小グループで聖書を学ぶ
14 幸いな人 (T列王記10:1〜29)

「心の門を開いて」

 ソロモンの知恵を聞きに来たシェバの女王、世間によく知られています。シャンソンの名曲や映画が作られ、バレエや歌劇の題目としても取上げられています。人々の興味を引く人物です。しかし、直接聖書を読むと、そこには私たちにとって大切なメッセージが示されています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 世間では、女王の国シェバとはどこにあったのかが取り沙汰されています。携えてきた品物からアラビヤ半島の南端にあるイエメンという説と東アフリカのエチオピアだという説が有力です。今でも、エチオピアでは、かつて偉大な女王がいてソロモン王を訪ねたという伝説が残っています。それより重要なことは、女王が何のために来たのかということです。女王は、何のために、どのようにして来ましたか。
・1〜3節/


2 ソロモンの名声を伝え聞いて訪ねて来たというのですが、ソロモンに対する好奇心だけでこのような甚大な贈り物を持って遠い地から来るのでしょうか。おそらく、この女王は、簡単には解決することのできない深刻な問題を抱えていたのでしょう。どんな問題だと思いますか。想像してみてください。



3 「主の名に関連してソロモンの名声を」とありますから、これは、女王が困難な問題を神様の御前に持って来る機会となったということになります。多くの人々は、困難な問題があったとしても、色々な理由をあげ、そのままにしてしまいます。女王は、よく知ってから来たのでしょうか。使徒時代のエチオピアの女王カンダケの高官の場合はどうでしたか。
・6〜7節/
・使徒8:27〜38/

4 女王は、噂を聞いた時、話し半分も信じませんでしたが、こうして来ました。問題の解決が、ソロモン王を祝福し用いておられる神にあるのではないかと望みを持ったからです。はじめは皆よくわかりません。でも、噂を通して、信じている人の姿を通して、求めている人々を神様は導いてくださいます。どんな人でも、その人生の中で何らかの問題を抱えています。あなたがイエス様のところに来た時、どんな状態でしたか。
・マタイ11:28〜29/

5 シェバの女王がエルサレムに来て思ったことがあります。エルサレムの人々を何と言っていますか。王について何と言っていますか。そう言っている理由は何ですか。
・8〜9節/


6 女王自身が一生に一度あるかないかという御言葉を聞く機会が、エルサレムの人々には、いつでもそこで聞くことができるという祝福がありました。女王は、ソロモン王に知恵と繁栄をくださった神様を賛美しています。女王が私たちを見たら、何と言うでしょうか。そのように言われたら、どう反応しますか。イエス様は、何と言われましたか。
・マタイ5:3〜11/


7 イエス様の十字架によって救われている私たち、天地万物を創造された真の神様を礼拝できる私たちを女王が見たら、「なんと幸せなことでしょう」と言うでしょう。私たちは幸いな人だと自覚して、神様を賛美して、信仰に歩まなければなりません。女王にそう言われたエルサレムの人々やソロモンの姿は、どうですか。ソロモン王の心は、どんなことに向いていましたか。
・4〜5節/
・16,18,21,27節/

8 物質的な豊かさに心が奪われて、御言葉から離れて、彼らはますます派手に贅沢になっていったようです。ソロモン王は、全く使い道のない、ただ見せびらかすためのものを多く作りました。ソロモン王の心は、贅沢、物質的繁栄に向いてしまいました。イエス様は、ソロモン王の栄華を何と比べてどう言われましたか。そして、私たちがどのように生きることを教えておられましたか。
・マタイ6:29〜30/
・マタイ6:33〜34/

9 彼は御言葉から離れて行きました。人がどれほど愚かであるかと言えば、本質的なものを捨てて、本質的でないものに執着することです。イエス様は、主の御言葉を聞かず、奇跡を見ても信じない人々を見ながら、シェバの女王を引用して何と言われましたか。贅沢や物質的繁栄に執着した王は、ますます派手になり、浪費し、最後に何と言い残しましたか。
・マタイ12:42/
・伝道者の書1:1〜3,12:13/

「命の実を刈り取ろう」

このような贅沢や物質的繁栄は、神の民の幸いの本質ではありません。神の民の幸いな繁栄は、御言葉と祈りにあります。ソロモンの知恵と繁栄ぶりを見て、王と民は幸いだと言いましたが。しかし、遠い国からよく知らないまま、エルサレムに来て、御言葉を聞いて、主を信じた女王の方が幸いでした。きょうの学びを通して感謝すべきことは何ですか。悔い改めたこと、思いを新たにしたことは、何ですか。   (T列王記10:1〜29)

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