小グループで聖書を学ぶ

8 土台であるキリスト(Tコリント3:9〜15)

「心の門を開いて」

 私たちは、人生という建物を建てている建築家のようです。建物を建てる時、どのように建てるか、どんな基礎の上に建てるかということが大切になって来ます。妬みと争いで混乱していたコリント教会は、この点がはっきりしていませんでした。私たちの信仰の生涯は、この点においてどうでしょうか。学びながら、省みてみましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 「教会を形成する」ことを、しばしば「教会を建て上げる」と言います。パウロたちが宣教し、コリント教会が形成されましたが、教会に仕えたパウロたちとコリント教会の聖徒たちを何に譬えていますか。何が強調されていますか。
・9〜10節/


2 パウロたちは神の協力者であり、聖徒たちは神の建物であり、神様が真に建てられる方だと強調されています。私たちの人生や家庭も、神様のものです。私たちは、イエス様を信じた時から、神の聖霊の宮となりました。私たちは、イエス様の十字架の尊い犠牲という代価を払って買い取られた者です。ですから、私たちは、家庭や人生を神様のものとして建てなければなりません。仕事や様々な働きも、神様に用いられる思いですることが大事です。そう意識すると、どんな変化が起こると思いますか。
・Tコリント6:19〜20/


3 建物を建てるのに注意しなければならないのは、土台です。どんな所に建てるか、どんな土台を築くかが重要です。そこで、パウロは、霊的教会を建てることにおいて、何が大事だと言っていますか。
・10〜11節/


4 イエス・キリストという土台に教会を建てて行くのに、紛争などありえないし、同じ土台の上に協力して建てなければなりません。この原理をコリントの人々は見落としていたのです。まして、パウロは、「すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできない」と強く言っています。ただイエス様の十字架を信じることによって罪の赦しを受け、この福音の上に教会が建てられて行くのです。これは一歩たりとも譲歩できない、絶対的教理だと強調しています。下記の引用箇所では、そのこととについて、どのように強調されていますか。
・ガラテヤ1:8〜9/
・使徒4:11〜12/

5 私たちは、どんなに謙遜であっても、この人生の土台についてだけは、譲れません。私の救いのために十字架にかかられたイエス様が、私たちの人生と家庭の土台です。イエス・キリストという土台の上に、私たちの家庭と人生を築いて行くのです。私たちは、天に召されるまで築き続けるのです。私たちの使命は何でしょう。私たちが世に生きた証しは何になりますか。私たちは、何を遺せるのでしょうか。



6 「どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければならない」と言っていましたが、家は、どのように建てなければなりませんか。建てる材料とその結果が記されていますが、それは、何を教えている譬えですか。
・12〜13節/


7 尊いもの、残るもので人生を建てなさいということです。すべての人が、地上の生涯をかけて人生や家庭という家を建て上げます。しかし、人は尊いもの、残るものを考えません。そして、「なぜ、自分の家庭はこうなのか」「どうして、私の人生はこんななのか」と言うのです。人生をかけて誰でも家を建てているということが知らされ、どのように人生を建てて来たか、主の前で明らかにされる時は、どんな時だと言っていますか。
・13節/
・マタイ7:21~23/

8 その日という終末を迎える時以前にも、患難や人生の嵐の中で明らかになります。消えてなくなってしまうもの、残らないもので人生や家庭を築いていませんでしたか。そのことが気付かされた時がありましたか。
・マタイ7:24〜27/


9 やがて、私たちはみな、各自の行為に応じて報いを受けると教えています。恐ろしさを覚えますが、イエス様の救いを受けた者には、慰めに満ちたものです。どうなるのですか。
・15節/
・Uコリント5:10/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、神の家を建てる者です。ですから、私たちは真実に信仰の生涯を生きなければなりません。いつか、今の生き方が明らかになる時が来るでしょう。今苦しくても、今うまく行かなくても、キリストを土台に建ててい行くなら、残ります。学びを通してどのように信仰の生涯を、家庭や教会を建てて行こうと導かれましたか。Tペテロ2:4〜5。

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