小グループで聖書を学ぶ

7 まだ肉に属しているから(Tコリント3:1〜9)

「心の門を開いて」

 イエス様を信じたのに、神様の知恵は分からないし、御霊が働いていると思えない。まるで愚かなひどい姿じゃないか、なぜ喜びに満ちたすばらしい生活をすることができないのだろうか、という疑問を持ち、悩む時があるでしょうか。この箇所が、それについて教えています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 パウロは、コリント教会になぜ争いがあるのか、つまり、クリスチャンとなった人々になぜ争いや妬みが起こるのかという疑問について、人々を3種類に区分することで、分かり易く説明しています。まず、まだ信じる以前は、どんな種類の人と言っていますか。
・Tコリント2:14/
・エペソ2:3/

2 「生まれながらの人」とは、信じる以前の人であり、霊的真理に属することを把握できない人です。その関心も目的も思想も、世的、肉的な生活に限定されています。世の欲に引かれて生き、肉の欲が主人であり、その奴隷となっている人です。今、自分を引っ張って、導くものは何でしょうか。何が自分を指導していますか。考えてみましょう。
・ヤコブ1:14〜15/


3 二番目に出て来る人は、どんな種類の人ですか。その種類の人々には、どんな特徴がありますか。
・1節/
・ガラテヤ5:22〜26/

4 「御霊に属する人」とは、御霊がその人の主人であって、いつも主の御霊に導かれて、御霊に従って行きます。心も考えも健康的です。不必要な心配にも動かされず、妬みにも縛られません。神様の恵みを恵みとして受け入れ、驚くべき変化が現われます。深かった傷が癒され、劣等感や敗北感から解放されます。喜びや安らぎ、希望が生じて来ます。あなたは、そのような御霊に導かれる生活を享受しておられますか。
・ローマ8:2〜5/


5 パウロは、コリント教会で問題を起こしている人々が、三番目に登場する種類の人々だと言っています。どんな人に譬えていますか。その特徴はなんですか。
・1〜2節/


6 「幼子」の特徴が、「乳を飲めるが、堅い食物は食べられない」という比喩で説明されています。まだ堅い食物は咀嚼できない、つまり、理解力がないということです。学問的理解力ではなく、人の言動や出来事を霊的に聖書的に理解することができない、ということです。そのために、コリント教会の人々にどういう症状が出ていたのですか。
・3節/


7 幼子は洞察力を持つことができません。見えることだけしか理解せず、人の言動や出来事について、その背景に何があるかまでは考えられず、自分の受けた感情だけで判断し、怒り、羨むのです。それで、霊的幼子であったコリントの人々は、派閥争いをしていました。洞察力がある霊的成人であるならば、どのように受け止めると譬えていますか。
・6〜8節/


8 霊的幼子は、具体化力がありません。尊い御言葉を聞いたら、私はどうすればいいのかと御言葉の教えを具体化し、また、私はどう生きるのか生活化し、適用することが必要です。コリントの人々が妬み争っていたのは、すばらしい御言葉を学んでも、それが問題に具体化されず、良いメッセージを聞いても、派閥争いに適用されていなかったからです。御言葉を知識としてだけ受け取っていたのです。あなたは、御言葉を実際の生活や人間関係にどう生かしていますか。どんな失敗がありますか。
・4節/
・ローマ8:5〜7/

9 肉に属する人は、「ただの人のように」歩んでいると言われています。3〜4節。世の人々がするように、妬みや争いがあるからです。本当に残念な姿です。イエス様の十字架による救いはすばらしいのに、御霊に属する人になれないのでしょうか。どんなことを言っていますか。どんな保証が与えられていますか。
・9節/
・ヨハネ14:16〜17,26, エペソ1:13〜14/

「命の実を刈り取ろう」

 肉に属する人、成長していない幼子、ただの人となっている聖徒たちに対して、「あなたがたは神の畑、神の建物」だと宣言しています。イエス様の十字架の福音を信じて、主の御霊が宿る者とされました。ですから、彼らが今互いに妬み、争っているとしても、「神の畑、神の建物」なのだから、霊的に耕され、信仰が立て上げられて、「御霊に属する者」になれると励ましています。この励ましを与えられて、あなたはどのように問題や人間関係に取り組んで行きますか。

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