2020年1月12日「アグルの祈り」箴言30:1〜33

序−人々の祈りは、自分の望みを追求する祈りが多くを占めているそうです。生活において、不安や不満が多く、何かを手に入れ、何かができることを常に望んでいるからです。多くの人々が、そのために心をすり減らし、人生を疲弊させてしまうのです。聖書は、そんな姿について、何と教えているのでしょうか。私たちの祈りも点検してみましょう。

T−不信実と偽りとを私から遠ざけてください−7〜8
 箴言30章は、アグルという人が記しています。その時代は、イスラエルが未曾有の繁栄を築いたソロモン王の時代です。アグルの名前の意味は「収集者」という意味です。知恵ある者として箴言を収集し、整理して、人々に教える人だったと思われます。30章全体を読んでみると、アグルは、謙虚で、観察眼に優れ、知恵を得ようと深く研究する性格の持ち主だったということが分かります。そんな知恵ある謙虚で誠実なアグルの祈りです。7〜9節。アグルの祈りと呼ばれる祈りですが、知られていません。地味な祈りだからでしょうか。アグルは、彼は非常に控えめな祈りの人でした。彼はいつも自分の無知と不足を告白しながら生涯神の恵みを求めてきた祈りの人でした。2〜3節。
 アグルの祈りは、モーセのように海を渡らせてくれというわけでもなく、エリヤのように雨を降らせてほしいというわけでもなく、彼の祈りは劇的な状況で奇跡を求める祈りでもありません。ただ素朴な祈りです。それを聞いた時、誰も関心を持たない祈りであり、それが叶えられた時にも気付く人が全くいないような祈りです。しかし、彼の祈りは、最も必要な祈りであり、栄光となる祈りです。読む人に新鮮な衝撃を与え、心に深い印象を残してくれます。私が死ぬ前にお与えくださいという表現は、アグルの生涯を貫いた祈りということです。
 アグルは、2つのことを祈っています。7節。まず1つ目の祈りは、「不信実と偽りとを私から遠ざけてください」という祈りです。8節前半。「不信実」と訳された言葉は、空虚とか空しいという意味の言葉です。中身のない空だから「不信実」なのです。偽りは、自分の利益のために人を欺くことです。自分の利益や欲のために、人々の誘惑のために、価値のない空しいことに熱中したり、嘘偽りに陥らないようにと祈っているのです。真実で誠実な人生を送れるようにしてくださいと祈っているのです。
 アグルの時代の様相と今の時代は似ています。繁栄の時代が過ぎて、真面目な国民、正直だと言われた日本人も、最近は怪しくなって来ました。大企業や老舗が虚偽の届出や不正をし、政治家や官僚も不正や間違いを隠蔽し、虚偽の答弁をしています。世界の外交や商売には、偽りや騙しが駆け引きとして行われています。世界はまだ、富の追求と富が人を幸せにするという幻想を追い求めています。アグルの祈りは、現代人の耳にも響いて来ます。
 アグルの祈りは、雲をつかむ祈りではなく、現実と向き合い、現実を克服しようとする祈りです。現実の問題と苦痛を受け入れながら、感じるすべての実際的な苦痛や問題を克服することを求めて一日一日を生きようとする祈りです。事件や事故、病気や試練、争いや憎しみなど、日常生活で起こる痛みに直面して祈っています。

U−貧しさも富も私に与えず−8
 2つ目の祈りは、まさにそういう祈りです。8節後半。「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください」という祈りです。ほしいものを祈れば叶えられるなら、誰でも祈りたいのですが、これはどうでしょうか。同意するのは難しい内容でしょうか。しかし、これほど衝撃的な、印象深い祈りがあるでしょうか。
 貧しさとは、経済的な貧困ばかりでなく、何か不足している環境を意味しています。実際に貧困は、歴史的にも人々を最も困らせ、不安にさせる問題です。人は、貧しさのために心が曲がり、偽りをなし、罪を犯すこともあります。貧困化が増大する現代では、様々な社会問題をも生じさせています。貧しさが、他者への羨望や憎しみを生じさせ、精神的な貧困は、人間性を喪失させます。アグルはそうなる危険をよく分かっています。だから、自分の弱さと限界を認めて神に助けを祈り求めたのです。「貧しさを私に与えないで」というのなら、誰でも賛成できるでしょう。
 しかし、「富も私に与えず」というのは、どうですか。そんなのおかしいと言うでしょう。もちろん、富が悪いとか、間違いだからと言っているのではありません。富には危険が伴うからです。繁栄や富は、人々を欲や野望の追求に走らせ、神を離れる結果をもたらすからです。9節。富も貧困のように誘惑が多いです。
 ある人が神を忠実に信じていました。家庭や生活の困難が臨むたびに、必死に祈り、熱心に礼拝をささげました。ところがある日成金になりました。必要なものがすべて必要に応じて得ることができるようになって、神に祈る課題がなくなり、礼拝が滞り、ついには神がなくても自分が生きていくのに不足がないと思うようになりました。まさに、9節の通りです。
 聖書は、物質の豊かさについて警告しています。Tテモテ6:10。アグルの時代、民は繁栄と富に心を奪われました。豊かさの神話が崩壊しても、今も現代人の心をとらえています。人生そのものが競争の連続です。野心を抱かなければ、どのように生き残れるのかと思うのです。でも、聖書に登場するヨセフ、モーセ、ダビデ、ダニエル、パウロを見てください。彼らは財力、知力、権力を持って、世にあって野望を遂げることもできましたが、神との深い関係とその使命を追求したい情熱の方が強くて、世的な野望を放棄しました。神への信頼と使命に従う熱意が勝っていたのです。
 慈善事業で有名なロックフェラーは、世界一の大金持ちになりたいという夢が叶った55歳の時に具合が悪くなり、医師から余命1年の宣告を受けました。彼は、病院のロビーにかかっていた聖書の一節「受ける者より与える方が幸いである」を見つけました。使徒20:35。それを読んで、自分の生涯を振り返り、利益追求して搾取していた自分に衝撃を受け、その時から慈善活動を始めました。その後、彼は98歳まで長生きしました。

