小グループで聖書を学ぶ

9.今は神の民です(Tペテロ2:9〜10)

「心の門を開いて」

 現代のクリスチャンは、自分のアイデンティティーがどれほど素晴しいものであるか分からない人が多いようです。かえって、素晴しい身分を世の人の条件に合わせようと動き回っています。この箇所は、私たちがどのような者にされているのか、どのように生きる者とされているのかを教えています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 私たちがイエス様を信じた瞬間から、神様の恵みを享受できる特権を与えられ、神様の召しに生きる道が用意されています。しかし、世には、知識、財産、権力、富貴、栄華などに目を引かれ、揺れ動いています。私たちは、イエス様を信じることで、罪赦され、永遠のいのちが与えられていることは知っていますが、自分たちが神様の御前に特別な身分を持つ者とされたことを知らないようです。この箇所には、私たちが持つようになった神の民としての特別な身分が記されています。どんなものですか。
・9節前半/


2 私たちがこのような尊い身分とされたのには、理由があります。何のためだと言っていますか。
・9節後半/


3 素晴しい身分の中身を確認しましょう。「選ばれた種族」とは、私たちが神様の民となったのが、私たちの考えや決断のよるのではないということです。その「選ばれた」ということは、どんな目的があって生きる者なのでしょう。「選ばれた」自覚がありますか。
・ヨハネ15:16/
・Tコリント10:31/

4 「王である祭司」とは、旧約時代の大祭司のことですが、どんな働きをするのですか。私たちは、何をもって人々の救いのために大祭司の働きをするのですか。周りの人々のためにどのような祈りをしていますか。
・ヘブル5:1/
・ヘブル9:14/

5 「聖なる」と訳されたハギオスは、汚れから分離し、神に属する者にされたという意味です。私たちは、何によって聖い民とされたのですか。
・ヘブル13:12/


6 「神の所有とされた民」とは、イエス様の十字架の死によって救われた私たちは神様の所有物だということです。では、以前は、何の囚われ人だったのですか。どんな状態から解放されて、神の所有とされたのですか。
・エペソ2:1〜3/


7 「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」とは、個人のことではなく、クリスチャンの集まりのことです。それは、個人とは比べようもなく大きな強いものです。私たちクリスチャンの集まりは、素晴しい恵みと影響力を秘めているのです。イエス様を信じた者たちが集まって礼拝の生活をしていることは、どれほど素晴しいことでしょうか。それを、どのように感じていますか。



8 このような尊い素晴しい身分とされたのは、人々の救いのためでした。私たちが神様の栄光をあらわし、世に証しして行く元は、何ですか。私たちがどういう者とされたからですか。
・10節/
・Tテモテ1:16/

9 「以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者」ということが、どんなに愛と恵みに満ちたことでしょうか。私たちは、以前は罪と罪過の中で死んでいたようなあわれな中にあったのに、今はイエス様の十字架のゆえに、罪の赦しと永遠のいのちに与るというあわれみを受けた者です。あわれみを受けたことを忘れてはいませんか。罪過と罪との中に死んでいた者、サタンの囚われ人をあわれに思わないでしょうか。
・エペソ2:4〜5/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、神様から驚くべき地位と特権を与えられました。世の人々の救いのために重要な存在です。その身分を汚してはなりません。その働きをおろそかにしてはいけません。私たちは、世にあって、最も高尚な、最も尊い者として、最も大切なたましいの救いのために生かされ、世に置かれています。私たちは、「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」として、神の栄光をあらわし、イエス様の素晴しい福音を証しして生きて行く者とされています。この神様のあわれみと恵みに、どのように応答していこうと示されましたか。Tテモテ1:16

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