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19.試練を怪しまない(Tペテロ4:12〜19)

「心の門を開いて」

 大きな試練に出会うと、なぜこのような試練に会うのだろう、信仰が足りないのだろうか、と思います。動揺し、思い乱れて、疑い、不信に陥るようになります。このような反応、思いは危険です。困難が来る時、私たちはどのように受け止めるのでしょうか。どんな意味があるのでしょうか。


「御言葉の種を蒔こう」

1 突然大きな試練におそわれる時があります。突然の失業、破産、病気、別離、事故、災害等々、持っていたものを一遍に失ってしまいます。そのような試練に会うと、人は再び起き上がる意欲さえ失い、自暴自棄に陥ることでしょう。そのような試練を何と言っていますか。
・12節/


2 「燃えさかる火の試練」と言う譬えは、金属を精錬する溶鉱炉の火のイメージですが、どんな意味があるのでしょうか。
・詩篇66:10/
・Tペテロ1:7/

3 原石が溶鉱炉で溶かされて、純粋な金や銀がえられるように、イエス様を信じた者たちが様々な試練を通って、純粋な信仰にされるのです。火の試練は、罪のために受けるものではなく、見捨てられたからでもありません。美しく整えられるためなのです。だから、どうするようにと言っていますか。なぜ、そうできるのですか。
・13節/
・Uテサロニケ1:5,7/

4 「火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しんではいけない」と言っていますが、どうして火の試練を驚き怪しんではいけないのですか。驚き怪しんだ経験がありますか。(参考/ルカ24:37)
・12節/


5 驚き怪しんでしまうと、「どうして、なぜ」という不信と疑心に陥り、困惑し、絶望に陥ります。しかし、人生のどん底で神様の御言葉を聞く時、私たちの心に染み入り、消化され、私たちの人格の中に入って来るようになります。私たちは、火の試練を通ることで、自分の信じる神様が本当の神様だと告白するようになります。重要なことは、突然の火の試練を驚き怪しむのでなく、信仰で対処することです。信仰で受け止めて、対処することができたことを分かち合いましょう。



6 火の試練に意味があることは分かりましたが、もっと重要なことは、火の試練をどのように耐えるかということです。イエス様を信じる者は、火の試練を受けても滅びません。主の民には、他の人の知らない秘密があるからです。それは、どんなことですか。
・14〜16節
・ローマ8:11/

7 主の御霊がともにおられるのですから、信仰にあって受ける苦難は、試練であって、滅亡することはありません。苦難の中で自分の欲望に従って生きるなら、滅びに向かうことになります。しかし、クリスチャンには、火の試練は終わりではなくて、後に神様の祝福が与えられるようになります。試練に出会っても守られ、乗り越えられるどんな約束がありますか。
・Tコリント10:13/
・ヨハネ16:33/

8 誰でも、火の試練に会います。人々が悔い改めて立ち返って来るのを待っておられる神様は、この世の罪をそのままにしないで、裁かれます。しかも、神様の家からはじめられると言います。でも、イエス様を信じている者は、火の試練を通して残っている罪と欲心を吐き出すようにされて、天国へ入るようになります。どうするように勧められていますか。
・17〜19節/


「命の実を刈り取ろう」

 火の試練の中で、「信じているのに、なぜ、どうして」と怪しまないことです。誰でも、火の試練にあいます。神のみこころに従ってなお苦しみに会っているなら、「創造者に自分のたましいをお任せ」すればいいのです。19節。真実である神様が責任を取ってくださいます。恐れる必要はありません。イエス様に救われた者なのですから、火の試練を乗り越え、勝利することができると信じることです。ローマ14:8。あなたは、今どんな試練に会っていますか。苦難の経験と御言葉を通してどのようなことを学び、示されましたか。

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