小グループで聖書を学ぶ
24 主を知ろう (T列王記20:1〜43)

「心の門を開いて」

 信じている人々の中には、主の恵みとあわれみの深さを知って、さらに知ることを願う人がおり、救いは受けたけれども、主をあまり知らず分かろうともしない人もいます。それが、どれほど違うものでしょうか。アハブ王の姿を通して学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 北イスラエルのアハブ王は、エリヤとバアルの預言者の戦いとかんばつの後の雨を見ても、悔い改めることがありませんでした。主に立ち返る機会であったにもかかわらず、主を知るにいたりませんでした。そんなアハブ王に、どんなことが起こりましたか。
・1〜4節/


2 このアハブとベン・ハダデのやり取りを見ると、脅かされて、すべてはアラム王のものだと言っていますが、すべては自分のものだと思っていたことが分かります。それについて、主を知っている者は、どのように告白していますか。
・詩篇100:3/
・Tコリント6:19〜20/

3 実際にすべてを奪い取ると言って来ると、アハブは絶体絶命に追い込まれ、家来たちに相談した結果、アラム王の要求を斥けて戦うことになりますが、勝つ見込みはありません。その時、どんな助けがありましたか。
・13〜14節/
・20〜21節/

4 あまりにも恵み深い神様は、こんなアハブ王にさえ、あわれみをくださり、預言者を遣わしました。それは、再び与えられた悔い改めの機会です。そして、その御言葉を聞いて、アラムと戦ったイスラエルに御言葉の約束通り勝利を与えてくださいました。神様の助けは、アハブの忠誠心や信仰に基づいたものではなく、神様がアハブをあわれんでくださったからです。あなたは、このことをどう思いますか。


5 神様は、私たちをあわれんでイエス様を送ってくださり、救ってくださいました。私たちに何かの資格があってではなく、ただただ神様の愛とあわれみのゆえです。でも、救われた後、主を慕い求め、主をさらに知ろうとしているでしょうか。主のあわれみを受けたにもかかわらず立ち返っていないアハブに何がおこりましたか。
・26〜30節/

6 天地創造のまことの神を山地の神と言っていることに主の裁きが下ります。この勝利は、主なる神様が唯一のまことの神であることを教えるものでした。一度強敵アラムに勝利したにもかかわらず、主に立ち返らなかったアハブに、神様は再び預言者を遣わし、勝利させてくださいました。何とあわれみ深い神様でしょうか。大事なことは、恵みに応答し、チャンスに答えることです。どうしたでしょうか。その結果どうなりますか。
・30〜34節/
・T列王22:35〜39/

7 なぜ、アハブのような邪悪な者を神様は繰り返しあわれんで、一方的に預言者を送られ、助けられるのでしょうか。読む私たちが主に立ち返り、私たちに悔い改めの機会を与えるためにです。今日、私たちも様々な主の取り扱いの中にいます。それが恵みと祝福の回復の機会となるのか、機会を失うのか、それは私たちの気付きと応答にかかっています。究極的な機会は、何ですか。チャンスには、どうするように勧められていますか。
・黙示録3:20〜21/
・ヨハネ12:36/

8 私たちが、あまり祈りもしなくて、御言葉に従うこともしないで、自分勝手に生きていたのに、生活や仕事がうまく動いていくことがあります。この場合、自分自身のせいでよくなっていくと考えますか。神様が、私たちをあわれんで、周囲の状況をあまねく守って導いてくださっておられるからです。自分が主に立ち返る機会、悔い改める機会をいただいていることを忘れていませんか。



9 最後に、13,28節に再び目をとめましょう。「わたしこそ主であることを知ろう」という御言葉から、「主を知ることを」切に求めたいと思います。主を知るというと、聖書の知識を豊かに持っていることを考えることもできます。確かに、信仰生活の中で、聖書の知識は必要です。しかし、それよりも重要なことは、何ですか。「主を知ること」は、単に知識ではなく、どういうことでしょうか。
・13,28節/
・ホセア6:2〜3/

「命の実を刈り取ろう」

 「主を知ろう」と言うのは、主と親密に交わり、日々主と歩むことです。パリサイ人は当時聖書をよく知っていた人々ですが、主をよく知っている人々ではありませんでした。現代でも、聖書の勉強は好きでも、主を知ろうと慕い求めない人々もいます。イエス様の十字架について知っている人は、単に十字架の意味について説明できる人ではなくて、実際に十字架の人生を生きる人です。神の愛を知っている人は、神を愛して、たましいを愛する人です。主を知っている人は、主とともに人生を歩む人です。価値ある人生とは、より主を知る者として生きることです。今日の学びを通して発見したこと、決心したことなどを分かち合いましょう。
(T列王記20:1〜43)

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