小グループで聖書を学ぶ

30 神の恵みによって今の私に(Tコリント15:1〜11)

「心の門を開いて」

 福音は、伝道会で聞くもの、イエス様のことを知らない人に知らせるもの、私は、もうすでに信じているので、聞く必要がない。そう思っていないでしょうか。ギリシャ哲学の強い影響下にあったコリント教会の聖徒たちは、福音が希薄になっていました。これが問題の原因でした。

「御言葉の種を蒔こう」

1 コリント教会には、聖徒たちの妬みや争い、賜物についての自慢や不満がありました。そのようにコリント教会を霊的に枯れさせていたのは、どこに問題があったと言っていますか。
・1〜2節/


2 すでに信じて、救われている聖徒たちに対して、「あなたがたに福音を知らせましょう」と言っているのは、福音が希薄になっていたからです。コリントの聖徒たちにとって、今まで慣れ親しんで来たギリシャ哲学の影響が強く、信仰を自分の肉の知恵で考えるということが多かったためです。自分が罪人であって、イエス・キリストの血による贖いがなければ、救われないという思いが薄くなり、自分の精神論で救われる、肉の努力で天国へ行けると考えるようになって行くのです。こうして、信仰は力もなくなり、恵みを覚えなくなり、妬みや争いに陥ってしまいました。私たちにも、そのようになる危険がなかったでしょうか。(参考/ガラテヤ3:1〜2)



3 コリントの聖徒たちは、福音に立ち返る必要がありました。私たちも繰り返し福音を聞かなければならないということでしょうか。自分の知恵や力が自分の偶像になって、福音の命が失われる危険が、私たちにもあります。福音に生かされていること、福音が新鮮に働き、福音が人を変えることを分かち合うことが、私たちには必要です。このことについて、あなたはどのようにしていますか。



4 では、その福音とは何か、と改めて知りたいと思います。コリントの聖徒たちに説明されている福音は、どんなことですか。
・3〜5節

5 「キリストは、私たちの罪のために死なれたこと、葬られたこと、よみがえられたこと」が、福音です。福音が「聖書の示すとおりに」だったと強調していますが、旧約聖書が、イエス様の十字架の死と復活による罪の赦しと勝利を預言しています。いくつか参照してみましょう。
・創世記3:15/
・イザヤ53:5〜12,詩篇16:8〜11/

6 福音の確かさは、聖書の示すとおりに起こっただけではありません。何よりも、福音を聞き、イエス様を救い主として受け入れ、信仰によって生きた人々の姿に福音の確かさの証明があります。イエス様が死んで、よみがえられた証明として、どんな人たちが主の復活の証人としてあげられていますか。(参考/マルコ16:7, ルカ24:34, ヨハネ20:24〜29)
・5〜7節/


7 復活の証人として、最後にパウロ自身をあげています。これは、パウロ個人の証しです。どんな内容ですか。どんな特徴がありますか。(参考/使徒9:1〜20)
・8〜9節/


8 過去の失敗と罪に対する悔い改めの表現です。罪の赦し、罪からの解放の確信がなければ、その後の彼の変化はなかったでしょう。私たちが赦されたということは、私たちもまた赦さなければならないということにならないでしょうか。確かに、受けた心の痛みや傷を思えば、赦すことは難しいことです。しかし、イエス様の犠牲は、私たちが他の人を赦すことを可能とします。このことであなたの思うところを分かち合ってください。(参考/ローマ6:6, Uコリント5:17, マタイ18:33)



9 迫害者であったパウロ、罪人のかしらであったパウロでも、福音を人々に運ぶ者と召しを受けました。世的な価値観からすれば、罪の人生を歩んでしまった自分が、この後どんな人生を歩めようか、と考えて空しく過ごしかねません。しかし、パウロは、ちがいました。どう応えましたか。(参考/使徒9:15)
・10節/

「命の実を刈り取ろう」

 「神の恵みによって、私は今の私になりました」とは、福音を聞いた者、イエス様に出会った者の最高の証しです。私たちの人生を振り返ってみましょう。どんな人生を歩んで来たでしょうか。救われた恵みにどう応えて生きているでしょうか。とにかく素晴らしい福音を信じてみてください。罪赦されて、新しい命に生きていきたいのです。福音をしっかりにぎって、救われたことを新にしましょう。救いの恵みが私たちに働いて、新しい信仰の生涯に導いてくださいます。きょうの学びでどんな導きを受けましたか。10節,コロサイ1:29。

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