小グループで聖書を学ぶ
11 祈りを聞いてください (T列王記8:22〜43)

「心の門を開いて」

 どんな人でも、何かの時には祈るものです。対象もなく、漠然と祈るだけということも多いでしょう。私たちの祈りはどうでしょう。祈りの生活は、どうなっていますか。奉献式でのソロモン王の祈りを学んで、祈りの生活が豊かなものとなりますよう願います。

「御言葉の種を蒔こう」

1 神殿に契約の箱を運び入れた後、ソロモン王は、主の祭壇の前に立って、何をしていますか。
・22節/
・詩篇63:4/

2 「両手を天に差し伸べて」とは、祈る時の姿勢です。彼の祈りには、祈りのエッセンスが入っています。祈りは、お願いするだけではありません。感謝や罪の告白の祈りもあり、神をほめたたえる祈りも重要です。ダビデの神賛美も読んでみましょう。お願いだけですと、祈っても祈っても満たされず、平安になれないことがあります。皆さんの祈りはどうですか。
・23〜24節/
・T歴代29:10〜16/

3 祈りは言葉だけではありません。ソロモン王は、自分の祈りを必ず聞いてくださいと繰り返し神様にお願いをしています。独り言でなく、神様の応答があると知れば、祈りほど素晴らしくて幸いなものはありません。祈りを神様に聞いてもらうということが、どんな表現でされていますか。
・28〜29節/


4 御顔を向けて、御目を開いてとは、私の祈りに神様は関心をもって、祈りを最優先に聞いてくださるという信仰です。でも、私の祈りなんて本当に神様が聞いてくださるのだろうか、と疑ったり謙遜に思うことはないでしょうか。なぜ、私たちはこのような大胆な祈りができるようになったのですか。どうすべきですか。
・ヘブル4:15〜16/


5 私たちが経験する問題の中で最も深刻なことは、罪の問題です。これは、恐ろしい病だと言われています。人のたましいを痛めさせ、病に陥らせます。罪のために災いや問題にも出会います。しかし、罪の問題が解決されるなら、他の問題も解決されます。その時ソロモン王も、罪の赦しについて繰り返し、具体的に祈っています。まず、争いが起こり、訴えられた場合に、公正なさばきを下してくださいと祈ります。恨み争うより、祈って神に委ねるのです。このような経験がありますか。
・31〜32節/


6 イスラエルの歴史では、不信仰になった時、戦いに負けてしまうことがしばしば起こりました。民が悔い改めて神様に叫ぶなら、その罪を赦して、捕虜の身から帰らせてくださいます。私たちが失敗したり挫折する時どうなりますか、どうすることが大事ですか。
・33〜34節/


7 雨が降らない時、ただ雨を降らせてくれというのでなく、自分達の罪を省み、正しい道へ導かれ、雨を降らせていただくことを祈りました。試練を通して神様が何かを教えておられるかもしれないと思って祈りました。ですから、様々な災難や試練の中でも、ただ助けを祈れというのではなく、何を知って祈るようにと言っていますか。
・35〜38節/


8 試練の時、自分の心の悩みを知って、神様の御前に立ち返るならば、乗り越えさせてくださいます。信仰が新にされ、霊的成長が進みます。苦難は、人が神を探し求めて自分を振り返る機会となります。なぜ、問題や試練に打ち勝つことができるのですか。
・ヘブル9:28/
・ヤコブ5:13〜15/

9 イスラエルの王が、異邦人である外国人が神殿に来て祈ることを想定して、祈っています。異邦人が神殿に来て祈るならば、聞き入れてあげてくださいと言うのです。驚くべき祈りです。それは、異邦人が神の民の信仰の姿に共感して、好意と興味をもって神殿に来るということです。神の民の証しの生活が前提となっています。教会にも、私たちにも、この神殿の機能があり、私たちの周りの人々まで福音の恵みを受けるようになっています。そのためには、私たちは、どのように生きなければなりませんか。
・41〜43節/
・Tテモテ1:15〜16/

「命の実を刈り取ろう」

 「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」イザヤ56:7。不安な時、困った時何だか分からない祠や石の像に拝む人々がいます。教会に来て、祈るなら、もっと平安と導きを受けるでしょう。私たちが、人々のためにとりなし祈るなら、人々の祈りの場所、幸せの中心である教会となって行くでしょう。具体的に、1週間、周りの人々の必要のために、救いのためにとりなし祈りましょう。詩篇102:1〜2。自分の祈りに、神賛美と罪の赦しを求める祈りを加え、「どうか私のささげる願いと叫びを聞いてください」と祈りましょう。

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