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13 祝福の条件 (T列王記9:1〜28)

「心の門を開いて」

 人は、何か事をやりとげた時、達成した、完成したと思います。しかし、それで恵みや祝福を受けるとは限りません。大事なことを忘れて、別なことに力を注いでいたということがあります。私たちはどうでしょう。神殿奉献式の時ソロモンが受けた主の言葉から学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ソロモン王は、何を成し遂げることができたと記されていますか。それには、どのくらいの年月がかかりましたか。成し遂げた時のソロモン王の気持ちを想像してみてください。どんな気持ちだったと思いますか。あなたが労苦して何かを成し遂げた時、どんな思いになりましたか。
・1,10節/

2 ソロモン王にとって、人生最高の時、絶頂の時だったでしょう。神様が求められるのは、神殿そのものではなく、そこで礼拝する民の心でした。神様は、民が傷付いた心をもって御前に出て来ることを喜ばれます。ソロモンは、神の民の王として、民に御言葉を教え、民が祝福を受けるようにしなければなりません。しかし、ソロモンは、他に何をしていますか。それは、ソロモン王がどんな思い違いをしていることを示していますか。
・15,19節/
・Tヨハネ2:16/

3 ソロモン王は、このような派手な建造物を建てることで民から尊敬を得ようとし、民が自分の統治に従うことを願っていたようです。神殿と王宮の完成は、かえって信仰が後退する危険をはらんでいたのです。それで、神様は、再びソロモンにあってくださいました。そして、肝心なことを忘れたソロモンのために、恵みを受ける条件を教えました。神様の祝福を受ける条件とは、何ですか。
・2〜5節/

4 神様の祝福を受ける条件は、派手な神殿を建てることではなくて、御言葉に聞き従うことだと明言されました。あまりにも当然なことです。なぜなら、神の民の存在も、そこにあるからです。王と民が神様の祝福を受けることができるようにするためには、ソロモン王自身、どう生きなければなりませんか。誰のように生きることですか。かつてギブオンで神様が彼に現れた時、彼は何と言っていましたか。
・4節/
・T列王3:6/

5 「父ダビデが歩んだように」とありますが、ダビデは、逃げ回りながら、戦いながら、従って来る人々に絶えず神様の御心を伝えました。彼に従う者たちは、ダビデから御言葉の恵みを受けた者たちでした。それによって、皆の心が1つとなり、信仰に固く立って王国を築いて行きました。「ダビデが歩んだように、全き心と正しさをもって」というのは、どのように歩むことですか。原文の「全き心」とは、誠実な心という意味です。
・詩篇26:1〜4/
・Uコリント1:12/

6 「全き心と正しさをもって歩む」とは、何か高い基準が要求されているわけではありません。ダビデは失敗する人でした。罪の多い人でした。躓きも与えました。それでも、立ち上がって神様の御前に来て罪を告白し、神様と交わることを願い、御言葉に喜んで聞き従いました。神様に対する純粋な思い、誠実な心がありました。あなたは、自分には難しい、できそうもないと言われますか。どんな人ができると約束されていますか。
・ローマ8:2〜4/
・Uコリント5:17/

7 王と民がしなければならないことは、ダビデ王の道を歩むことです。誠実に神様の御言葉に聞き従うことです。そうしなければどうなると警告されていますか。
・6〜9節/


8 どうして、神の民が偶像を拝み、ほかの神々に仕えることをするのでしょうか。なぜ、クリスチャンが、御言葉から外れてしまうのでしょうか。
・ローマ8:5〜7/


9 偶像に仕え、肉の原理に生きるなら、神の民に祝福はありません。やがて8〜9節のことが、イスラエルの歴史に起こることになります。ソロモンは、神殿や王宮の他に、いくつもの城塞都市を建設しています。イスラエルを守るのは神様の御力だ、神の民にとって大切なのは御言葉に聞き従うことだということを忘れています。あなたは、何をもって自分の人生を守ろうとしていますか。自分の人生が何によって恵まれることを願っていますか。

「命の実を刈り取ろう」

 神の民は、最後までイエス様を信じて御言葉に聞き従わなければなりません。私たちの受ける祝福の元は、御言葉に聞き従うことにあるからです。イエス様の十字架の救いを信じるなら、いのちの御霊の原理によって、罪と死の原理から解放されます。イエス様を信じて、御霊の原理で生きようとするならば、奇跡が起こります。私たちが誠実に素直に御言葉に聞き従おうとするならば、神様はあふれんばかりに祝福してくださいます。神様のくださる恵みによって生きようではありませんか。きょうの学びで受けた気付きや導きを分かち合いましょう。Uコリント1:12。          (T列王記9:1〜28)

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