2020年1月26日「感謝があらわれる」コロサイ1:1〜8

序−日本で一番短い手紙として有名なのが、「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」です。これは、鬼作佐と呼ばれた本多重次という家康の武将が、討ち死に覚悟の戦場から書いたものです。今日から、パウロが死を覚悟した獄中から書いた短い素敵な手紙を学ぶことにしましょう。

T−祈る度に感謝が出てくる−1〜3
 パウロがエペソで3年間御言葉を教えた時救われたのが、コロサイ人のエパフラスです。彼がコロサイに戻り、福音をその地域に伝えて、コロサイ教会が立てられました。後に、ローマの獄中で、エパフラスからコロサイ教会の様子を聞いて記録したのがコロサイ人への手紙です。1〜2節。4章だけの短い聖書の書簡が、感謝について教えています。感謝と言えば、Tテサロニケ5:16〜18の信仰の3本柱が有名です。
 パウロは、「コロサイの聖徒のために祈るたびに神に感謝している」と書き出しています。3節。なんという美しい姿でしょうか。私たちも、誰かのために祈るたびに感謝が出てくるとしたら、どんなに祈りが楽しく、嬉しいことではないでしょうか。私たちは、イエス様の十字架による身代わりの犠牲という恵みによって救われています。罪の赦しと新しい命にあずかっています。このような事実を信じて御言葉に従順な生活をするなら、どんなに感謝があらわれる素敵な人生となることでしょう。
 それなのに、感謝しない人もいるのです。罪の性質は、何かが起きると、否定的に反応して、不平を言い、呟き、無気力にさせます。起こってしまったことは変えることのできないものです。心配しても意味がありません。パウロは、牢獄でも賛美しました。賛美は、神様への感謝です。賛美は、感謝の思いを思い出させ、表させるのです。不平不満や失望で礼拝に来ても、賛美と御言葉に包まれて、感謝と希望を抱いて帰ることになります。感謝の人生を送るかは、私たちの選択にかかっています。
 感謝を妨げる大きな要因は、恵みを忘れることと恩知らずです。イエス様を信じていても、自らを不幸に思って生きる人もいます。「感謝することを知らない者を罰する法律はない。感謝をしない人生そのものが罰だから」(ライヒ・コブス)という言葉は、感謝の大切さを教えてくれます。
 この世界で最も幸せな裕福な人は誰でしょうか。恵みを知って、感謝することを知っている人たちです。残念な姿は、恵みを忘れて生きることです。恵みを知らなければ、感謝することを失ってしまいます。感謝を失ってしまうと、いつも不平不満の人生になります。不安や恐れも生じるようになります。なぜならば、人生には患難や試練があるからです。
 しかし、この時、パウロはローマの冷たい獄中でコロサイの聖徒のことを思いながら祈っています。そのような状況の中で、感謝しているのです。コロサイのことを祈るたびに、感謝しています。感謝することができる状況であれば、感謝も当然ですが、明日をも知れない状況でも、彼は感謝しているのです。牢獄での生活は大変耐えがたいはずですが、恵みを覚えて祈ることで、感謝があらわれて来ました。
 いくら劣悪な状況や環境でも、パウロの心の中にある喜びと感謝を奪うことができませんでした。ローマ8:39。むしろ賛美と感謝をもって祈る時、天の門が開かれ、牢獄の扉が開かれることが起きました。使徒16:25〜26。感謝の祈りは、奇跡を起こします。人は、祈るたびに、自分にはあれがない、これがほしいと自分の必要な願いを祈りますが、自分に与えられているものを見ません。他人のことを妬んだり、不平や不安を持つのです。私たちは、失われたことや損をしたことにこだわりますが、感謝は、今あることを見ることです。感謝は、自分の手にあるものを見ることです。失った、失敗したと考えるなら、私たちの心は寂しくなり、悲しみに陥ります。しかし、たとえ失っても、主を信頼して信仰で眺める者に喜びがあります。感謝する時、奇跡があらわれます。

