小グループで聖書を学ぶ

7.神様の子どもとされた恵み(Tヨハネ3:1〜3)

「心の門を開いて」
 
 イエス様を信じたら、罪赦されて、天国へ続く新しい命が与えられているということをクリスチャンは知っています。しかし、神の子どもとされことと聖化されて行くということを忘れています。イエス様に出会って、神様の愛によって変えられ、新しい人になった、その素晴しさを学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 人はイエス様を信じたにもかかわらす、世的な条件が満たされないと、不平不満を持ちます。神様は私を愛すると言いながら、なぜ願っているようにしてくれないのか、と文句を言うのです。しかし、信仰が成熟して行くと、神様の愛を知り、驚くようになります。それは、何ですか。
・1節/
・ヨハネ1:12/

2 神様と人は、まったく違います。神様は、天地のすべてを造られたお方です。私たちは、その被造物の一つに過ぎません。神様と私たちの関係は、私たちと虫の関係のようです。虫のような私たちに関心を持ち、責任をはたそうとされました。神様は私たちをご自分の子とするためにどのような計画たて、どんな犠牲をはらわれたのですか。
・エペソ1:5/
・ヨハネ3:16/

3 これまでどんなに空しく生きて来たとしても、今どんなに悲惨な境遇であるとしても、イエス様を信じて救われ、クリスチャンとなったということは、自分が神の子どもという尊い存在になったということです。神の子どもの身分は、どれほど素晴らしいのですか。
・ローマ8:17/
・ローマ8:29~32/

4 当時のクリスチャンの多くが奴隷身分だったようです。彼らが神の子どもとされたといっても、奴隷から解放されたわけではありません。しかし、内なる人は確実に変わります。神様の祝福を受けるようになります。私たちは、神様の子どもという身分を与えられただけでなく、それに相応しい者とされる大きな変化の恵みを与えられています。それは何ですか。(参考/ローマ8:29)
・2節/

5 イエス様に救われた者は、神様の子どもという身分だけでなく、「キリストに似た者となる」過程にあります。どれほど賛美すべきことでしょうか。私たちは、イエス様の十字架の救いを信じた時、罪赦され、滅びから解放され、新しい命に生きるようになりました。イエス様に似た者とされる過程は何と言われていますか。
・3節/
・エペソ4:23-24/
・コロサイ3:9~10/

6 聖い神様の子どもとされたのですから、自分自身を聖くしなさいというのです。聖めとか聖別という言葉は、「神様のものとして聖め分けられる」という意味です。肉の性質が聖められなければならないのは、肉の思いが、私たちのこの素晴らしい身分を見えなくさせているからです。神様の子どもとされた特権、恵みを知らず、親がいない子どものようになると、どんな状態になると思いますか。



7 神様の子どもとされた特権、恵みを知らないと、不安で愛されていない者のように、自分を否定しながら歩んでしまいます。不平不満が出て、肉の思いのとりことなり、妬み、憎しみ、憤りなどに翻弄されるようになります。ですから、私たちがどんなに多くのものを得たとしても、イエス様に似た者となる聖化の道を歩まないなら、すべてのことは水泡に帰します。これから後、終わりが大切です。私たちは、有終の美を飾って、信仰の生涯を全うしたいのです。それには、どうしたら、よいですか。(参考/Tテサロニケ4:3,ヘブル12:14)



8 「御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったか。」まさに、神の子どもとされることは、特権です。神の子どもとされたということは、素晴らしい神様の恵みを相続できる者となりました。あなたは、どんな親や家庭で育ちましたか。神の子どもとなった者にとって、どんな親のもとで育ったのか、どんな環境で育ったのかは、関係ありません。その環境はどのように変化しますか。
・ローマ8:14/
・Uコリント5:17/

「命の実を刈り取ろう」
 
イエス様を信じたことで神様の子どもとされました。子どもとして愛され、子どもとして守られ、子どもとして祝福と恵みを受け、子どもとして御父の栄光をあらわし、子どもとして御国へと導かれるのです。それによって、生い立ちの傷が癒され、親子関係のかっとうからも解放されます。この御父なる神様の恵みにこたえて、どのように生きて行こうと導かれましたか。分かち合いましょう。

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