエス様は、ののしられ、嘲られ、鞭打たれて、十字架につけられて、苦しみ死なれました。私たちが受けなければならない罰をすべて代わりに負って十字架で死なれました。それで、私たちに救いを与えてくださいました。救われるためには、私たちは、自分が神の前で罪人であるという事実を発見することが必要です。そうでなければ、罪の赦しと救いを必要としないからです。聖書は、罪から来る報酬は死だと言っています。ローマ6:23。神様から離れているということが、人間の霊的な死なのです。
 救われるためには、どうすればよいのでしょう。イエス様の御名を呼び求める者は、みな救われます。使徒2:21。イエス様の名前を呼ぶということは、イエス様を信じるということです。マタイ12:21。イエス様は、私の罪を背負って私を救うために、私の王として来られた私の救い主です。ですから、私たちは、イエス様を信じて、神の民とならなければなりません。イエス様に所属する必要があります。イエス様の御名を信じた者は、神の子どもとされる特権を与えられることになります。ヨハネ1:12。

V−その名はインマヌエルと呼ばれる−23
 今日の本文に、イエス様のもう1つ別の名前が紹介されています。23節。インマヌエルです。その意味は、「神は私たちとともにおられる」という意味です。驚くべき名前です。インマヌエルは、罪のために絶望の中にいる人類を救うために自らこの地に来られた神、すなわち「神は私たちとともにおられる」方であることが強調されています。旧約聖書は、神は私たちとともにおられる」インマヌエルが記されている書です。
 イエス様の誕生は、そのインマヌエルの絶頂です。イエス様の誕生は、天地創造の神様が、人間の中に入って来てくださったということです。イエス様が人の姿を取って世にお生まれになりました。イエス様がともにおられるとは、神様とともにということです。罪によって神との交わりが断たれていましたが、イエス様の救いによって、神様との交わりが回復されたからです。エペソ2:14〜16。イエス様は、多くの苦痛や問題を持っている人々の中に入って来て、人々をその問題から解放してくださいました。
 イエス様と一緒というのは、天国の特徴です。天国に召されるなら、いつまでも主とともにいることになります。イエス様を信じる者は、すでに天国に国籍を持つ天国人です。ピリピ3:20。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言って福音が宣べ伝えられはじめ、信じて天国人となった弟子たちのイエス様とともにいる生活が記されています。
 マタイの福音書の最後は、イエス様がともにいてくださるという恵み溢れる約束で終わっています。マタイ28:20。イエス様を信じると、世の終わりまでいつも、私たちとともにいてくださり、平安と愛のあふれる人生を享受させてくださるというのです。どんなに幸いなことでしょうか。クリスマスの恵みは、イエス様の救いの恵みであり、インマヌエル、神がともにいてくださる恵みです。もう人生は孤独ではありません。一人で生きるのでもありません。救い主イエス様と一緒です。
 同行二人(どうぎょうににん)という言葉があります。一人でお遍路しても、空海が一緒だというのですが、空海が中国で学んだ密教には、景教の影響があると言われます。まさに、同行二人は、イエス様とともに歩むというような意味なのです。インマヌエルのイエス様を信じるなら、その人の人生は、いつでも、どんな時でも、イエス様が一緒です。イエス様と同行二人で歩むのです。
 クリスマスには「地の上に平和が」と賛美されますが、救われた者の心の中に与えられた平和は平安です。インマヌエルの祝福を味わっておられますか。インマヌエルの効力が私たちの人生に表されます。今イエス様はどのようにともにおられるのですか。三位一体の御霊なる神として、私たちとともにいてくださいます。ヨハネ14:16〜17。イエス様は、もうひとりの助け主、御霊となって私たちの内に住んでいてくださいます。
 この福音書を記したマタイは、イエス様に会う前は取税人でした。当時の取税人は、罪人の代名詞、人々から疎外され孤独でした。そんな彼がイエス様に出会い、弟子に加えられました。主とともに過ごしながら、マタイの人生は変わり、ついには新約聖書を記録する者となりました。主とともにされた恵みに涙しながら、インマヌエルを書いたことでしょう。イエス様が十字架に死んでくださったのは、私たちが、目覚めていても、眠っていても、主とともに生きるためです。Tテサロニケ5:10。



マタイ1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)




ガラテヤ5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

使徒10:43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。

ローマ3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

ローマ6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

ピリピ3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

マタイ28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

Tコリント3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

Tテサロニケ5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。


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