小グループで聖書を学ぶ

11.キリスト者の自由(Tペテロ2:13〜17)

「心の門を開いて」

 私たちは、社会の一員であることをわきまえ、責任をもって生きなければなりません。その時の鍵となることが、「キリスト者の自由」です。それは、自分勝手にする自由、人から干渉されない自由ではありません。キリスト者の素晴しい自由を学び、社会での生活にしっかり適用していきましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 キリスト者と国家、社会や政治の問題は大事なことです。クリスチャンは、世に対してやや間違った思いを抱き、世に適用しない人になる可能性があります。精神的には素晴しいことを知っているのに、現実を無視して生きている人々がいます。この箇所では、イエス様を信じた者たちが、世でどうするようにと勧めていますか。
・13節前半/


2 イエス様を信じた者たちが、世のすべての制度を認めて、従うようにと勧めています。世を信仰で生きることは重要なことです。私たちが世の制度や体制を認めて従うべき理由は何だと言っていますか。
・13後半〜14節/


3 世の制度を認めて、従うようにと勧める理由は、為政者たちが、「悪を行う者を罰し、善を行う者をほめる」働きをするからですが、私たちにどう関わっていると思いますか。



4 よく、この世は信仰の世界と別だと切り離し、世の生活をなおざりにする人々がいます。しかし、健全な神の国論は、教会と世を別にする二元論ではなく、この世も神の支配にあるのです。世の権威と神様との関係について、聖書は何と教えていますか。
・ローマ13:1~3


5 イエス様を信じる者が、世にあって旅人や寄留者としてどんなに熱心に最善を尽くしていても、憎まれたり、攻撃したりする愚か者がいると言っています。なぜ、そうなのですか。それに対して、どうするように教えていますか。
・15節/
・ローマ12:21/

6 私たちは、対抗したり、戦かったりすることはしません。私たちがすべきことは、神様に祈り、忍耐することです。抑圧やさげすみを受けても、忍耐して、善を行って親切にしたら、攻撃やさげすみを続けることができるのでしょうか。そういう姿を通して、どのような思いを抱くようになると思いますか。



7 権威に従うことは嫌だし、自分は奴隷ではないと人は言います。しかし、キリスト者が世の制度に従い、世の権威を尊重する理由があります。実はどういう者だからと言っていますか。
・16節/
・ローマ6:6,17〜18/

8 普通自由と言えば、人の干渉を受けないで、自分の思うままに何でもできることを自由だと考えます。しかし、それは本当の自由ではありません。本当の自由は、どうすることを命じていますか。
・ガラテヤ5:13/


9 イエス様を信じることで罪と滅びから救われ、自由にされたから、罪の奴隷から解放された自由をもって、人々に仕え、世の制度や権威に従うのです。信仰で正しいと思うことができる自由です。肉の欲に囚われない自由、人を妬まず憎まない自由、人を赦し祝福できる自由です。クリスチャンは、この自由をもってどのように世で生きるのでしょうか。
・17節/

「命の実を刈り取ろう」

 救われた者は、もはや罪の奴隷ではなく、滅びから解放されている存在です。生意気に反発するのでなく、自由だからこそ従う崇高な精神こそ、信仰者の姿です。私たちが人を愛し、大切にするなら、自分もそうしてもらえるのでしょう。しかし、機嫌が悪い時、人にもそのように接するなら、一つのたましいを傷つけることになります。キリスト者の自由の基本は、イエス様の十字架によって救われて、罪と滅びの奴隷から解放されている自由です。ヨハネ 8:32。私たちは、神様のしもべとして、神様に礼拝すること、神様の御旨に沿って生きることが最も大きな喜びとなっている者です。神様を礼拝できる自由こそ、最大の自由です。「キリスト者の自由」を学んで、決意したことは何ですか。

戻る