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16.イエス・キリストの証しのゆえに(Tヨハネ5:6〜12)

「心の門を開いて」
 
 私たちの信仰の基礎はどこにあるのでしょうか。どこにあれば、満たされて落ち着いた信仰生活をすることができるのでしょうか。初代教会時代から、信じてまもない人々の証しによってしだいに福音が広がって行きました。それは、イエス様についての証しでした。

「御言葉の種を蒔こう」

1 使徒ヨハネは、イエス様について言うとき、どのように紹介していますか。
・6-8節/


2 「血と水」がイエス様を証ししていると言いますが、どんな意味があるのでしょうか。イエス様の何をあらわしているのでしょうか。
・マタイ3:11,16/
・エペソ1:7/

3 「水」とは洗礼のことです。水は、罪からの聖めを象徴しています。大事なことは、自分の罪を神様の御前に告白し、罪の赦しを受けて、洗礼を受けることです。そして、「血」とは、命の象徴です。人となって来られた神の御子イエス様が、私たちの身代わりに十字架に死なれ、血を流されました。イエス様がご自分の命を犠牲にされたことを血の贖いと言います。あなたは、このことをどのように思っていますか。
・Tペテロ3:18/


4 もう一つは、「聖霊があかしする」といわれました。どんな働きをするのですか。
・ヨハネ14:16/
・ローマ8:26-27/

5 主の御霊、聖霊が私たちのうちに注がれ、宿り、住んでいてくださいます。聖霊は、私たちの信仰が固く立つようにしてくださいます。聖霊は、私たちが神様の御言葉を聞く時、悟るように内的な働きをします。聖霊が私たちの心の中でともに証ししてくださるのです。あなたにとって、御霊はどんな存在ですか。あなたについて、御霊の働きはどうですか。

6 次の節では、「イエス様のあかし」について、二つの「あかし」対比をしています。それは何ですか。
・9-10節/


7 この手紙が書かれた時の教会の事情がありました。人々が、人の体験談や証しばかり好んで聞いていたようです。それは、真実ばかりでなく、脚色もありました。間違った教えも多く、多くの人の信仰が揺さぶられていました。現代で言えば、クリスチャンの集りで、御言葉を聞くより、社会の話題や個人の噂話ばかり好まれるようなものです。御言葉でどう言っているかよりも、人がどう言ったかに影響されます。どんな問題が起こると思われますか。



8 私たちは、信仰生活の体験を聞く必要があります。信仰は具体的な生活を通してあらわれるものです。私たちは、人の信仰の証しを聞いて、励ましや慰めを大いに受けます。セルなどで、私たちは信仰の体験を分かち合っています。しかし、それが御言葉に変わるものとなったり、御言葉から離れた話となったりする場合、どうなるのでしょう。



9 当時このような傾向がかなりあったようです。それで、多くの人の信仰が、人の言葉によって揺さぶられ、彼らの信仰の基盤があいまいとなり、大切な事実さえ、確信できなくなりました。それは、何ですか。
・11-12節/


10 イエス様が世に来られたのは、私たちにどんな人生を与えるためですか(参考/ヨハネ10:10, Uコリント4:7/



「命の実を刈り取ろう」

 イエス様のあかしを聞いて救われた私たちは、力ある豊かな人生を生きることができます。ヨハネ5:24。神様から無限の力が供給され、神様の祝福と恵みの中で生きることができるのです。今私たちは、この世に「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」世に置かれています。イエス様の救いの証しを学んだ私たちは、どのような思いが心に生じて来るでしょうか。黙示録1:2,9。

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