小グループで聖書を学ぶ

32 私たちは変えられるのです(Tコリント15:35〜58)

「心の門を開いて」
 
 天国はどのようなのですか。死んだらどうなるのですか。家族や友人を失った者にどんな慰めや勇気が与えられるのですか。死というものをどう考えればいいのですか。そのような質問が、誰の心の中にもあります。考えないようにしているかもしれませんが、私たちは、しっかり認識して生きて行くことができるように、学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 コリント教会にも、そのような質問をする人がいました。どんな質問ですか。私たちのうちにも、同じような疑問があるかもしれません。あなたはどうですか。
・35節



2 「死者は、どのようにしてよみがえるのか」という疑問について、たとえで説明されています。どんなことですか。
・36〜37節/


3 種を蒔くと、蒔いた種自体はなくなりますが、茎や葉が伸び、多くの実を付けることになります。同じように、私たちの今の体は死にますが、天国にふさわしい体によみがえるのです。イエス様の復活の力が、私たちを本質的に変えてくださいます。イエス様ご自身が語られた有名なおことばがあります。読んで、思うところ分かち合いましょう。
・ヨハネ12:24/


4 よみがえりの命に生きるためには、古い肉の自分が死ななければならない、ということになります。古い自分はイエス様と一緒に十字架に死んだと言います。古いものは過ぎ去って、新しい命に生きる者になっています。古い自分に死んでいますか、救われたにもかかわらず、古い肉の命のまま生きていませんか。肉に属する人となって、ただの人のように歩んでいないでしょうか。引用箇所を読んで、省みてみましょう。
・Uコリント5:17/
・Tコリント3:3/

5 35節のもう一つの質問、「どのようなからだでよみがえるのか」ということについて、どう教えていますか。
・42〜44節/


6 栄光の体、御霊に属する体によみがえらせてくださると教えています。天国に行って戻って来た者がいるのでなければ、どんな体でよみがえるのか分かりません。しかし、初穂であるイエス様のよみがえりがあります。主は、御力によって、私たちの卑しいからだを、どのような姿に変えてくださると約束されていますか。
・Tヨハネ3:2/
・ピリピ3:20〜21/

7 私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えていただけるとは、何と感謝なことでしょうか。朽ちない、新しい霊のからだによみがえるのならば、老化も、病気や傷も気にすることはないのではないでしょうか。しっかり新しい命に生きることことが大切です。どんな考え、姿勢で生きて行くように教えられていますか。
・ローマ8:3〜5/


8 最後の部分は、復活のクライマックスです。「聞きなさい」と注意を喚起しています。からだのよみがえりで強調されていることは、結局どういうことですか。それによって、私たちには、どんな励ましがありますか。
・51〜52節/
・Tテサロニケ4:13〜14/

9 イエス様を信じて救われた時から、新しい命をいただき、変えられることが始まっています。ここに勝利があると言っていますが、何に勝利するのでしょうか。どんな状態から解放されるのですか。
・54,57節/
・エペソ2:1〜5, ローマ6:23

10 このような栄光の勝利を与えられたことから、私たちは何を考え、何をしなければならないでしょうか。そうすると、どうなりますか。
・58節。

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の十字架を信じて救われたことで、こんなに素晴らしい救いにあずかり、罪赦され、よみがえりの命をいただいているとは、何という恵みでしょうか。今している様々な労苦は無駄ではありません。天国に続くことだからです。死は終わりではありません。きょうの学びを通して、どのように生きて、どんな姿勢で歩んで行こうと思わされましたか。導かれたことを分かち合いましょう。コロサイ1:23

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