小グループで聖書を学ぶ

3.試練の中での喜び(Tペテロ1:6〜9)

「心の門を開いて」
 
 クリスチャンは、ユニークな存在です。それは、世の人々が知ることのできない喜びを持っていることです。信仰生活は、祝福の道ばかりでなく、暗い谷間や苦難の道もあります。しかし、その最中でも、世で比べることのできない神様の祝福が臨むようになります。

「御言葉の種を蒔こう」

1 クリスチャンも、経済的な不安に陥ったり、家庭の問題に悩んだり、病気になって痛んだり、人間関係に苦しんだり、精神的な辛さを味わったりします。試練に会えば、悲しんで落胆し、憂鬱になります。ところが、そのような苦難の中にあっても、どのようになると言っていますか。
・6節/


2 「様々な試練」に加えて、クリスチャンは、世の人々が経験しない痛みまで受けるようになります。それは、神様の御心が分からずに受ける痛みです。御心が分からないまま試練の期間が長くなると、望みがなくなり、喜びが奪われ、ひどい霊的沈滞に陥ってしまいます。そのような状態期間をどのように受け止めるのでしょうか。(参考/イザヤ54:7)
・6節/


3 「悲しまなければならない」と言っています。試練は避けがたい霊的な必要があってのことだということです。試練は、悪い意味でも、サタンの誘惑の意味でなく、何か必要があっての試練だということです。試練は、神様の摂理の中にあって、目的があると教えられています。引用箇所を読んで、思うところ分かち合いましょう。
・ローマ5:2〜4/


4 私たちが様々なことで苦しむのには、理由があります。この譬えからすると、試練を通して、私たちの信仰がどうされると言われていますか。
・7節/


5 金の原鉱石を高温の溶鉱炉に入れて、科学薬品を入れて、高温で溶かして、不純物を取り除くと、輝くばかりの純金を得ることができます。私たちが試練に会うことは、一時は辛く悲しくなるのですが、信仰が聖められ、自我が砕かれて神様を信頼するようになり、信仰が純粋に本物にされて行くのです。神様の御前に称賛と光栄と栄誉を受ける者になるというのです。このような理由を知って苦難の受け止め方に変化が生じますか。



6 7節の「試練」は、「試験、試金石」という意味があります。苦難はただの苦難ではなく、信仰の試験、信仰の試金石という意味を持つことになります。岩石の専門家が金鉱石を精錬して、原石から金を取り出すように、神様は私たちのうちにある金よりも尊い信仰を様々な試練を通して取り出してくださいます。艱難辛苦汝を玉にする、という格言のように、試練で精錬された信仰は、宝石のようにされるのです。私たちは宝石と変えられる原石だと知って、どう思いますか。(参考/Uコリント4:7)



7 試練の中での喜びを持つことができるのは、何のゆえだと言っていますか。試練の中でも喜べる秘訣、理由は、何だと教えていますか。
・8〜9節/


8 クリスチャンが試練の中で苦しむ大きな理由は、苦難に会うのは自分が信仰生活をよくできなかったためだと考え、熱心に信じていたことが何の役にも立たなかったと思われ、信じていても試練にあっているじゃないかと周りからもはずかしめられるからです。しかし、そうではなくて、試練は純粋な信仰にされ、尊い存在とされるための精錬のプロセスだったと知って、苦難の中にあったクリスチャンはどう変わりましたか。
・6節
・ヤコブ1:2〜4/

9 クリスチャンが、自分の力で試練の道を歩まなければならないと思うなら、どれほど辛くて、憂うつであるか分かりません。しかし、そのような時、イエス様の救いを得ているのを確信するのです。イエス様は、私たちの救いのために、どのような苦難を受けられましたか。(参考/Tペテロ2:24,ヘブル2:18)


「命の実を刈り取ろう」

 イエス様による救いを確信するなら、初めて体験するかのように神様を信頼し、信じ直すかのようにイエス様の救いの素晴しさを味わい、御霊に満たされるようになります。その時、天国にでもいるような平安を覚え、言いようもない喜びにみたされるのです。そうして、試練の中でも、喜びを感じることができるのです。今日の箇所を通して受けた導き、慰めや励ましを分かち合いましょう。Uコリント6:9〜10。

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