小グループで聖書を学ぶ
21 経験による備え (T列王記17:1〜24)

「心の門を開いて」

 体験と経験は似ているようで違いがあります。体験は自分が身をもって感じるところに重点があるのに対し、経験はそれによって得られた知識や技能を指し、物事の本質を見極めさせます。苦しい辛い体験で終わるのか、自分を成長させる経験になるのか、今日の箇所から学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 北イスラエル王国は、アハブ王とイゼベル女王が登場し、偶像バアルを蔓延させました。バアルとは、雨を降らし、豊穣をもたらす偶像として崇拝されていました。神様から遣わされた預言者エリヤが伝えた神様の御言葉は、どんな内容ですか。
・1節/


2 雨が降らないということは、偶像バアルを拝んで悪を行うアハブ王たちを戒めるためでした。怪物のようなアハブ王とイゼベル女王を前にこんな戒めを言うならば、酷い目に会うことが予想されます。エリヤはどんな人ですか。そうであるなら、どんなことが必要になりますか。
・ヤコブ5:17/
・ヘブル5:14,12:11/

3 対アハブ、対バアルのために、神様は、エリヤにすぐに身を隠すようにさせて、その間に彼を経験を通して整えることにします。まず、どんな体験をさせておられますか。そのような体験から学ぶことは何ですか。
・3〜6節/


4 カラスは、死肉を処理する鳥です。人が苦しい時は、生易しい状態ではありません。でも、生きられるぎりぎりの状態にあって、神様が守ってくださることを経験することになります。小川の水を飲むというのは自然の方法です。自分でできることは、努めてするということです。しかし、烏に食べ物を運ばせるというのは神様の業です。ぎりぎりのところで神様が守ってくださったという経験がありますか。



5 王を戒めるというドラマチックな登場をしたエリヤが、川の水を飲み、カラスの落とすものを食べて生きる状況で、挫折感に陥る可能性もありました。私たちがどうしてこんな目に会うのか、あのために苦しめられた、と恨みつらみの思いだけなら、それはただ苦しい体験ですが、その意味を知り、そこから神様の守りと導きを受け取ることができれば、素晴らしい霊的成長の経験となります。神様は、次にどこに行かせて、エリヤをどんな人に養わせようとされていますか。その人の状態はどうですか。
・9〜12節/


6 最後の食事の用意をして死のうとしていたのに、作ったらまずエリヤのために持って来なさいというのです。最後の食事をして死ぬのか、それを放棄して神様の御言葉を信じるのか、やもめは選択を迫られました。やもめが選んだのは、どちらですか。その結果、どんなことが起こりましたか。ほんの一握りの粉と油の入った壺でも、なくならない壺だという事を通して、エリヤも私たちも学ぶべきことは何ですか。
・13〜16節/
・Tコリント1:27〜28/

7 やもめは、最後に残った食料を食べて死のうとしていたのが、飢えることがなくなるという恵みに浴することになりました。それなのに、もっと厳しい辛いことが起こります。そのことは、やもめの心をどのようにしましたか。どんなことを考え、どんな態度になりましたか。あなたも、そのようになったことがありますか。
・17〜18節/


8 やもめは、自分の過去の罪のせいかと考えたり、なぜ中途半端に助けたのかとエリヤに文句をぶつけて来ましたが、エリヤは必死になって祈りました。その結果、神様はその子をどうしてくださいましたか。これは、イエス様の十字架と私たちとの関係にどのような意味を示していますか。
・20〜22節/
・ガラテヤ2:20/

9 息子が生き返った時、やもめは、神様の愛とあわれみに満ちた救いを経験して、「御言葉は真実だ」と証ししました。これを聞いたエリヤも御言葉が真実であること、どんな状態でも御言葉に信頼して行うことを経験しました。御言葉の分かち合いによって、人の信仰の経験を自分のものとできる恵みについてどう思いますか。
・24節/
・ヘブル10:24〜25/

「命の実を刈り取ろう」

 エリヤは、ケリテ川での養いややもめの養いという経験を通して、自分には何もなくても神様を信頼すること、絶望の中でも御言葉をつかむこと、そうする自分を神様が用いてくださることを学びました。エリヤは、このような経験を通して、対アハブ、バアルに備えることになります。私たちもそのように、様々な経験を通して整えられ、霊的に成長し、備えられ、用いられますように願います。今日の学びを通して気付かされたこと、導かれたことを分かち合いましょう。(T列王記17:1〜24)

戻る