小グループで聖書を学ぶ

29 徳を高めるために(Tコリント14:1〜40)

「心の門を開いて」

 始まったばかりのコリント教会では、賜物の用いられ方に問題があり、交わりにおいて混乱していました。この箇所を通して、その混乱の原因が分かり、どう整えられるかを知ることができます。それによって、様々な人々の中で生きる私たちが、どのように人々と交わっていくのかを教えてくれます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 まず、「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」と勧めていますが、実際には、当時のコリントにおいて、どんなことが行われていて、混乱を巻き起こしていたのですか。
・1〜2,6節/


2 異言は、恍惚状態で訳の分からない声を発するものなのですが、それを優れた特別な霊的なものであると言い、高慢になって競っていました。そのために、聖徒たちの交わりが混乱していたのです。使徒は、これを特別なものとも、神聖ななものとも、見ていません。どんなものと捉えていますか。
・7〜9節


3 異言を言う者は、人に見られるために自慢してそうしていたようです。だれも分からないことを言っているのは、空気に向かって言っているようなひとりよがりの騒音でした。高慢になって、自分の言いたいことを言って、自分だけ満足しても、他の人の気持ちを考えない、それは、愛のないものです。私たちは、人々とどのような交わりをし、話しをしているでしょうか。自分にとって、異言的なものはないでしょうか。



4 異言と比較して、預言の賜物を熱心に求めるように勧められていますが、ここでいう預言とは、先のことを言う予言ではありません。旧約の預言者のようでもありません。御言葉の分かち合い、御言葉の証しと言ってよいでしょう。異言と比較して、預言の賜物で強調されていることは、どういうことですか。どうするように勧めていますか。
・3〜5,12,17,26節/


5 異言と比べて決定的に違うのは、預言の賜物の「人の徳を高める、教会の徳を高める」という素晴らしい働きにあります。御言葉の証し、御言葉の分かち合いは、信仰を成長させ、成熟させ、徳を高めます。「徳を高める」と訳されたオイコドメオーが使われている箇所を読んで、思うことを分かち合いましょう。
・Tテサロニケ5:11/
・ローマ15:2/

6 私たちは、預言の賜物を用いて、どのように人と話すべきでしょうか。どのように働きをすることができるようになるのでしょうか。他のオイコドメオーを参照しましょう。
・エペソ4:29/
・ローマ14:19/

7 異言をしている様子は、初心の者や信者でない者には、どのような人たちと思われましたか。一方、クリスチャンの真実な御言葉の証しや御言葉の分かち合いによって、初心の者や信者でない者は、どのようになりましたか。
・23〜25節/


8 コリント教会の集まりには、混乱がありました。好き勝手なことをし、好き勝手なことを言っていたのです。集まりのことを考えず、人への配慮もなしにしゃべるならば、異言のようです。その例としてあげられていたのは、どんなことですか。女性蔑視ではありません。語ると訳されたラレオーは、「ペチャクチャしゃべる」という意味もあります。
・34〜35節/


9 真実な御言葉の証しや御言葉の分かち合いによって、初心の者とか信者でない者が、罪を悟り、心にある重荷や苦しみを話すようになり、祈ってもらうようになります。このような人たちの中に神様はいらっしゃると思い、救いを求めるようになります。礼拝や集まりの秩序を無視しておしゃべりをしたり、不適切なことをついついしゃべったりする婦人がいたようです。よほど目に余ったのでしょう。人は、話しが好きですし、話も必要です。でも、勝手気ままに話すなら、混乱し、人の心を傷つけてしまいます。どうするように勧めていますか。
・40節/

「命の実を刈り取ろう」

 教会の統一性と多様性で学んだように、様々な人が集まる教会は、主を信じて褒め称え、愛を求めて徳を高め合うことによって、一つなって行くものです。御言葉が分かち合われ、主がほめたたえられ、神様が礼拝されるところが教会であり、聖徒たちの集まりです。きょうの学びで、特に気付かされたこと、改めようとすることがありましたら、分かち合いましょう。エペソ4:16。

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