小グループで聖書を学ぶ

17.私たちの確信(Tヨハネ5:13〜21)

「心の門を開いて」
 
 クリスチャンは、もっと確信をもって生きて行くことができます。クリスチャンは、世的に見れば、不安定で弱い人のように見られますが、私たちは「永遠のいのちを持っている」のです。13節。神様につながっている命だということです。新しい命で、神様の御心を悟り、大胆に祈ることができる信仰が与えられています

「御言葉の種を蒔きながら」

1 信じて救われているのに、不安や弱さを覚えていませんか。永遠のいのちを持っている者は、どんな保証が与えられていますか。どんな内容ですか。
・14~15節/


2 私たちは神様の子どもとされました。御心にかなう願いをするなら、神様が必ず応えてくださると確信を持つことができます。でも、祈りが応えられないと思っていませんか。なぜそうなのでしょうか。
・伝道者の書3:11/
・イザヤ55:8/

3 神様は、私たちの祈りについて、最もよい方法で応えてくださいます。応えてくれないのではなく、私たちの時間や思いと違うだけなのです。神様の御心と合わないならば、その答えを待つ時間を通して、私たちを神様の御心に近づくよう導かれます。祈りの答えの確信を与えられている私たちは、どうすべきですか。
・Tヨハネ3:21~22/
・ヘブル4:16/

4 神の御子を信じている者は、永遠のいのちを持っています。(13節)素晴しい恩恵を受けているのに、このいのちに生きていない人が大勢います。肉の人となり、世に流され、罪のままでいるのです。私たちがどうするようにと命じていますか。
・16~17節/


5 罪に翻弄されている者のために、とりなしの祈りをしなければなりません。とりなし祈ることは、兄弟姉妹を愛することになります。イエス様は、弟子のペテロがご自分を知らないと三度否定するという予告をした時、やがてご自分を否定することになるペテロのためにどうされましたか。
・ルカ22:32/


6 自分を悩まし、自分の心を痛める者のために、祈ったことがありますか。その時、どんな心となりましたか。肉の人となって罪に翻弄されていた人のために、とりなし祈ったら、何か変化がありましたか。



7 おわりに「知っています」という表現が三度出て来ます。それは、私たちが持っていなければならない確信です。どんなことですか。
・18-20節/


8 一つ目は、クリスチャンは、「罪の中にいない」ということです。「罪を犯さない」の直訳は、「罪を犯し続けない」ということであり、「継続的に罪の中にいることはない」ということです。神様の子どもとされた者は、失敗や誘惑に陥ることがあっても、そこにい続けない者とされています。どんな恵みを感じますか。(参考/マタイ6:13)



9 二つ目は、私たちが神様に属していることです。神様の子どもとされている私たちは、人々と同じような状況だとしても、その中身や意味は全然違います。どう違うのですか。
・ローマ8:35,39/


10 三つ目は、私たちが真実な神様を知っているということです。真実な神様を知ると、世のすべてのことが、謎が解けるように見えて来ます。自分が誰であるか、何のために生きなければならないか、その意味を悟るようになるのです。人の罪の性質やサタンの策略も知るようになります。知るようになった体験を分かち合いましょう。


「命の実を刈り取ろう」

 この書は、他の手紙のような祝福と問安の代わりに、確信の言葉で終わっています。その理由は、揺れ動かされる時代にあって、確信の言葉こそが、聖徒たちを幸いにさせるからです。いたずらに歳月を過ごしていませんか。偶像やサタンに支配されていませんか。私たちを取り巻く環境もまた、私たちを揺さぶり、私たちを救いの恵みから引き離そうとするものに満ちています。神様から生まれた者として、新しいいのちが与えられています。どのように生きて行きますか。ヘブル6:11。

戻る