小グループで聖書を学ぶ

13.私たちに伴われる神様(Tヨハネ4:12〜16)

「心の門を開いて」
 
 私たちは、いろいろなことで不安や恐れを覚えます。頼るべきものを見出せず、孤独を感じることもあります。しかし、イエス様を信じて救われた私たちは、このような考え方を持つ必要はありません。なぜ、そう言えるのでしょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 私たちは、頼るべきものがない、孤独な存在ではありません。聖書は何と言っていますか。それは、どういうことですか。(参考/マタイ28:20)
・12,16節/


2 神様は私とともにいてくださり、目に見えない神様と愛でつながっているというのです。どんなに安心なことでしょうか。神様は、私たち一人一人とともにいてくださるだけでなく、何と言っていますか。
・12節/
・マタイ18:20

3 私たちクリスチャンが集まる時、私たちだけではなく、神様が一緒におられるのです。互いの愛があるところにともにおられると言われています。クリスチャンが集まるところと言えば、どこですか。どんな状況のところですか。そこでどんなことを感じますか。
(参考/ヨハネ4:23,使徒2:45~46)


4 クリスチャンが集まって、神様を賛美し、祈る時、世の人々が集まる時に感じることとはまったく違う強い力を感じます。私たちは、礼拝する中で、世の何よりも神様から愛されていることを感じ、神様が私たちを守り、導いてくださることを感じるのです。しかし、イエス様を信じると言いながら、自分は悲惨で孤独であると考える時があります。どん時でしたか。



5 次に、私たちが不安や恐れを覚えなくてもよい理由は、何ですか。イエス様を信じた者には、何がその人のうちに臨み、住んでくださると教えていますか。(参考/ヨハネ14: 16-17)
・13節/


6 イエス様を信じた者には、主の御霊がその人のうちに住んでくださるというのです。御霊の働きはどんなことですか。御霊はどのようなことをしてくださいますか。(参考/ローマ8:26, ヨハネ14:26, 詩篇51:10~11)



7 主の御霊がうちに住んでいてくださるのに、自分は孤独だと考え、自分を否定し、恐れや不安を持つ人がいます。それは、なぜでしょう。私たちはどんな存在なのでしょうか。
・イザヤ43:4/
・Uコリント4:7/
・ローマ8:35,38~39/

8 神様がともにおられ、自分の中に聖霊が内住してくださるために、神様が行われた最も偉大なことは、何ですか。人は、どのようにして救われますか。私たちは、何を証しするのですか。
・14~15節/
・ヨハネ3:16/

9 御子イエス様が私たちに与えられたということは、神様の驚くべき愛を教えています。世を変えるのは、この愛です。神様が自分を愛してくださったということを知る者は、どうするように努めますか。御前にあって、自分がそのような尊い大事な存在であるのを悟るなら、どのようになりますか。
・Tコリント6:20/
・使徒20:24/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちが神様のうちにとどまるならば、神様も私たちのうちにいてくださいます。イエス様を信じた時から、主の御霊が私のうちに住んでくださり、私とともに人生を歩んでくださるとは、なんて尊い素晴しいことでしょうか。神様こそ真に頼ることができるお方です。救われているのに、神様に頼らないことほど愚かな空しいことはありません。心のうちに住まわれる聖霊を知り、主だけを頼るなら、不安や困難の中にこそ、特別な神の力が注がれます。導かれたことを分かち合いましょう。

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