小グループで聖書を学ぶ

4.古くて新しい命令(Tヨハネ2:7〜11)

「心の門を開いて」
 
 クリスチャンになるということは、身分が変わることだと言います。それは、イエス様を信じることで、罪の奴隷身分から、義に生きる神の子どもとなったのです。この身分の変化を悟ることが大事です。

「御言葉の種を蒔こう」

1 使徒ヨハネは、この手紙を受け取る聖徒たちに対して何と呼びかけていますか。そして、彼らに何を言っていますか。
・7節/


2 「愛する者たち」と呼ぶのは、手紙を読む者たちが、神様の愛を受ける者になっている者だという意味です。神様の愛する者として、神様の命令を聞くようにということですが、新しい命令、古い命令とは何ですか。どこか違いがあるのですか。
・ヨハネ13:34/
・レビ19:18/

3 律法も根本的には、愛の命令です。病気になったとき、痛みが生じてこそ、検査をして原因を調べ、治療をします。律法によって罪を明らかにされて痛むけれども、罪を知ってこそたましいの医者であるイエス様のところに行って、治療を受けるようになります。「憎んではいけない、恨んではいけない」と言われて、思うことがありますか。



4 引用された古い命令(レビ19:18)は、まずは、「復讐してはならない」でした。それは、神様の仕事だから、するなということです。裁きは神様の領分です。(ローマ12:19)次に、「恨んではならない」と命じています。神様の祝福と守りの中にあった神の民は、その恵みを覚えれば、恨む思いは薄れていきます。そして、最後に「隣人を愛しなさい」と命じています。この順序をみて、思うことは何ですか。



5 神様の命令だからということでしたが、「恨まないで、愛する」ということは、人の力では難しいものです。しかし、私たちがイエス様の十字架によって救われたことで、一大変化が起こります。神の子どもとされて神様との新しい関係が形成されると、イエス様を信じる兄弟姉妹たちとの関係も変わります。どのように変わりますか。どんなコントラストで描写されていますか。
・8~9節/


6 世の問題や人々との関係によって、心や生活が踏みにじられます。踏みにじられた心には、怒りが生じ、憎みを抱えながら生きて行きます。それが「やみ」です。「兄弟を憎まないで、愛しなさい。」と命じていましたが、人の力ではできません。では、どうして新しい命令は、聞けるようになるのでしょうか。守るようになれるという理由は何ですか。どこにその原動力があるのですか。
・Tペテロ2:24/


7 人の愛には、条件があります。親の愛でさえもそうです。もっと良い子であれば愛するのに、反抗を止めて親に従い、感謝してくれるなら愛せるのに、というような条件をつけます。どうやって条件なしに人を受け入れることができるのでしょうか。神様はイエス様の十字架のゆえに私たちを子どもとして受け入れ、愛してくださいました。あなたがたもそうしなさい、とイエス様は言われるのです。あなたはどうしたいですか。



8 福音によって新しい人となり、新しいいのちに生きていかないと、嫌いな人もできて、憎しみも生じるようになります。自分はすでに神様の愛を多く受けているので、人の愛を受けるより、人が神様の愛で立っていけることを願うようになるのです。このような愛の手紙を書くように変えられたヨハネは、はじめはどんな人でしたか。
・マルコ3:17/


9 「兄弟を愛する者は光の中にいて、憎む者はやみの中にいる」結果、具体的にどんなの違いが出て来ますか。(参考/箴言4:19,Uペテロ1:9~10)
・10-11節/

「命の実を刈り取ろう」

 肉の思いで歩めば、容易につまずきます。しかし、神様の御言葉と信仰で歩むなら、光の中を歩むのでつまずかないようになります。労苦があっても、神様の愛と恵みを受けながら人生を生きることができます。どのような信仰の人となることを願いますか。具体的な決心はありますか。分かち合いましょう。

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