小グループで聖書を学ぶ

1.選ばれた人々(Tペテロ1:1〜2)

「心の門を開いて」
 
 現代社会は、不安の時代と言われています。ますます混乱の度を極め、人々は、人生の土台をどこに置けばいいのか、将来への望みをどこへ向ければいいのか、日々の生活をどうすればしっかり歩めるのかということを模索しています。その答えが聖書の中にあります。キリスト教の真理を通して教えています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 この手紙は、誰が、どんな人々に書き送ったものでしょうか。(参考/使徒2:9〜10,11:19,Uテモテ3:11〜12)
・1〜2節/


2 かつて、イスラエルの民はカナンの地から追い出され、全世界に散らされて、多くの苦難を受けました。元々いた所から散らされたクリスチャンたちが、この地方に住むようになり、苦難を受け、痛みや悲しみを覚えていました。それで、「散らされた寄留者」と言われています。そんな経験をしたことがありますか。


3 クリスチャンは、言わば世に散らされた寄留者です。なぜなら、私たちの本来の故郷は天国であり、私たちは、天国から今いるところに遣わされ、散らされている者だからです。目的があってそこに散らされ、イエス様を証しし、人々を助け、人々に仕えるためにその場に寄留しているのです。その意識はありますか。
・ピリピ3:20/
・ヘブル11:13/

4 苦難を受けている寄留者を慰め、励ますために、繰り返し記されている言葉があります。彼らは、どんな人なのでしょう。
1~2節/


5 「選ばれた人々」ということは、「神様に知られている」ということです。「神の予知に従い、選ばれた」とは、「選びの教理」「予定論」と呼ばれています。私たちの救いと信仰生活についてとても大切なことを教えています。それは、どんな教えですか。引用箇所を読んで、どんなことが分かりますか。(ただし、誰が選ばれるか選ばれないかは、人が考えることではありません。主はすべての人々が救われることを願っておられます。)
・イザヤ45:4/
・エペソ1:4〜5,11/

6 神様は、私たちが誰であるか分かっていて、選ばれたということです。私の救い主が私のことをよくご存知なのだ、と知れば、苦難を受けている寄留者にとって、どれほど慰めと励ましとなったことでしょうか。「神の予知に従い、選ばれた」ということは、私たちの行いや何かの資格に寄るのではなく、まったく神様の一方的な恵みです。教会は、神様の選びから始まっているのです。これを知って、どう思いますか。


7 私たちが救いに選ばれたのは、「イエス様の十字架を信じて、イエス様に従って生き、霊的に造りかえられるため」ですが、なぜイエス様を信じる者たちに様々な困難と苦しみが訪れるのでしょうか。ここに、キリスト教の重要な苦難の神学があります。まず、どんな意味がありますか。
・Uコリント1:9〜10/
・詩篇119:71/

8 苦難は、とても重要な補助材料として用いられています。人は、世で平安に過ごせれば、別段神様を渇望しないでしょう。しかし、大きな困難が訪れれば、全面的に神様の御前に出て来て、熱心に祈ります。たとえ、目の前の困難のために幾度も心が弱くなったとしても、神様を信頼して委ねるようになります。そうすると、苦難をどのように受け止めるようになりますか。
・Uコリント4:8〜10/
・ローマ8:35,37/

9 当時この地方には、クリスチャンが多くいましたが、ローマ帝国の激しい迫害も受けました。私たちの周りにも苦難を受ける人々がいます。苦難を受ける意味は、自分が何かを得るだけでなく、他の人にも関係しています。何と言っていますか。
・Uコリント1:4〜6/

「命の実を刈り取ろう」

 神の選びの教理、予定論と言われるこの教理がなぜ重要なのでしょうか。私たちは、不安の時代に生きています。いつ混乱が起こり、災害にあうかもしれない世に生きています。しかし、神様は私をすべて知っていてくださいます。何の資格もない私たちを選び、イエス様の血、すなわちイエス様の身代わりの十字架によって、私たちを罪と滅びから救ってくださったのです。救いが神様の選びと予定にかかっていたのであれば、救われた者のその後も神様は知っておられ、苦難の中でも責任をもって導かれます。今日の学びで与えられた慰めや励まし、確信がありますか。ローマ8:30,32,エレミヤ29:11。

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