小グループで聖書を学ぶ

31 わたしは、よみがえりです。いのちです。(Tコリント15:12〜34)

「心の門を開いて」

 想像してみてください。もしあなたが、イエス様の体がエルサレム近郊のどこかで見つかったというニュースを聞いたなら、どんな衝撃と狼狽を見せるでしょうか。もちろん、イエス様は最初のイースターによみがえられたので、そういう「もし」はありません。でも、イエス様がよみがえられたというニュースに驚愕を覚え、人生が変わらないでいられるでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 福音を聞いて信じて、クリスチャンになったコリンント教会の聖徒たちの信仰を、形骸化させる要因になっていたことがありました。そのために、福音の確信がなくなり、福音が生活に影響を及ぼさない弊害を生み出しました。それは、どんなことですか。
・12節/


2 ギリシャの文化では、体は人の悪い習慣の根源だと理解されており、人の精神は、死によって、体という牢獄からついに自由になるという考え方でした。その考え方の影響を受けた聖徒たちの中に、「死者の復活はない」と言う人々がいて、そのことが、聖徒たちの信仰を形骸化させる要因になっていたようです。そのことを明らかにするために、使徒パウロは、「もし〜がないなら」という言い方で何を語っていますか。
・13〜15節/


3 死者の復活がないなら、イエス様の復活がないということになり、福音もキリスト教そのものも無効になってしまい、私たちの信仰も、実質のないものになってしまいます。決定的なことは、イエス様がよみがえらなかったら、どうなると言っていますか。
・16〜19節
・ローマ4:25/

4 イエス様は、私たちを罪とその結果である死から解放するために十字架に身代わりとなって死なれました。死からよみがえられてこそ、罪の赦しと天国への命があるわけです。あなたは、イエス様のよみがえりによって罪赦され、天国へのいのちをいただいていることをどう思っていましたか。当然のことですか。



5 イエス様のよみがえりの効果を示すために、二つの大変有名な類似をあげています。一つは、どんな表現で、何を示していますか。もう一つは、誰と誰の類似とコントラストでもって示されていますか。
・20〜22節/


6 アダムの堕落がすべての人類に及んで、私にも及んで罪がある、ということを知って文句がありますか。それがまったく反対に、イエス様の復活がすべての信じる者に、私にまでに及んで復活の命をいただいているという対比に、どんな思いをもちましたか。



7 もし、復活の希望がなければ、どういう生き方になると言っていますか。ギリシャ文化の考え方は、人の何を考えないのでしょうか。そのためにコリントにどんな問題が起こっていました。
・32節後半〜34節/
・Tコリント3:3,6:18/

8 どうせ死んでしまうのだから、何でもしたいことをしようじゃないか。どうせ苦難が多いのだから、食べたいだけ食べ、飲んで酔おう。どうせ明日も分からない命なのだから、肉欲のまま過ごそう。人の肉の思いは、身勝手に生き、娯楽によって生活の問題から気をそらし、楽しみの追求以外に生きる糧がないという価値観です。あなたもこのような価値観の影響を受けることがありませんでしたか。



9 大きな救いの恵み、よみがえりの命に与ったならば、私たちの生活が変わらないでしょうか。この復活の命の信仰があったから、どのような中でも生きることができた、と使徒パウロは証ししていますか。それは、私たちにどんな望みや勇気を与えてくれますか。
・30〜32節前半/

「命の実を刈り取ろう」

 確かに使徒パウロの生活は、毎日が死の連続のようでした。現代の私たちも、やはり様々な危険にさらされ、苦難を受けています。その危険の中でも、クリスチャンに望みや勇気を与えてくれるのは、復活の望みの確信です。イエスは言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」ヨハネ11:25。私たちは、この復活の信仰に生きています。思い違いをしてはいませんでしたか。望みのない生き方、肉の思いに惑わされることはありませんでしたか。イエス様のよみがえりの事実は、あなたにどんな影響を与えてくれますか。あなたのすることにどんな意味と目的を与えてくれますか。導かれたことを分かち合いましょう。

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