小グループで聖書を学ぶ

7.御言葉による成長(Tペテロ2:1〜3)

「心の門を開いて」

 私たちは新しく生まれた者です。私たちは、イエス様を信じて生まれ変わったのに、モーセやエリヤのように力ある人生を生きることはできないのでしょうか。新しく生まれた者は、成長しなければ、霊的な子どものままです。どうしたら成長できるのでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 人は、食事を取らないと、体に偏重を来たし、病気が生じて来ます。イエス様を信じて生まれ変わったにもかかわらず、神様の生ける御言葉を食べないと、どうなりますか。
・1節/


2 御言葉の養育がなければ、聖徒たちは、たましいに必要な糧を供給されないまま、霊的成長がなく、不健康な状態にならざるを得ません。私たちも、神様の御言葉を心に聞くことができなかったり、御言葉が心から流れてしまうこともあります。「悪意、ごまかし、偽善やねたみ、悪口」などの現象が、私たちにもしばしば生じていないでしょうか。どんな時に生じて来ますか。



3 残念ながら、「悪意、ごまかし、偽善やねたみ、悪口」等は、私たちにもしばしば生じるものです。私たちは、自分の中にそれらが生じているのを、主の前にそのままにしておくわけにはいきません。それらをどうするように命じられていましたか。連動して、どうすることが必要なのですか。
・ヤコブ1:21。


4 イエス様は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)と言われましたが、私たちは、御言葉をどのようにして生きるのですか。
・2節/


5 「生まれたばかりの乳飲み子のように〜慕い求めなさい」という表現は、私たちのどういうことが譬えられているのですか。私たちに何が必要だと教えているのでしょうか。(参考/Tペテロ1:23)



6 私たちが本当に生まれ変わった者であるなら、私たちにとって無くてはならないのは御言葉です。「純粋な御言葉の乳」を飲むならば、どうなると教えていますか。(参考/エペソ4:13〜15)



7 人はずっと乳を飲んでいるわけではなく、成長して行けば普通の食物を食べられるようになります。私たちの信仰の成長も段階があるようです。信仰について、どんな成長段階があり、どんな特徴があります。(参考/Tヨハネ2:12〜14)



8 信仰の幼子は、とにかく御言葉食べて育つことが本業です。ところが、多くの人が御言葉を食べずに、ずっと幼子のままということがあります。すると、どのようになりますか。成長していくには、どのような御言葉を食べることが必要ですか。この譬えは、どんなことを譬えていると思いますか。(参考/Tコリント3:2〜3)


9 幼子の時、食べさせて、服を着させて、体を洗ってもらって、母の愛を体験します。親の愛は、成人となるまで中断することはありません。同様に、神様は私たちがイエス様を信じた時から、私たちをご自分の子どもとしてくださり、見捨てることはしません。私たちがすでに何を味わっていると言っていますか。
・3節/
・詩篇34:8/


「命の実を刈り取ろう」

 「すでに主の慈しみを味わっている」のなら、私たちは神の御前でどのように生きなければなりませんか。徹底して神様を信頼して、御言葉を食べて生きることです。中には、御言葉だけ食べていて、世の中で生きて行けるかと不安になる人がいます。逆です。私たち新しく生まれた者が御言葉を食べなければ、病気になり、成長できません。御言葉で成長してこそ、神の栄光をあらわし、世で活躍することができます。「すでに主の慈しみを味わっている」のだからという「主の慈しみ」は、ご自分の命を十字架にかけてまで私たちを愛して下さったほどのものです。これから、霊的成長するためにどうして行こうと決心が導かれましたか。Uペテロ3:18。

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