小グループで聖書を学ぶ
10 奉献式、契約の箱の示す救いの恵み(T列王記8:1〜21)

「心の門を開いて」

 教会堂が建設されたら、献堂式が行なわれるように、神殿建設が完成したら、奉献式が催されます。献堂式は、喜びと感謝の時ですが、同時に信仰を新たにする機会でもあります。この奉献式を通して、救いの恵みと応答を新たにしたいと思います。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ソロモン神殿建設が完成したら、奉献式が行われます。その時、どんなことがされていますか。完成された神殿に人々が集められ、何をしていますか。
・1〜5節/


2 完成された神殿に、天幕から契約の箱が運び入れられ、神殿の奥の至聖所に置かれました。つまり、このことが奉献式で最も重要なことになります。神殿に集まった全員がその前にいけにえをささげるほどのものです。なぜ、1つの箱がそのように重要なのでしょうか。どんな構造の箱ですか。どんな時に、何のために作られたのですか。
・出エジプト25:10〜16/
・9節/

3 契約の箱には、モーセがシナイ山で神様から与えられた十戒を刻んだ2枚の石の板が納められていました。契約の箱は、神様が民とともにいてくださる臨在の象徴であり、祝福のもとでした。民が荒野を進む時には、契約の箱を先頭にして進みました。この契約の箱のふたは、特別に贖罪の蓋と呼ばれています。それは、どんなことを意味していますか。
・出エジプト25:17〜18/
・レビ16:14〜15/

4 このように身代わりのいけにえによって罪を赦されることを贖いと言います。自分たちの罪を覚えて、いけにえの血を代償としてささげ、赦してもらうということを続けていました。契約の箱の蓋には、ケルビムという天使の翼が左右から契約の箱をおおっています。それは、神様が礼拝する者たちをどうしてくださるということを意味していますか。
・6〜7節, 出エジプト25:18〜20/
・詩篇61:3〜4,91:4/

5 神様の臨在は、神殿を覆う雲を通してあらわされています。モーセの時にも、神様の栄光が雲となって天幕を覆いました。この神様の臨在をあらわす栄光の雲は、シェキナーと呼ばれています。心の内に聖霊が住んで、満たされるようになると、神の子どもとしての性質が輝き出し、神様の愛と恵みが周りの人々にも及ぶようになります。イエス様を信じた者は、何と呼ばれていますか。そう呼ばれることをどう思いますか。
・10〜11節/
・ヨハネ12:36,エペソ5:8/

6 なぜ、この箱を契約の箱というのでしょうか。いつどのような状況で彼らと結ばれたものですか。神の民がどうすれば、成立するのでしょうか。神様の約束はどのようなものですか。
・21節, 出エジプト34:27〜28 /
・出エジプト19:5〜6、申命記26:18〜19/

7 旧約時代の契約は、古い契約と呼ばれています。旧約時代の祭儀は、出エジプトの出来事がもとになっています。それをすることで、民は、罪の赦しが必要なことと、血の代償がなければ、罪の赦しを受けることができないことを学びました。しかし、いけにえは、礼拝する者の心を完全にきよめることはできませんでした。新しい契約が立てられるまでは、繰り返し罪の赦しのためにいけにえをささげなければなりませんでした。新しい契約は、どんなものですか。
・ヘブル9:9,12〜15/


8 契約というヘブル語ベリースとは、「血の契約」と言われたもので、これを破れば死ななければなりませんでしたが、誰かが代わりに負うこともできました。そこで、神の御子であるイエス様が世に来られて、ご自身が罪の赦しのために犠牲のいけにえとなられて、血を流されたのです。新しい契約は、神様と御子の間で結ばれたものです。人の努力とか功績は必要としません。まったくの恵みで与えられます。ですから、誰でも、このイエス様を信じるならば、罪の赦しを受け、救いが与えられます。どう応答しますか。



9 この素晴らしい救いを知って、人はどう応答するでしょうか。重要なことは、この恵みの契約を受け入れ。イエス様の十字架の犠牲を自分の救いのためと信じることです。すべての人間は、世に生まれて来て、一つの責任を持つことになります。神様が人間に驚くべき人格と知性を与えられたのは、誰であれ、必ず世に生きている間に、神様をさがして救いの道を探求するためです。なぜですか。人はどういう存在なのでしょうか。
・ヘブル9:26〜28/

「命の実を刈り取ろう」

 誰でも世に生きて優先的にしなければならないことは、自分のたましいの救いを受けることです。イエス様が私たちの身代わりにご自身を犠牲としてささげられたゆえに、信じる告白をすれば、救いの恵みと祝福を受けることができます。古い契約が業の契約と呼ばれるのに対して、恵みの契約と呼ばれます。ですから、応答が大事だということです。私たちが、救われた者として主の栄光を輝かせ、自分自身を生きた供え物としてささげて生きることを主は喜ばれます。あなたは、イエス様の十字架による救いの恵みに対して、どのように応答しますか。ローマ12:1

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