小グループで聖書を学ぶ

24 補完的役割(Tコリント11:1〜16)

「心の門を開いて」

 コリント教会で起こっていた男女関係の問題を取り上げながら、今日にも適用される男女、夫婦関係の原理を教えています。髪の毛やかぶり物のことは、今日の何かにそのまま適用はできません。ただし、その時代の状況における特殊な例を通して、普遍的な大事な男女の原理、人間関係の原理を学ぶことができます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 コリントの文化の影響で、女性たちは知識や権利が増加し、男性と同じことをし、伝統を破り、自由に振舞うようになりました。クリスチャンとなって、その傾向はさらに過激になったようです。男性もまた影響を受け、コリント教会は混乱していました。どんなことが起きていたのですか。
・4〜7節/
・14〜15節/

2 自分を目立たせるため、髪の毛を短くしたり、豪華な髪型や髪飾りをする女性がいました。娼婦もそうしていました。そこで、伝統的なベールをつけることで混乱を収めようとしたのです。男女の区別がつき、貧富の差も目立たず、娼婦にも間違えられません。これは、その時代その地での特殊な状況での適用です。私たちは、私たち自身のそれぞれ状況において、どうすべきですか。
・13節/
・Tコリント10:31/

3 当時のコリントでの状況における例を通して、普遍的な大事な男女の原理を教えています。男女関係、夫婦関係の原理の象徴的表現は何ですか。その単語の意味することは何ですか。(参考/ローマ13:1)
・3節/
・エペソ5:22〜25/

4 この「かしら」とは、「権威」のことです。この言葉に「権威とそれに従う原理」が提示されています。真実に従うことは、真実な権威に対してです。従う人がいて、権威も成り立ちます。権威には、責任が伴います。従うことには、自主性にあります。どちらがそれを担うかだけの違いであり、両方相まって機能することになります。この権威のモデルは何でしょうか。従うモチベーションは、どこにありますか。
・マルコ10:45/
・Tヨハネ4:10〜11/

5 私たちのモデルは、イエス様です。その権威は、サーバント・リーダーシップ、仕えるしもべの姿です。キリストにある愛が、権威と従う原理を動かす元になっています。では、なぜ私たちは、従うこと、仕えることを嫌うのですか。従い、仕えることについて私たちを苦しめることは、どんな思いですか。(参考/ルカ9:46,Uコリント12:10)



6 イエス様は、仕えるしもべですが、仕えられる人より低い存在なのでしょうか。イエス様は、私たちを救うために、どのようになられ、どこまで従われましたか。そのようなイエス様の例を見ながら、従うということは低いということだ、と結論づけることができるのでしょうか。あなたは、どう思いますか。
・ピリピ2:7〜8/


7 私たちの肉の思いには、罪が入り込みます。サタンは、何かを造ることはできませんが、神様が創造された関係をゆがめることができます。6節の「髪を切れ、剃れ」と言うのは、もし女性が男性と同じようになるというなら、髪の毛も男性と見えるようにしなさいということです。男女の造られ方はどうですか。男女の関係はどうなっていますか。
・11〜12節,創世記2:18,22/
・エペソ5:21/

8 男女の違いのために、互いを理解せず、争い、憎むのは、罪のせいです。男女は違うけれども、互いが互いを必要とするものとして造られています。このことが重要です。男と女は違うけれども、違うゆえに互いに従い、互いに仕え合わなければならない存在です。男と女がそれぞれの役割が相まって、一つの存在となり、一つの働きをなして行くのです。役割が違うからこそ、補い合い、助け合うのです。これを「補完的関係、相補関係」と言います。このことを通して気付かされたことは何ですか。



9 この箇所のポイントは、3節です。権威を与えられている、権威に従うということには、理由があります。男の権威は、女性と子どもを守る責任を負い、男性の肉体的な強さと傲慢を矯正し、献身的な愛を伴うものです。権威は尊重され、従う人を通してその力と価値を発揮します。女性として、男性として、この権威についてどう思いますか。


「命の実を刈り取ろう」

 自分の利益と満足が動機なら、男性(夫)は暴君です。自分の利益と満足の前に、女性(妻)への配慮と愛を置いているなら、男性(夫)は王子様です。男性(夫)が暴君か王子様かは、女性(妻)もその鍵を握っています。今日の「権威とそれに従う原理」は、すべての人間関係に応用できます。あなたは、互いの違いを認め合い、互いに仕え合うことをしていますか。「仕えるしもべ」であるイエス様を見ならっているでしょうか。1節。

戻る