小グループで聖書を学ぶ

4 悔い改めの恵み (T列王記2:26〜46)

「心の門を開いて」

 罪を悔い改めて、イエス・キリストの救いを信じる人は、赦しが与えられます。いったい赦されるということは、どういうことでしょうか。赦しを受けても、それが分からない人々の姿を通して学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 まず、祭司エブヤタルです。神様の御心とあわれみを求めて、祈り、礼拝をささげる祭司が、神様の御心があらわれていないのに、強い者の側につこうと、アドニヤ王子の王位簒奪の陰謀に加わりました。その結果、どんな処分を受けることになりましたか。
・26〜27節/


2 エブヤタルの祭司職罷免は、かつて祭司エリの家に語られた裁きの成就だと言っています。27節,Tサムエル2:27〜36,3:12:1〜14。親や先祖が悪いと子孫まで裁かれるのでしょうか。悪い影響を受け続けるのでしょうか。イエス様を信じた者は、どうなると教えていますか。
・Tペテロ1:3/
・コロサイ3:9〜10/

3 親の良いところは受け継いで、負の遺産は取り除くのです。誰かの悪い影響があるなら、捨てればいいのです。イエス様の尊い犠牲によって救われて、新しく生まれ変った自分として、新しい人生を生きることができます。祭司でありながら、変わらなかったエブヤタルは、自分の高慢があらわれて、陰謀に加担したということです。軍団長であったヨアブもそうです。どんな人でしたか。
・32節/


4 そんなヨアブでも、ダビデ王がそのままにしていたのは、イスラエル統一には、軍団長としての大きな力を持っていたからです。アドニヤ王子の陰謀に加担して、そのままにされていたのにもかかわらず、取り除かれるきっかけとなる事件が起きました。悔い改めることのなかった彼は、恐れてどんなことをしたからですか。
・28〜30節/


5 誤って罪を犯した場合、赦しを求めていけにえの血を祭壇の角に塗る規定が律法にあります。ヨアブは、祭壇の角をつかんで命乞いをしたのですが、それは、見せ掛けでした。神様がくださる赦しの恵みとあわれみを受けるには、どうすべきですか。私たちは、どうしますか。
・使徒8:22/
・使徒3:19/

6 もう一人は、サウル派閥の代表格シムイです。どんな人ですか。父ダビデは、サウル派として、ダビデ王家を恨み続けていたシムイを、警戒するように遺言しました。シムイの反逆や陰謀を防ぐために、ソロモンは、彼にどのように命じましたか。
・8〜9節/
・36〜37節/

7 シムイは、3年後にソロモン王との約束をすっかり忘れてしまい、約束を破ることになります。どんなことのためですか。その処罰を免れていたにもかかわらず、彼の罪の性質があらわれています。どのようになっていますか。
・39〜44節/
・マタイ18:24〜34/

8 彼の特徴は、処罰されることもなく赦されたのに、それを忘れ、謙遜でいられないということです。初めは静かにしていても、やがてもとの高慢に戻って、人を責め、赦さず、自分勝手に行動するようになります。クリスチャンというのは、イエス様の十字架の犠牲を自分の身代わりだと信じたゆえに、罪赦された者にすぎません。赦された恵みの中を謙遜に生きることが望まれています。あなたは、どうですか。



9 ソロモン王によって粛清された人々は、イスラエルの中で重要な人々でしたが、傲慢な人々でもありました。赦しを受けても、悔い改めることも、変わることもなく、自ら裁きを招いてしまいました。エブヤタルは、先祖からの傲慢な性質が変わることがありませんでした。権力欲の強いヨアブは、競争者を絶対に受け入れませんでした。シムイは、王にした間違いを考えることなく、逃亡奴隷を罰することばかり考えていました。彼らは、赦された身であることを顧みませんでした。この人たちの姿を見て、思うことは何ですか。
・ローマ2:4〜5/


「命の実を刈り取ろう」

 悔い改めも、神様のくださった恵みとあわれみです。神様に背を向けて自分勝手に生きていたことを知り、悔い改めてイエス様の十字架の犠牲を信じることが、神様の与えてくださる救いの御業です。使徒2:38。信じて救われた者は、その後も機会ある度に悔い改めるべきです。神の御心から離れたり間違ったりしても、悔い改めるところに、さらなる赦しと恵みがあるからです。私たちは、赦しの恵みとあわれみを受けたゆえに、他の人を受け入れて行くのです。十字架のゆえに受けた尊い赦しの恵みの中で生きて行きましょう。顧みたこと、心に期することがありましたら、互いに分かち合いましょう。

戻る