小グループで聖書を学ぶ

14.愛を実践して行く恵み(Tヨハネ4:17〜21)

「心の門を開いて」
 
 当時グノーシス主義と言われた教えの影響を受けた人々は、頭だけの信仰生活をする特徴がありました。しかし、信仰は、実際の生活の中で実践されるものです。御言葉を学び、神様の愛を体験することで終わるものではありません。それを教えているのが、今日の箇所です。

「御言葉の種を蒔こう」

1 前節で、イエス様が私たちのために十字架にかかってくださったほどに神様が私たちを愛してくださったのだから、私たちも互いに愛しなさい、人を愛しなさい、と命じられていました。そのようにするとどうなると言っていますか。(参考/Tヨハネ4:10-12)
・17節/


2 「愛が私たちのうちにおいても完全なものとなります」というのは、すでに神様からいただいている愛を私たちが伝える時、私たちのうちにおいても愛が全うされるということです。神様から始まった愛が、それを受けた者を通して伝わって行くことは、神様の私たちに対する願いです。でも、一般的には、愛はどのように思われているのでしょうか。



3 神様の愛は、罪に滅んで行く私たちをイエス様の十字架のゆえに、滅びから引き上げ神の子どもとしてくださった愛です。神様が私たちを好きだからではなく、好まれる資質が私たちにあったからではなく、反抗し、失望させるだけの私たちを神様は忍耐し、哀れんで救ってくださったのです。この愛を受けた私たちも、他の人に対して好き嫌いではなく、相手を受け止め、何かを実践して行くのです。これが、愛です。これを知って、あなたはどう思いましたか。



4 神様が私たちにされたように、私たちもこの世で他の人に愛を実践する時、神様の愛が全きものとなるということですが、どのように愛して行くのですか。どのように助け、仕えることができるのでしょうか。(参考/ヨハネ6:9~11,マタイ10:42,マルコ14:8)


5 私たちが神様の恵みを受けて人を助けて、仕えて生きる時、神様が私たちに与えてくださる幸いは、何ですか。
・17節b/
・マタイ7:21/

6 人を助けて、仕えて、愛を実践して生きる時、どう思われるかと躊躇しますか。自分の心配や労苦だけでいっぱいだと思うでしょうか。しかし、人を愛し、助ける者に神様は、ある保証を約束してくださいましたか。どんな保証ですか。(参考/Tペテロ5:7)
・18節/


7 信仰生活で重要なことは、多くのことを学んだり、幸いを多くを受けたりすることではなく、一つを学んだら、一つを実践するということです。一つずつ実践するならば、神様の奇跡があらわれ、祈りの答えも出て来るからです。信仰生活での自信も出て来るでしょう。まずしてみようと思った一つを分かち合いましょう。



8 愛は神様から始まり、私たちはその通り道です。愛が流れて行かなければ、どんなことが流れて行くのでしょうか。(参考/詩篇109:5,箴言10:12)
・19-20節/


9 20節では、目に見えない神をどのようにして愛することができるのか、それは目に見える兄弟を愛することを通してだと言っています。なぜ、そのように言えるのですか。
・マタイ25:40/


10 神様の愛は、認識の変化をもたらします。私も同じ罪人だという思いを生じさせます。御子を十字架に渡された神様の愛を知ると、一人の存在の大切さが分かって来ます。神様の愛を受けて、行ってみて、恨みや憎む思いが減って来たでしょうか。(参考/イザヤ43:4a)


「命の実を刈り取ろう」

 神様を信じて、イエス様の十字架によって救われているなら、人を受け止め、人を助け、人に仕えなさいと命令されています。21節。私たちは、この命令に従うだけです。愛は後で発生して来ます。秘訣は、小さいことで実践してみることです。後には大きいことを成し遂げるようになります。小さな愛を流して、大きな祝福を受ける者となれます。決心したこと、導かれたことを分かち合いましょう。

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