小グループで聖書を学ぶ

19 もっと主に仕えるために(Tコリント7:25〜40)

「心の門を開いて」

 私たちは、モラルの不確かな時代に生きています。コリントの聖徒たちと同じような結婚と家庭の危機の時代に生きています。急速な社会の変化が結婚観を変質させています。そして、多くの結婚の失敗が、若い世代に結婚に対する疑いを引き起こしています。コリントの聖徒たちに教えられている福音による新しい結婚観に学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 当時は、早婚や許婚の風習の中で、結婚について自分で考えて、自分で相手を決めるということは困難でした。多くの人々が、独身でいることへの圧迫や結婚への強制の中にいました。当時の独身者たちは、自分が願おうが願うまいが関係なく、結婚させられたようです。この背景にあって、どのようなアドバイスがされていますか。
・25〜28節


2 「そのままの状態にとどまるのがよい」とのアドバイスを現代的に解説すれば、十分に大人になってから結婚するように、価値観と信仰を共にできる人と結婚するように、自分自身が結婚についてよく知ってから結婚するように、良い結婚のために労苦するように、そしてキリストと教会の繋がりの中で結婚を思い描くようにということになります。あなたは、そのように結婚を考え、祈り備えましたか。これを誰に教えますか。



3 夫婦をはじめ、人々との関係の中で注意しなければならないことは、自分も高慢になり易い者であり、勝手に惨めになる傾向があるということです。ですから、持っていても高慢にならないように、何も持たなくても悲惨に思わないようにと勧めています。そのように生きる秘訣は何ですか。(参考/Tテサロニケ3:13,4:15)
・29~31節/
・コロサイ3:23/

4 一見すると、使徒パウロは、独身を推奨し、結婚生活について皮肉を言っているように見えます。まず、当時の社会慣習の中で圧迫を受け、責められていた独身者に対して、信仰的励ましを与えています。独身の良い理由を、何と言っていますか。
・32,34節/

5 結婚して家庭を持っている人に比べれば、時間や持っているものを自由に使えます。主のために、信仰のために心を配ることが大いにできます。デボーションの時間も自由、礼拝出席も自由にでき、積極的に奉仕することができ、自分一人で決めて献げることができます。でも、あなたは、独身のクリスチャンとしてどうですか。独身だった時、どうでしたか。



6 既婚者は、独身者のように「どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配る」のではなく、どのようにすると言っていますか。
・33〜34節/


7 結婚した者は、「どうしたら妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、どうしたら夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります」と言っていますが、そのようにするなら、どんなに素晴らしい夫婦となることでしょうか。それなのに、結婚自体が不幸だとか、夫婦は大変だとよく世で言われるのは、どこに問題があるのでしょう。独身者との比較に目をとめましょう。
・コロサイ3:23/


8 独身者と比べて、「どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配る」ことが少ないと言われています。人は相手のことを考えると言っても、どうしても自分中心に考えるわけです。そうすると、そこに罪も思い違いも入って来ます。結婚は実は、人をキリストと教会に結びつけ、互いの信仰を高め合い、信仰に生きるようにさせます。「夫や妻に対してどうすれば主が喜んでくださるか、主が夫や妻にどうするように望んでいるか心配りなさい」と言っているようです。夫婦関係にどう応用できますか。それがあれば、夫婦関係はどうなると思いますか。



9 再婚についても、当時は否定的な見方が多かったようです。夫に死別した未亡人が家制度や慣習の犠牲になっていました。再婚するのもしないのも、どちらも良いのです。ただし、罪や過ちが入らないように、どういう観点が必要だと言っていますか。
・39節/

「命の実を刈り取ろう」

 人生を美しく、本当に幸いに生きようとするなら、すべてのことを「どうしたら主に喜ばれるかと考え、主のことに心を配る」ことです。すべてのことを「ただ、主にあって」して行くことです。今日の学びを通して、結婚や家庭や仕事に関して、どんなイメージで見、新しい取り組みをするように導かれましたか。

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