小グループで聖書を学ぶ

1 いつも神に感謝しています(Tコリント1:1〜9)

「心の門を開いて」

 コリントは、ローマ帝国の大都市の一つでした。その特徴は、富と享楽であり、哲学が盛んで議論好きでした。しかし、人々の心は腐敗しており、社会は乱れていました。この手紙は、その影響の中で問題のあった教会に書かれていますが、これを読む私たちにも、書かれています。2節。

「御言葉の種を蒔こう」

1 この使徒パウロの書いた手紙は、問題のある、パウロを悪く言う者さえいるコリントの教会にあてて書かれたのですが、宛先は何と記されていますか。
・2節/


2 コリント教会に問題のある人々が集っていても、「神の教会」といわれています。「教会とは神様の教会」だという認識をするだけでも、問題は解け始めます。なぜ、神の教会と言えるのでしょう。強調されている言葉に注目しましょう。
・2〜3節/


3 この短い書き出しの中に「主イエス・キリスト」が繰り返されています。救い主イエス・キリストを信じる者、救いを求める者が集うから、神の教会なのです。救い主イエス様を信じる信仰に立てば、問題は解決されるはずです。争いも信仰に立っていないことから生じていたからです。彼らの信仰は、どんな状態にありましたか。
・Tコリント3:1〜3/


4 教会の呼び方だけでなく、人々に対しても「コリント教会の人々」とは言っていません。問題を起こし、争っていた人々が、何と呼ばれていますか。それについてどう思いますか。
・2節/


5 「聖徒」と呼ばれていますが、争う人々が聖いというのではありません。原文のハギオスとは、元々分離されたという意味です。神様のものとして選び分かたれた者ということです。救われたから、聖徒となりました。「キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々」なのです。では、どうあるべきでしょうか。あなたには、聖なる者とされたという意識があるでしょうか。(参考/Tコリント6:20,10:31)



6 さらに、パウロは、このような問題のあったコリントの聖徒たちに対してどういう思いを持っていると言っていますか。あなただったら、自分を困らせ、自分を悪く言う人に、そのような気持ちを抱けますか。
・4節/


7 パウロのコリント教会の聖徒たちに対する感謝、「いつも神に感謝しています」は、絶対的な感謝です。条件付きの感謝を一次元の感謝、何かを受けたためか人と比べての感謝を二次元の感謝と言うならば、ヨブのように、悪条件の中でもそれを神様の恵みとして受け取り、すべてのことに感謝するのは三次元の感謝、ゼロの感謝と言えます。パウロも悪い消息が聞こえて来ても、どんなに心が苦しくても、感謝の祈りから始めます。どうしてこのような感謝を抱くことができたのでしょう。(参考/ヨブ1:20〜22)
・4節/
・5〜7節/

8 「神の恵みのゆえに」すなわち救いの恵みのゆえに感謝しています。罪と滅びから神様の一方的なあわれみのゆえに救われたことをまず感謝します。そして、彼らは、福音を聞き、御言葉による養育を受けました。彼らが救いを受け入れただけでなく、それを伝えて、証ししてこそ、彼ら自身の信仰が堅固なものとなります。私たちは、救いの恵みを感謝しているでしょうか。自分の霊的造り変えや証の生活を振り返ってみましょう。



9 私たちも、どれほど自分が幸福か、恵まれているか分からないでいます。本当に恵まれているならば、揺り動かされない人生になりますが、今のあなたはどうですか。(参考/ヘブル12:28)
・8〜9節/

「命の実を刈り取ろう」

 努力して「最後まで堅く保て」と言っているのではありません。すでに、救いに召されたことによって、「主イエス・キリストとの交わりに入れられ」ています。9節。これを確信することです。イエス様がともに歩んでくださり、イエス様が私を守ってくださいます。パウロは、コリント教会の人々の問題を思う時、イエス様の救いのゆえに、まず感謝しました。私たちを心配させ困らせている人のために、私たちができる最良の方法は、彼らのために祈ることと感謝することです。あなたの信仰生活には、感謝がどのくらいありますか。この箇所の学びで、どんなことに気付かせられましたか。そこから、どんな導きを受けましたか。ピリピ1:6。

戻る