小グループで聖書を学ぶ

8.人生をどこに築きますか(Tペテロ2:4〜8)

「心の門を開いて」

 人は、人生を築いて行くのに、基礎を築くことがまず大切です。聖徒たちは、苦難の中で人生の土台が揺らいでいました。それで、苦難の中にいる聖徒たちが、信仰の人生の基礎を築いていけるように教えています。私たちもそれに学び、人生の基礎を築いて行きます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 神様は、私たちのために、素晴しい祝福の基礎を用意してくださいました。クリスチャンの人生の土台は、何ですか。(イザヤ28:16)
・4節/


2 神様の祝福は、人生の基礎として救い主イエス様を用意してくださいました。しかし、私たちの人生の基礎となられるために、イエス様が「人には捨てられた石」となったというのです。どうして、捨てられた石になったのでしょうか。
・イザヤ53:2〜8/
・ルカ9:58/

3 神様はイエス様という生ける礎石に私たちの人生を建ててくださいました。神様の愛のある美しい人生としてくださいます。自分の人生をイエス様の基礎の上に建てる時、愚かだとあざけられることもあるでしょう。自分でも、他の土台の方が良いのでは、と不安になることがあるかもしれません。しかし、イエス様という岩の上に人生を建てるのと、そうでないものの上に人生建てるのとでは、結果的にどれほどの違いが出るのでしょう。
・マタイ7:24~27/


4 人が頑張って人生を築いて来たのに、違った土台の上に人生を建てていたということがあります。砂上の楼閣ならば、人生の嵐が来ると、あっという間に崩れてしまいます。ややもすると、クリスチャンも、そのような砂の基礎に人生を築きやすいのです。なぜ、そのような基礎の上に人生を築こうとしてしまうのでしょうか。1世紀にあったラオデキヤの教会を参照してみましょう。
・黙示録3:17〜18/


5 私たちも、ラオデキヤの教会のようになり易いのです。何の上に人生を建てているのでしょうか。人生の礎石は何ですか。何を頼りに生きていますか。人生の中心はイエス様ですか。イエス様に喜ばれることが言動の元になっていますか。



6 私たちがイエス様を信じる信仰に人生の基礎をおくと、救われた私たち自身がどのようにされると言っていますか。
・5節/
・エペソ2:20〜22/

7 「霊の家」とは、時代や地域を越えた教会、救われた聖徒の集まりです。私たちの人生の土台はイエス様ですが、私たち自身も、神の家を築く一つ一つの石として用いられるのです。そして、具体的なあきる台BCという教会の礎石とされているのです。私たちは、次の世代のための良い基礎を造り、私たち自身が未来に続く教会の基礎となるのです。救われる人々の礎石とされるのです。このようなことを知って、どう思いますか。



8 この手紙の受け手であった聖徒たちは、苦難の中で人生の土台が揺らいでいたようです。問題に苦しみ、悩むと、間違った考えが入って来やすいものです。イエス様を信じたのにどうして、見捨てられているのだろうか、と信仰が揺らぐのです。イエス様を人生の基礎とする者は、どうだと教えていますか。
・6〜8節/


9 この手紙を記している使徒ペテロは、本当の名は、シモンです。ペテロというのはイエス様が付けてくださったものです。その意味は、「石」です。「霊の家の礎石」とするということです。なぜ、イエス様は、こんなあだ名をつけたのですか。
・マタイ16:16,18/

「命の実を刈り取ろう」

 ペテロの素晴らしい信仰告白の上に、イエス様の教会が立てられると言われました。私たちは、イエス様が私のために十字架に死なれたと信じて、告白した者です。それは、自分の人生がこの救い主イエス様の上に立てられたことになります。イエス様の救いイがイエス様以外の何かに人生の土台を置けば、それはいつか取り去られたり、崩れたりしてしまいます。救い主イエス様こそ、私たちの人生の磐石な基礎、生ける礎石です。この箇所を学んで、あなたが示されたこと、受けた導きはどんなことですか。

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