小グループで聖書を学ぶ

5.主に望みをおく信仰(Tペテロ1:17〜21)

「心の門を開いて」

 クリスチャンは、望みをもって生きる人々です。信仰自体が望みです。この信仰の望みが現実で力を発揮できず、道に迷い、憂うつで汲々として生きなければならないのはなぜでしょうか。聖書は、世で苦難を受け、この望みに疑いを持つクリスチャンに、望みを持って生きて行けると教えています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 クリスチャンは、望みをもつ人々です。それなのに、望みがもてません。人は、自分の願いを満たして、思うようにできるようにと望みを持つでしょう。しかし、これは私たちの真の望みではありません。望みを持って生きて行くクリスチャンの生き方とは、どんなものなのでしょうか。
・17節/


2 「地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい」というのは、自分自身を世においては旅人であり寄留者であることをわきまえて生きなさい、ということです。旅人であり寄留者であることをわきまえて生きるには、神様を「恐れかしこんで」神様を「公平にさばかれる方」とするようにと言っています。どういう意味ですか。



3 「恐れかしこんで」いうのは、怖いという恐れではなく、神様に畏敬の念を抱く、ということです。神様を「公平にさばかれる方」というのは、神様を信頼することです。このように神様を覚えて旅人であり寄留者であることをわきまえて生きるのと、すべて自分の肉の思い中心に見て思いのまま生きようとするのとでは、人生はどう違って来ると思いますか。
・18節/


4 17節のような生き方でなければ、18節の「父祖伝来のむなしい生き方」のようになるでしょう。と言っています。私たちが幼い頃から抱いて来た世の価値観や習慣が、なぜむなしいのですか。イエス様を信じると、人生の価値観や生きる目的がどう変わるのですか。(参考/伝道者2;11,Uコリント5:9)

5 世においては旅人であり寄留者として生きて行きますが、人生の目的は変わりました。世で信仰を実践しながら、神様を喜ぶ生涯を生きて行くのが目的です。神様は、私たちの人生をどれほど祝福して、尊いものとしておられるでしょうか。私たちが、望みをもって生きて行けるようになった素晴しい原因があります。何ですか。
・18〜19節/


6 贖いという言葉は、本来どういう意味ですか。この言葉は、イエス様のどんなことをあらわしていますか。それは、私たちとどんな関わりがありますか。
・ルツ4:3〜4/
・マタイ20:28,ローマ3:24/

7 神様は、私たちをむなしい生き方、罪の奴隷から救い出すために、大変高価な代価を払ってくださいました。私たちを滅びから救う命の代価として、神の御子イエス様を十字架に渡されたのです。私たちは、御子イエス様が代価を支払い贖われた尊い存在です。あなたは、これを知って、自分をつまらない者と言うことができますか。つまらない生き方をしていけますか。



8 −クリスチャンは、望みをもって生きる人々ですが、聖書は、私たちのすべての根本的な望みが誰に、どんなことにかかっていると言っていますか。
・20〜21節/


9 イエス様の十字架による贖い、この神様の御業が望みの元でした。ここで、神様は、「死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた」方だと言われています。イエス様を死者の中からよみがえせることができたなら、他にできないことがあるでしょうか。
・ローマ8:32/

「命の実を刈り取ろう」

 人が望みを置きがちな世の価値観は、神様の御前にはむなしいと言われています。神様の御目には、砂上の楼閣を築いているようだからです。たちまち崩れ、何も残りません。私たちの望みは、神様がくださる喜びで心を満たし、神様が喜ばれることをして行くことです。神様の恵みを求めて生きるなら、世で神様が責任を取ってくださいます。御言葉を学んで、神様があなたに願われることは、どんなことだと分かりましたか。示された具体的な適用を分かち合いましょう。(参考/Tコリント6:20, エペソ1:12)

戻る