小グループで聖書を学ぶ
19 光あるうちに (T列王記14:1〜20)

「心の門を開いて」

 私たちは、神様の御心が分からないので従うことができないと言い訳します。しかし、実際には神様の警告や導きは様々なことを通して示されています。それに気付きながらも、悔い改めずにそのまま続けてしまうことがたくさんあります。ヤロブアム王がまさにそうでした。

「御言葉の種を蒔こう」

1 警告を受けたヤロブアム王は、預言者のとりなしにより自分の手がいやされた奇跡を経験し、祭壇が崩れるのも目撃し、その預言者が、ベテルでは水を飲んでも、パンを食べてもいけないという神の命令を破ったために、獅子によって殺された話も聞きました。それにもかかわらず、彼は立ち返りませんでした。そんな王に次の機会が訪れました。どんな反応をしましたか。
・1〜4節/


2 息子がどうなるのかだけを聞くために、預言者アヒヤを尋ねるように妻に頼んでいます。パン十個、菓子数個と蜜のびんとは、当時普通の奥さんが人を訪ねるときに持って行ったものでした。妻に変装させました。どうしてこのようなことをさせているのですか。どう思いますか。



3 ヤロブアム王は、自分の罪への警告だと分かっていながら、悔い改めなることなく、そのままにしていました。そして、ただ自分の必要を満たすために、都合の良いことを言ってくれるようにと、神の愛とあわれみを必要とする哀れな者であるふりを妻に装わせたのです。 私たちも、問題の原因を知っていながら、問題が解決されることだけを望んでいないでしょうか。放棄すべきことはせず、告白すべきことをしないで、都合の良いことだけを聞こうとしていないでしょうか。



4  自分の名前等を隠したたからといって、神様は分からないのでしょうか。変装したからといって、だまされる方でしょうか。私たちは、主の前にどうなのですか。
・5〜6節/
・ヨブ13:9,ヘブル4:13/

5 私たちは、人々の前に出ている場合は、自分の姿を見栄え良く整え、飾ることができます。神様が自分を調べても、大丈夫でしょうか。結局、ヤロブアム王は、このあわれみのチャンスもふいにしてしまいます。騙したつもりで、変装して行った妻に、どんなことが告げられましたか。それは、何の結果だと言われていますか。
・7〜12節/


6 神様が王に繰り返し警告の言葉と悔い改めの機会をくださいましたが、それでもヤロブアム王は悔い改めなかったので、王の家が滅び、やがて王国も滅びることになります。 私たちも、神様から溢れんばかりの愛とあわれみを受け、繰り返し悔い改めの機会もいただいています。今日、自分の問題は何ですか。こだわりを持ってそのままにしていることは何ですか。
・14〜16節/


7 神様が今、私たち一人一人に願っておられることは何でしょう。ヤロブアム王は、長い期間様々な機会が与えられても、機会を生かせませんでした。神様が私たちに、いつまでも機会をくださるかは知ることができません。私たちは、どうすべきですか。私たちの救い主イエス様は、何と勧めておられますか。
・ヨハネ12:35〜36/


8 正義をもって裁かれる神様は、同時に愛とあわれみの神様です。この悲惨な結果の中にも、神様の愛とあわれみがあります。「アビヤだけ主の御心にかなっていた」というヤロブアム王の息子の死に、恵みがありました。彼以外の王の家の者の末路と比べて、どうですか。
・13節/
・11節/

9 神様は、災いが王の家に臨む前に、アビヤを救い天国へ迎えてくださいました。取り返しのつかないヤロブアムの罪に対して、最愛の息子の死が神様の最後の警告となりました。 神様は、あわれみ深い神であり、義なる裁きの神です。神様は、私たちの罪を赦し、滅びから救い、天国へ導くために、ご自分の最愛の御子イエス様をどうされましたか。
・Tペテロ3:18/
・エペソ2:3〜6/

「命の実を刈り取ろう」

 神様は、最愛の御子の十字架の死を通して、私たちへの罪の刑罰を示すと同時に、私たちへの深い愛とあわれみを示しておられます。何と言う救いの方法でしょうか。私たちは、御言葉を通して自分自身を省みることを求められています。私たちも、自分の罪や肉の思いを非表示にしてしまう時があります。主の御前に出て、主の取り扱いを受け、素直に悔い改める者でありますように願います。「光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい」。私たちは、示されたらすぐに、気付いたら今日、機会を与えておられるうちに、イエス様を信じ、恵みに感動して、神様に立ち返りましょう。学びを通して示されたこと、導きを受けたことを分かち合いましょう。         (T列王記14:1〜20)

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