小グループで聖書を学ぶ

20愛は人の徳を建てる(Tコリント8:1〜13)

「心の門を開いて」

 聖書で教えられていることは原則です。それを適用する聖徒たちの現場はいろいろな状況の中にあります。重要なことは、御言葉の真理を、他の人の状況に合わせて用いていくことができるかということです。コリントで起こっていた具体的な事件を通して学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 その具体的事件として、偶像にささげた肉についての問題を取り上げています。どんな内容ですか。
・1節/


2 当時コリントで売られていた肉類のほとんどは、偶像にささげた後市場で売られていたようです。かつて偶像礼拝をしていたコリント人の中で、クリスチャンになった後、「偶像にささげた肉」を食べてもよいのかどうかが問題になっていました。ここで「「知識は人を高ぶらせる」と言われている知識のある人々の知識は、どのようなものですか。
・4〜6節


3 ある人々は、イエス様を信じた後は、神はお一人だけで、偶像は本当にはいないという信仰をしっかり持っていました。しかし、別な人々は、偶像崇拝を懸命に行って、それに囚われた習慣の中で生きて来たので、クリスチャンになった後でも、その習慣からは、中々自由になれませんでした。前者の人たちが偶像にささげた肉を気にせずに食べているのを、後者の人々が見たとしたら、どんな問題が起こると言っていますか。
・10節/


4 ここで問題になるのは、聖書の知識の少ない人、偶像崇拝の習慣から自由になれない人ではありません。唯一の神だけがおられて偶像などはいない、偶像にささげた肉もただの肉だ、食べても何でもないという知識を確かに持っている、そのような人が問題だ、と言うのです。なぜでしょう。なぜですか。
・8〜9節/


5 この問題は、偶像信仰からやっと抜け出て来た人々の情緒をまったく配慮しないことで起こってきた問題でした。偶像信仰から抜け出て来た人々にとっては、偶像にささげた肉を食べることは、偶像礼拝につながっているように思われたのです。このような事情をまったく考慮しないで、自分の知識や律法を主張する人は、どんな人ですか。聖書で教えられていることは原則です。それを適用する聖徒たちの現場はいろいろな状況の中にあります。重要なことは、御言葉の真理を、他の人の状況に合わせて用いていくことができるかということです。それを知らない人は、どんな人ですか。
・2節/


6 私たちが持っている真理の知識を動かすには、福音が必要です。私たちはイエス様の十字架のゆえに罪赦された者です。一方的に神様に愛された者です。イエス様は、私たちに何と言われましたか。(参考/Tヨハネ4:10)
・マタイ18:6,10/


7 自分に知識がある、信仰がしっかりしていると思う人は、「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てる」ということに心を向けなければなりません。これは、どちらが正しいかという問題ではなく、配慮の問題、愛の問題です。自分の自由が他の人の信仰に悪い影響を与え、自分の知識が信仰の弱い人を試みに陥らせます。どうすることになりますか。イエス様に対してどうすることになりますか。
・11~12節/


8 ある人がクリスチャンになって、以前の習慣から抜け出して、それまで囚われていた偶像や酒やギャンブルとの関わりを断ち切って、新しい人生を始めたとします。ところが、信仰の強い人が平気でしているのを見たら、昔の生活に戻ってしまうかもしれません。そうなったら、強い人の信仰が弱い人を滅ぼすことにないはしないかと問うています。それに対して、使徒パウロはどんな決心を告白していますか。
・13節/


9 このパウロの決心が、福音による愛です。クリスチャンの行動原理は、自分が持っている知識に基づくのではなく、福音によって与えられた愛に基づいて適用されるのです。これについて、あなたの思うことは何ですか。(参照/ピリピ2:4, ピリピ2:4)

「命の実を刈り取ろう」

 自分には安全でも、他の人には危険なことがあります。何でも食べる権利を持っています。偶像や供え物はむなしいことも知っています。自分は強い感情と多く知識を持っているでしょう。でも、福音による愛は、私たちに権利と自由は後回しにすべきだというのです。すべてのことが徳を高めるとは限りません。1節,Tコリント10:23。どのように人に対して行きますか。

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