小グループで聖書を学ぶ

16.苦しむ者のために主が苦しまれ(Tペテロ3:18〜22)

「心の門を開いて」

 イエス様を信じて、善を行っているのに、なぜ苦難を受けるのだろうか、と聖徒たちは悩みます。「というのは」という言葉が、18節の原文にはあります。善を行っているにもかかわらす、苦難をうけるクリスチャンに対して、イエス様の苦しみを通して、励ましを与えている箇所です。

「御言葉の種を蒔こう」

1 クリスチャンとして善を行っても、苦難を受けるのはどうしてなのか悩みます。正しく生きている聖徒たちが、苦難にあって葛藤しています。苦難を受けている聖徒たちに対して、どんな例を挙げて、励ましていますか。
・18節/


2 苦難を受けている聖徒たちに対して、イエス様を例として挙げ、勝利することができることを教えています。神の御子であるイエス様が世に人となって来られた時、人々の反応はどうでしたか。イエス様は、忠実に御父の御心をなしておられました。しかし、どんな待遇を受けられましたか。どんな生活を味わわれましたか。
・ヨハネ1:46/
・マタイ11:19/
・マタイ8:20/

3 イエス様がこのような人生を生きた理由は、私たちの罪の身代わりとなるためでした。そして、復活されたイエス様は、私たちを新しい命に生きる者としてくださいました。イエス様は、ご自分の使命に生きることを第一とされ、その過程で大変な痛みを受けられました。このイエス様の姿は、どういう意味があると言っていますか。私たちにどうするように言っていますか。
・Tペテロ2:21/


4 苦難を受ける私たちは、イエス様が苦しみを受け、苦難に会われたことを思い出します。それも私たちのために苦しみを受けられたと知るなら、どのように受け止め、どう思うようになりますか。


5 イエス様は、世で生きながら、一度たりとも人に悪をなしたり、言ったりすることはありませんでした。貪欲や欲心に陥ったこともありませんでした。有名になったり、富を築いたり、権力を握ることはできたけれども、生涯の目標を神の御心の実現、十字架に置きました。ノア例が引用されています。神様に忠実に従って箱舟を作ったノアは、悔い改めなかった人々からどんな苦しみを受けたと思いますか。
・20節/


6 神様の命令に聞き従って海も湖もない所で箱舟を造っていたノアは、人々から認められず、あざけられ、馬鹿にされたことでしょう。認められない、否定される苦しみです。あなたも、神様に忠実に従って歩んだにもかかわらず、善を返しているにもかかわらす、認められない、否定される苦しみを経験したことがありますか。
・Uテモテ3:12/


7 水(洪水)を通って救われたことは、信じて洗礼を受けることになぞらえています。ここで、洗礼の意味を説明しています。洗礼は、私たちのどんなことを示していますか。
・21〜22節/
・ローマ6:4/

8 洗礼は、私たちの古い自分が死に、世的な欲心が死んだことを示しています。生まれ変わって、新しい命に生きて行くのです。洗礼は、「肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓い」だと言っています。洗礼は、私たちの中にある信仰が生きて働いて、世の欲心を退け、自ら進んで神様に従っていくことを表明することです。洗礼を受けた者たちは、あざけられ、苦しみを受けても、箱舟を作ったノアのように、忍耐と痛みの中で使命を果たしながら、信仰で生きて行くのです。どんな箱舟を造って生きていますか。



「命の実を刈り取ろう」

 苦難をさけて簡単に生きようとしないでください。それは、イエス様のしもべとして相応しい姿ではありません。イエス様がのこされた姿は、苦難のある人生です。ノアのように、人から馬鹿にされても、船を作り続けなければなりません。肉の思いをまっとうさせる道があったとしも、その道ではなく、あざけりと非難が浴びせられても、善を行い、信仰で生きる道を歩みます。世にあって、私たちは、イエス様の姿にならって、苦難を受け止め、信仰で勝利する人生を歩むのです。この学びを通して、悔い改めたこと、慰められ励まされたこと、導かれたことがあれば、分かち合いましょう。Tヨハネ5:4〜5。

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