U−信仰、愛、望み−4〜5
 使徒パウロが感謝した理由は、何でしょう。4〜5節。それは、信仰と愛と希望という三拍子です。Tコリント13:13。まず、聖徒たちには、正しい信仰があったからです。4節。「キリストにある」というように、正しい信仰の本質は、救い主イエス様にあります。2節。私たちの信仰の目標は、イエス・キリストです。私たちを罪から救ってくれる唯一の条件は、イエス・キリストの救い中にいることです。チャールズ・シェルドン「みあしのあと」という小説があります。「イエス様ならどうなさるか」を向こう一年間、自分たちの行動原理にしようと誓い合った教会員たちの苦悩と喜びを書いたものです。そのように、イエス様ならどうされるだろう(WWJD)という姿勢が必要です。生活の現場で瞬間ごとに、イエス様の視点を思って生きるのが信仰の本質です。
 第2は、聖徒たちに愛がありました。4節。イエス様を信じる者の本質的な姿は、周りの人への愛としてあらわれます。しかし、このような愛があらわれない場合、その信仰が間違っているか、サタンの試みに落ちていることになります。Tヨハネ3:18。間違った教えが入って来たコロサイ教会は、愛の共同体となっていたから、守られました。
 第3は、神の国に望みを置いたからです。5節。信仰の勝利者になるには、神の国に希望を置いて生きるべきです。世の中に希望を置いていると、世界のことをもっと得ようと争います。試みが来る時、目を上げて神様を見上げて天国を見てみましょう。そうしたら、自分を苦しめる世のものが消えて行きます。ローマ8:18。
 コロサイ教会の姿がここにありました。信仰、愛、希望、私たちにどれほどあるか、省みてみましょう。コロサイ教会は、誤った教えに揺さぶられていました。しかし、それにより困難を経験している中でも、コロサイ教会の聖徒たちが、信仰、愛、希望を失わなかったし、むしろ信仰と愛と希望が育って実を結んでいたので、パウロは感謝したのです。
 私たちの覚える聖徒たちや兄弟姉妹が、色々困難や患難に出会い、試みにあっても、信仰、愛、希望を失うことなく、信仰と愛と希望が育って実を結んでいるなら、どんなに感謝を覚えることでしょう。私たち自身も、信仰を持って生きて、聖徒たちへの愛が豊かになり、天国に望みをもって生きて行くことを願います。ピリピ3:19〜20。私たちの生活の中において、何よりも優先的に追求しなければならないのは、神の国とイエス様の救いです。マタイ6:33。神を離れては、何の望みもなく、滅びしかないということを知って、神に望みを置いて生きていく人が幸いな人なのです。

V−救いの恵みが広がる−6〜8
 6節に、コロサイ教会がこのように愛と信仰と希望があふれるようになった理由がよく示されています。コロサイ教会が美しい教会になることができたのは、最初に福音が彼らに至ったからです。福音が伝えられても、反対したり拒んだりするのでなく、聖徒たちが素直に福音を受け入れたので、素晴らしいコロサイ教会ができました。福音は誰でも聞いて知ることができます。しかし、福音を受け入れるのは、決断する者だけです。救いの喜びは、言葉を聞いて受け入れる者にのみ与えられる祝福です。
 聖徒たちは、福音を受け入れただけでなく、御言葉に従って信仰に生きて、信仰が成長しました。「恵みを聞き、本当に理解した」というのは、聖徒たちが真理の御言葉を聞いた時から圧倒的な神の愛を感じ、福音は神の恵みであることを悟って、御言葉に聞き従って生きたということです。救いは、人の努力や修行によるのではなく、神の御子が私のために十字架にかかってくださったという神の恵みによることと理解したのです。Tコリント15:10。
 信仰が成熟した彼らは、信仰をもって人々に接し仕え、証ししました。そして、聖徒たちから福音が勢い良く広がりました。福音には生命力があります。福音の御言葉は、死んでいる魂を生かす生命力を持っています。イエス様は、福音を聞いて救い主イエス様を告白した者には、すでに生命の歴史が始まっていることを宣言されました。ヨハネ5:25〜26。
 そして、コロサイ教会の感謝の姿は、正しい信仰の証し人がいたことにあります。コロサイ教会の初穂であるエパフラスです。7〜8節。エパフラスは、エペソでパウロを通して福音を受け入れ、訓練を受け、自分の町コロサイに戻って、福音を証しし、コロサイ教会ができました。エパフラスは、聖霊によって働く忠実な主の働き人でした。7〜8節。エパフラスの御言葉どおり生きようとする純粋な信仰が、その後の実りをもたらしました。ですから、初穂が重要です。
 日本に住むクリスチャンは、言わば信仰の救いの初穂です。家族や地域、職場や学校で初穂のようです。福音の広がりは、私たちの信仰と生き方にかかっています。私たち一人一人が、その地域のその人々の中のエパフラスです。彼の特徴は、ただ「忠実なキリストの仕え人」ということです。
 感謝があらわれてくる教会、感謝があらわれる聖徒たちいる所は、どれほど幸せなことでしょうか。これは他の人でもできることではありません。まさに、そこに遣わされている私たちでなければならない使命です。この使命は、今日、私たちに与えられたものです。救われていることを感謝して、感謝にあふれて生きて、働いて、証しして生きましょう。小さな感謝の習慣が、自分と人生を新しくします。Tテサロニケ5:16〜18。



コロサイ1:1 神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、
1:2 コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:3 私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
1:4 それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。
1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。
1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
1:7 これはあなたがたが私たちと同じしもべである愛するエパフラスから学んだとおりのものです。彼は私たちに代わって仕えている忠実な、キリストの仕え人であって、
1:8 私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。


Tテサロニケ5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

ローマ8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

ローマ8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

Tコリント15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

ヨハネ5:25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。
5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。



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