小グループで聖書を学ぶ
4.驚くべき救いと変化(Tペテロ1:10〜16)
「心の門を開いて」
平安な時よりも苦難の時に、人の本当の姿があらわれます。表面を取り繕う余裕がないからです。試練のときこそ、その人の信仰の真価が問われる時だと言えます。信仰と生活は密接につながっています。試練こそ、その人の中にある新しい命があらわれるのです。私たちも、御言葉を通して、自分の信仰とそのあらわれである生活を省みます。
「御言葉の種を蒔こう」
1 クリスチャンも、世に流されると、自分がどれほど尊いものかというイメージを失い、自分がだれであるか分からなくなって生きてしまいます。それでも、試練などを通して神様に立ち返り、御言葉によって信仰の自分を取り戻すのです。そのきっかけとして、どんなことを言っていますか。
・10節/
2 御言葉を記録した預言者たちでさえ、「熱心に尋ね、細かく調べた」と言って、御言葉に引き戻させています。苦難の中にこそ、御言葉に立ち返る時です。普段でも、ややもすると御言葉に生きようとすることを忘れます。そうすると、どこを向いてどう生きるようになりますか。(参考/Uテモテ4:10,イザヤ22:13,ルカ12:19)
3 世に流されて生きると、世のものを捜し求めますが、苦難の中では望みがなくなり、落胆し、絶望します。苦難の中にある聖徒たちの心を何に向けさせようとしたのですか。預言者たちが熱心に尋ね、細かく調べて知ろうとしたことです。
・11~12節/
4 預言者たちが知ろうとしたのは、救い主が受ける苦難の方法とその時がいつかということでした。それをもう手紙を読む者たちは、知っています。どんなことでしょうか。引用箇所を読んで、確認しましょう。
・使徒2:22〜24/
・使徒2:38〜39/
5 イエス様が私の罪と滅びの身代わりに十字架にかかってくださったというのは、驚くべき救いです。それほど自分は尊い存在だということを知るようになります。預言者たちの時代に比べて、はっきり福音を知ることができるのは、どんなに恵まれていることでしょう。宗教改革によって、人々は聖書を自分たちの言葉で読めるようになりました。私たちも、この恵みを忘れていませんか。恵みを覚えてどう思いますか。
6 驚くべき救いの結果、その信仰は、人々の生活に反映して来ます。イエス様に救われた人には、どのような変化、生き方が求められ、期待されていますか。
・13〜16節/
7 「心を引き締め」というのは、「心の腰を帯で締める」という意味です。「腰を帯で締める」という譬えは、何か事を始めようとしたり、どこかへ出かけようとしたりする人の姿勢です。今まで自分の問題だけに陥って、絶望して落胆していた聖徒たちにどういうことが求められていたのですか。同じことばを使われている箇所を参照しましょう。
・ルカ12:35〜36/
・エペソ6:13〜15/
8 サタンはクリスチャンを騙して、信仰の人を倒そうとします。それは、世に流され、問題や苦難のことで頭も心もいっぱいで、クリスチャンとしてどう生きるかなどと考えないようにさせます。そうすると、例えば、どうなるでしょう。(参考/Tコリント3:3,ローマ8:5,7)
9 神様が救いに選ばれた人々に対する目的は、二つあります。まず従順になって神様の御心をなすことであり、次にイエス様のように聖いものに変えられていくことです。私たちは、世に流されて生きてしまうと、この大切な信仰生活の目的を忘れて、「肉に属する人、ただの人のように歩んで」しまいます。忘れていませんでしたか。思い当たることはありませんか。
「命の実を刈り取ろう」
聖徒たちに求められたことは、自分の問題だけに陥って、絶望し、落胆していたところから、御言葉に立ち返って、救われた時の気持ちを取り戻し、心を整え、信仰生活を回復することでした。神様の召しに応答するのには、二つあります。いつもしている悪習慣を絶つことと今まで滞っていたなすべきことをすることです。新しい発見、導かれた決心などを分かち合いましょう。(参考/エペソ4:17,24, ローマ12:2)