小グループで聖書を学ぶ

2 主の導きの中で (T列王記1:15〜53)

「心の門を開いて」

 事実は小説よりも奇なり。ダビデ王からソロモン王への王位継承のドラマは、緊迫感とどんでん返しがあり、登場人物の姿を通して人のあり方、信仰の確かさを私たちに見せてくれるところです。私たちの人生と生活を重ね合わせながら学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 アドニヤ王子が、野心をもって王となろうと立ち上がり、ほとんど王になったかのような状況です。そのままアドニヤが王となれば、バテ・シェバも、その子ソロモンも殺されてしまうでしょう。この危急な状況で、バテ・シェバは、どうしましたか。
・15〜18節/


2 バテ・シェバは、危急の時でありながら、落ち着いて話しています。もし感情的になって、老衰しているダビデを責めていたら、ダビデも感情的になって、話ができなかったでしょう。アドニヤ王子陣営は、準備万端のように見えて、決定的に足りないものがあります。それは、何ですか。バテ・シェバは、ダビデに何を求めましたか。
・20〜21節/


3 重要なことは、ダビデの判断と決心です。次の王を決定しないままダビデが死ねば、アドニヤ王子に決まってしまうでしょう。バテ・シェバがこのように求めただけでは心もとないかもしれません。そのために、誰が来て何と言いましたか。バテ・シェバが言うのとどこか違うところがありますか。
・24〜27節/


4 ナタンが入って来て、バテ・シェバが言ったことは事実であって、アドニヤ王子による王位簒奪が深刻な状況にあるとダビデ王に報告しました。老衰してベットに横たわっているダビデ王が、バテ・シェバの願いとナタンの報告を聞いて、どのように反応するかということが問題です。ダビデが命令し、させたことは、どういうことですか。
・28〜30節/
・32〜35節/

5 バテ・シェバを呼んで来させ、ソロモンを王とするという約束を確認し、それを公表すると決定しました。ダビデは、すぐにアドニヤに組しなかった家来たちを呼んで、ソロモン王の即位式を挙げるように命じます。的確に矢継早に命令を出し、またたくまにソロモンが王となります。神様の御心は、このように進行していくのです。神様の御言葉は時間が経とうと変わることはありません。状況が変わっても、効力がなくなることもありません。どんな状況にあろうと、私たちは、どうすることが大切ですか。
・イザヤ41:9〜10/


6 一気に形勢は逆転しました。何と、アドニヤの野望が、ダビデにソロモンへの王位継承の決心を与え、即位を早めることになりました。これが神様の導きです。神様の御心ならばなるということです。私たちの人生にも、これがあるということです。状況が変わらないように見えても、御言葉の約束を握る者には、神様の御心が進んでいるのです。神の時が来れば、変わるのです。あなたは、このことをどう思いますか。



7 「苦難から救い出してくださった主は生きておられる」とダビデは信仰告白していますが、「救い出す」とは「代価を払って」という意味です。29節。まさにイエス様の十字架がそうです。イエス様が、私たちを罪と滅びから救うためにご自分の命を代価として払われました。この救いに与った私たちは、どう生きることができるようになりましたか。
・Tコリント6:20/
・ローマ8:31〜32/

8 イエス様を犠牲にして私を救われた神様が味方なのです。私を恵んでくださらないはずがありません。誰が私に敵対できるでしょうか。信仰とは、この救いの約束が自分の人生の一つ一つに及ぶことを確信することです。都での民の歓声と角笛の音を聞いて、ソロモン王の即位式が行われたことを知ったアドニヤ王子たちは、どうなりましたか。
・46〜49節/


9 神様が喜ばれない集まりは、大勢集まっていても、中身のない集まりでした。神の民には、委ねられた重要な使命があります。それは、神様の御心を求め、神様の導きに従うことです。人の多さや流行に左右されず、付和雷同になりません。神の御心がどこにあるか、主が喜ばれることは何か、それが神の民の思考や行動のもととなります。では、神様の御心がどうして分かるのでしょう。
・エレミヤ33:3, Tコリント2:16/

「命の実を刈り取ろう」

 むしろ、王位簒奪というアドニヤ王子の野心と企みが、ダビデ王の正しい判断と決心を引き出しました。今困難な状況にあるからと言って、駄目だと思わないでください。今勝手な人が力をふるっているように見えても、希望があります。それが、正しいことへのきっかけになり、逆転のはじまりになっているからです。謙遜に神様の導きを信頼して行くなら、守られ、導かれ、やがて引き上げられます。学びを通して与えられた慰めや導きは何ですか。気付かされたことはどんなことですか。Tペテロ5:6。

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