小グループで聖書を学ぶ
15 年を経るにつれて (T列王記11:1〜43)

「心の門を開いて」

 後宮の規模のために、ソロモン王の堕落や王国の分裂が取り沙汰されますが、王の信仰衰退や王国の分裂が進んでしまったのは、私たち自身にも関わる身近な問題のためだったようです。それは何でしょうか。ソロモンの姿を通して、私たちへの適用を学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 私たちが会堂建設をしていた時、エズラ記やネヘミヤ記を学びました。そこには、神殿建設や城壁再建の時こそ、信仰の再建、復興でなければならないと教えられていました。神殿再建や会堂建設が、建設できたことで事は終わったとし、かえって御言葉から離れ、信仰が後退しがちだからです。神殿建設を終えた後、他の国のように盛んに貿易をしたり、同盟関係を結んだ結果、ソロモン王はどうなりましたか。
・1〜2節/


2 巨大な建造物や堅固な城塞を築き、兵や武器を多く蓄える中で、しだいに王や民は、神様の御言葉を聞くことや祈りが減っていきました。私たちが何かを成し遂げ、業績をあげることで心が慢心した時、御言葉から離れる危険があります。仕事や行事、趣味や活動への没頭も、私たちをイエス様から引き離す危険があるでしょう。あなたには、どのような危険がありましたか。



3 ソロモン王は、外交関係や貿易のためと頭では考えたのでしょうが、女性たちを迎えると、しだいにイスラエルの女性たちとは違った魅力にとらわれるようになったようです。女性たちに心をうばわれたソロモン王の心はどうなりましたか。
・3〜4節/


4 目を留めなければならない重要なことは、女性たちが「彼の心を転じた、彼の心をほかの神々のほうへ向けた」というところです。女性たちの影響を受けて、ソロモンの心が変質してしまったのです。心が変質して来ると、実際の行動も左右されるようになります。ソロモンは、どんなことをするようになりましたか。
・5〜8節/


5 次に目を留めなければならないのは、「父ダビデの心とは違って、主と一つにはなっていなかった、父ダビデのようには主に従い通さなかった」(4,6節)ということです。ダビデは完全な人ではありませんでしたが、彼自身自分の足りなさや失敗を知っていたので、罪に陥らないように必死になって御言葉をつかんで、神様を信頼し、心を向けました。しかし、ソロモンは、自分は罪に陥らないと頭では考えていても、しだいに罪に陥って、引き込まれて行ったのです。どうしたらいいのでしょうか。
・ローマ4:25/
・使徒3:19/

6 人はその罪を自分ではどうにもできないので、神様があわれんでくださり、御子を私たちの代わりに死に渡されました。罪を悔い改めて、イエス様を信じることです。そうすれば、私たちを愛してくださった神様は、罪を赦してくださり、天国へ続く新しい命を与えてくださいます。ソロモン王はどうしたでしょうか。その結果どうなりましか。
・9〜11節/


7 4節を見ると「ソロモンが年をとったとき」とありますが、年を取ったから急に偶像に向いたということではありません。次第に年を経るにつれて、ソロモン王の心が変質して行ったのです。ソロモンが王になったばかりの頃は、どんな信仰でしたか。
・T列王記3:7〜9/


8 次第に年を経るにつれて、ソロモン王の心が変質して行きました。初めは、民を治めるために知恵をくださいと願う純粋な信仰でした。しかし、ソロモン王は、自分の知恵を持って様々な事業をして行く間に、しだいに自分の力に自信を持つようになりました。彼の心は、自分の力と知恵を信じるようになったのです。自信という偶像が、しだいにソロモンの心に築かれていきました。あなたの心に、そのような偶像がありますか。私たちの持つべき自信とは、どういうものですか。
・イザヤ16:6/
・ピリピ4:13/

9 肉の自分に自信を持つ人は、罪の罠にかかる可能性が大きいです。ダビデ王のようにはできないので、民を治める知恵をくださいと神様に求めたソロモン王の純粋さはなくなってしまいました。私たちは、どんな時のことを思い出すべきですか。その時の気持ちはどうでしたか。
・黙示録2:4〜5/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、年を経てもイエス様を信じた時の純粋な信仰を持ち続けたいのです。救われた私たちは、イエス様に似た者に変えられて行く過程にあります。ただひたむきに栄光を目指して歩んでいるだけです。御言葉に聞き従って生きる者は幸いです。今日の学びを通して、気付かされたこと、心導かれたことは何ですか。ピリピ3:12〜14。(T列王記11:1〜43)

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