V−ただ、私に定められた分で養ってください−8
 私たちは、具合が悪くて問題で悩む時、失望し落胆しやすく、神への信仰と愛が失われ易くなります。私たちは、弱い存在です。私たちは、貧しさと逆境の中で、信仰と希望が揺らぎます。ですから、富んでなければ、強くなければ、持っていなければと思い、それらを得ようと人生を追求します。でも、アグルは、勝利や成功を祈ることをせず、「貧しさも富も私に与えないで」と祈りました。
 それだけでも、成功や豊かさを追求している現代人には、中々理解できないことです。その後続く「ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください」も、もっと衝撃を与えるでしょうか。私たちに、このような祈りを祈ることができるのでしょうか。
 確かに、イエス様は、「日ごとの糧を与えください」と祈るように言われました。マタイ6:11。「私に定められた分」とは、固定された分量ではありません。神が与えてくださった召しに応じて供給してくださる分です。もしアグルが家庭を支えるならば、妻と子供たちを養う分であり、もし国の高官であれば、その機関と民を養う分となるでしょう。適正な分は、人によって場合によって異なるのです。
 イエス様を信じて、救われた者に対しては、「神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」と約束してくださいました。ピリピ4:19。ですから、私たちも、「ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください」と祈ることができます。こう祈ることが、どれほど私たちの思いや考えを健康にし、平安にしてくれることでしょうか。
 ピリピ4:11〜12を参照しましょう。使徒パウロは、「飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」と言っています。様々な試練や迫害の中で、ただ必要な糧と守りを与えられて来たパウロの証しです。「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養って」もらえれば、パウロの証しのようになります。
 いや、世で生きて行くためには、富んでなければ、強くなければ、持っていなければと言うでしょうか。ヘンリー・ナウエンという有名なキリスト教の学者がいます。50代に入ってから、彼は霊的な不安を体験するようになり、ハーバード大学でのアカデミックな生活を捨て、カナダのトロントにある知的障害者の施設、ラルシュ共同体で働きました。その生活を通して、過去の自分がいかに能力を誇示し、人々の歓心を集め、権力を手にしようとする欲求に影響されていたかを知りました。
 障害を抱え全く自分を装うことをしない人々への対応において、何かを築ける自分というものを手放し、弱くて傷つきやすいありのままの自分を認めようになりました。その体験から多くの人々の心を癒し、魂を取り扱う本を書くようになりました。私たちもアグルのように、祈りましょう。8節。必要なことを十分に供給してくださったことを感謝し、苦難と貧困の中でも失望しないで、謙虚に誠実に生きられるようにと祈りましょう。



箴言30:1 マサの人ヤケの子アグルのことば。イティエルに告げ、イティエルとウカルに告げたことば。
30:2 確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない。
30:3 私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も知らない。
30:4 だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。
30:5 神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。
30:6 神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。
30:7 二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。
30:8 不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。
30:9 私が食べ飽きて、あなたを否み、「【主】とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。
30:10 しもべのことを、その主人に中傷してはならない。そうでないと、彼はあなたをのろい、あなたは罰せられる。
30:11 自分の父をのろい、自分の母を祝福しない世代。
30:12 自分をきよいと見、汚れを洗わない世代。
30:13 なんとも、その目が高く、まぶたが上がっている世代。
30:14 歯が剣のようで、きばが刀のような世代。彼らは地の苦しむ者を、人のうちの貧しい者を食い尽くす。
30:15 蛭にはふたりの娘がいて、「くれろ、くれろ」と言う。飽くことを知らないものが、三つある。いや、四つあって、「もう十分だ」と言わない。
30:16 よみと、不妊の胎、水に飽くことを知らない地と、「もう十分だ」と言わない火。
30:17 自分の父をあざけり、母への従順をさげすむ目は、谷の烏にえぐりとられ、鷲の子に食われる。
30:18 私にとって不思議なことが三つある。いや、四つあって、私はそれを知らない。
30:19 天にある鷲の道、岩の上にある蛇の道、海の真ん中にある舟の道、おとめへの男の道。
30:20 姦通する女の道もそのとおり。彼女は食べて口をぬぐい、「私は不法を行わなかった」と言う。
30:21 この地は三つのことによって震える。いや、四つのことによって耐えられない。
30:22 奴隷が王となり、しれ者がパンに飽き、
30:23 きらわれた女が夫を得、女奴隷が女主人の代わりとなることによって。
30:24 この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。
30:25 蟻は力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。
30:26 岩だぬきは強くない種族だが、その巣を岩間に設ける。
30:27 いなごには王はないが、みな隊を組んで出て行く。
30:28 やもりは手でつかまえることができるが、王の宮殿にいる。
30:29 歩きぶりの堂々としているものが三つある。いや、その歩みの堂々としているものが四つある。
30:30 獣のうちで最も強く、何ものからも退かない雄獅子、
30:31 いばって歩くおんどりと、雄やぎ、軍隊を率いる王である。
30:32 もし、あなたが高ぶって、愚かなことをしたり、たくらんだりしたら、手を口に当てよ。
30:33 乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。


Tテモテ6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

ピリピ4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

ピリピ4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

戻る