小グループで聖書を学ぶ
25 問題が起こったら (T列王記22:1〜53)

「心の門を開いて」

 人生には、様々な問題が起こり、困難で複雑な問題も多くあります。私たちはどのように対処しているでしょうか。答えを知っていながら失敗することも多いのではないでしょうか。人生の問題について、二人の王の姿を通して私たちが取るべき姿勢を学びたいと思います。

「御言葉の種を蒔こう」

1 問題は、北イスラエルの対アラム戦争の戦後処理の問題でした。アラム王ベンハダテが敗北した時、イスラエルから奪った町は返すという約束は不履行のままでした。そこでアハブ王は、どうしようとしましたか。どんな計画ですか。
・1〜4節/
・T列王記20:34/

2 国の意志をまとめ、同盟締結も出来、これで戦いに臨むとなるところです。一般の問題ならば、現状分析して、対策を練って取り組むというところです。しかし、アハブ王と同盟した南ユダ王国のヨシャパテ王は、信仰の王でした。強敵アラムと戦うという問題について、どんな提案をしましたか。
・5節/


3 私たちが問題に対処する最も懸命な方法は、「まず主の御言葉を伺う」ことです。イエス様を信じて救われた時から、私たちの人生の主管者、導き手は主なる神様だからです。問題だけ眺めて悩んだり、自分の計画通りなることだけに汲々としていないでしょうか。人生の問題について、信仰の人々はどのようにしていますか。そのようなことについて、あなたはどうですか。
・詩篇40:8/
・詩篇119:24/

4 私たちの問題が、解けるようになるためには、まず主の御言葉のアドバイスを受けて考え取り組むことですが、加えて、どうするように御言葉は勧めていますか。これは、私たちの信仰生活において、どういうことになりますか。
・箴言11:14, 24:6/
・Tテサロニケ5:11/

5 私たちも、信頼している信仰の友と分かち合い、祈ってもらい、信仰によるアドバイスを受けることは、幸いなことです。しかし、アドバイスが必要だ、助言を聞いたと言っても、聞く人に問題があれば有効なアドバイスとはなりません。アハブのアドバイスに対する姿勢はどうですか。どんなアドバイスだけを聞こうとしていたのですか。アハブの姿をどう思いますか。あなたにも思い当たることがありますか。
・6〜8節/
・13節/

6 主の御言葉を伝えたミカヤは、どんな目に会っていますか。相談員にアドバイスを求める人の中にこういう人がいるそうです。「このようにしたいのですが、どうでしょう」と聞きながら、「その考えがいいですね」という答えを期待し、自分の希望と行動を認められたくて来るというのです。期待通りでなければ、憤慨したり、反発したりするそうです。あなたも、アドバイスをして反発や憤慨を受けた体験がありますか。
・24,27節/


7 ミカヤは、戦いに行けば、イスラエルは飼い主のいない羊の群れのようになると伝えました。神様は、戦いに行けば、負けて、アハブ王は死ぬと教えてくださいました。アハブ王は、このアドバイスに対してどう応答をしましたか。どっちのアドバイスを信じたのですか。どんな対策をしたのですか。何か矛盾が感じられますか。
・17節/
・29〜30節/

8 変装していたにもかかわらず、流れ矢が当たり、アハブ王は戦死してしまいます。問題の正解を知ったのに、間違った選択をしてしまいました。私たちは、問題を難しいと言って対処を間違ってしまうのは、問題の意味が分からなかったり、問題の答えを知らなかったわけではないようです。主のみこころを求める私たちは、どうすべきですか。
・34〜36節/
・ローマ12:2〜3,Tサムエル15:22/

9 ヨシャパテ王は、主のみこころを求めながら、どうして一緒に戦いに行ったのでしょうか。自分について言われていなかったからでしょうか。アドバイスに対して、余りにも鈍感でしたが、戦場でようやくアハブに騙されたと気付いてどうしましたか。失敗の機会から学んだヨシャパテ王は、どう変わりましたか。
・32〜33節/
・48〜49節/

「命の実を刈り取ろう」

 ヨシャパテは、アハブと「同じようなもの」(4節)になってはなりませんでした。私たちは、主イエス様と同じようにならなければなりません。イエス様こそ、主なる神様のみこころをいつも求めて、みこころ通り生きたお方でした。ですから、主のみこころを行う者はだれでも、イエス様の家族だと言ってくださいました。私たちは、人生の問題において、主のみこころを求めて、御言葉に伺いながら取り組みたく願います。きょうの学びを通して気付かされたこと、悔い改めたこと、慰められたことを分かち合いましょう。ヨハネ4:34,マタイ12:50。                    (T列王記22:1〜53)

戻る