2020年2月2日「御心を知って生きる」ピリピ1:9〜12

序−私たちは、色々なことで心揺さぶられ、葛藤します。これはどうしたことか、どうしたらいいのだろうと悩んで、主の御心を求めるのですが、分かりません。なぜ教えてくれないのか、何も語ってくださらないのか、何か特別なことがあるのかと思い惑います。使徒パウロがコロサイ教会の聖徒たちのために祈ることから、御心について学びましょう。

T−御心を知る−9〜10
 パウロは、コロサイ教会の聖徒たちが誤った教えによって揺さぶられ、試練の中にいることを知りました。パウロは、それを聞いた日から、絶えず聖徒たちのために祈っていました。9節前半。問題や試みによって揺さぶられている時、このようなとりなしの祈りがどんなに力となり、支えとなることでしょうか。主は、とりなしの祈りに答えてくださいます。
 パウロは、揺さぶられているコロサイの聖徒たちが、神の御心を知るように、神様をよく知るようにと祈りました。9〜10節。イエス様を信じた私たちの中に霊的な知恵と理解力が与えられ、認識の変化が起こります。以前は知らなかったことを知り、かつて間違ったことを理解するようになります。つまり、新しい認識が生じるのです。ところが、イエス様を信じてクリスチャンとなった後も、多くの聖徒たちが、自分の考えや判断ばかりで、問題や試練に揺さぶられたままなのです。
 何を買うかという小さな判断から、人生を決める大きな判断まで迷うことが多々あります。問題や試みに遭うと不安になります。ある状況に置かれた時、神は私に何を望んでおられるのか、それを知る方法はあるのでしょうか。多くの聖徒が、御心が分からないと嘆きます。
 問題や試練に揺さぶられる時、選択に迷う時、主の御心を求めてみるでしょうか。クリスチャンは、自分一人で歩むのではなく、主と共に歩む者となりました。私たちは、主の御心を知らなければ、愚かな者になって歳月を無駄にすることになります。エペソ5:17。聖書は、神について明らかにしてくださった特別啓示です。御心を知ろうとするならば、まずは御言葉を読んで深く黙想してみてください。神の存在と働き、私たちとの関係と私たちへの限りない愛について知ることができます。聖書を通して神様に会い、神の力と愛を発見し、神の御心を知って御言葉通りに生きる聖徒となることを願います。
 心が御言葉で満たされていますか。御言葉の適用を心がけていますか。御言葉によって自分が変えられ、新しくされているなら、御言葉を通して主の御心を知ることができるでしょう。しかし、御言葉の適用に心を向けず、御言葉に聞かなければ、御心を知ることは難しいままでしょう。
 パウロは、コロサイ教会のことを聞いた日から、聖徒たちが神の御心を知ることができるように祈っています。9節。御心を知るためには、とりなしの祈りも必要だということを教えています。問題や試みで揺さぶられる時、とりなしの祈りを求めていますか。そのことに関して、信仰的なアドバイスをしてくれる人を探しているでしょうか。
 誰かが私のために祈ってくれている。心が和み、癒され、励まされる何て素敵なことでしょう。誰かのために祈るというのは、確かに尊い業です。パウロは、「そのことを聞いた日から絶えず祈っていた」と言うのです。イエス様は、そのような懇願の祈りを奨励してくださいました。ルカ18:3〜7。「夜昼神を呼び求めている選民のために放っておかれることがあるでしょうか」というように、慈愛深い神様は、神の子供たちが切実に懇願する祈りを決して無視されないということです。

U−主にかなった歩み−10〜11
 しかし、神学者J・I・パッカーは、「私たちが神の導きを求めるとき、自分自身がもっとも手強い敵になります」と言っています。なぜでしょう。御心が分からないという人は、御心に聞き従おうとしているか自問してみましょう。御心に従おうとしていなければ、御心を知ることはできないでしょう。ですから、パウロは、「主にかなった歩みをして、実を結ぶように」と、祈っています。10節。
 ある人は、問題や葛藤の中で、神の御心が分からない、神は教えてくれないと言います。しかし、「神の導きとは、神がこれと選択されたことを行おうとすでに決意している人々にだけ与えられます」と、有名な聖書学者シェファーは言っています。私たちの人生に対して神が持っておられるはっきりとした御心は、私たちがすべてにおいて神に従うことです。私たちは、信仰のない人のように生きるべきではありません。
 私たちは、主に従い、神を喜ばすと心に決めているでしょうか。御心を知るならば、主にふさわしいことを行って主に喜ばれるようにしなさいと言っています。10節。ヨハネ6:38では、イエス様がこの世に来られた理由は、自分の考えを行うためではなく、御父の御心を行うためでした。ヨハネ6:38。私たちは、主の御心を放っておいて、自分の思いと熱心ですることがあります。そんな時、心の平安がありません。御心を知ったならば、御心を行い、主に喜んでもらおうとすることが重要です。神を喜ばせるならば、自分も喜びます。神が好まれることは自分も好み、神が喜ばれることは自分も喜ぶ、そんな成熟した聖徒となりますようお祈りします。
 感謝と喜びがない働きは、実を期待することができません。イエス様を信じて主の復活の新しい命に与って、生まれ変わった私たちに聖霊様が住んでいてくださいます。聖霊が私たちの中で働いてくださり、私たちを通して神の恵みが実を結ぶようにされることを知ることが重要です。
 神の御心が示され、御志を知ったならば、どうすべきか。マリヤが受胎告知の場面で示しています。ルカ1:26〜38。御使いが来て神の御心が示された時、マリヤはどれほど驚き、受け入れがたかったことでしょう。でも、「おことば通りこの身になりますように」と答えました。私たちも、「御言葉通りこの身になりますように」と祈って、御心を行いましょう。
 御心を努めるというと、私には力がない、主にかなった歩みなんて無理と思うでしょう。しかし、11節に「あらゆる力をもって強くされて」と祈っています。つまり、クリスチャンは神からの力を与えられて、力を発揮することができるのです。イエス様を信じる人には、力が必要です。ところが、多くのクリスチャンが、力を喪失したまま挫折し、落胆します。
 私たちは、全能の神の子どもです。御心を知って生きていくのに必要な力は、聖霊から与えられます。使徒1:8。「聖霊があなたがたの上に臨まれる時、力を受けて...証人となる」と言われた通り、弟子たちが聖霊を受けた後は、力強く大胆に福音を伝える伝道者になりました。イエス様を信じて聖霊を受けている私たちも、御霊の満たしを受けて、主の御心を行う聖徒となりますように、祈ります。

V−神への信頼と神を喜ばせること−11〜12
 私たちが御心を知ることを難しくさせることがあります。私たちは、果たして神を信頼しているかということです。人生のすべての領域において、神に向かって「あなたを信頼しています」と言えるでしょうか。神の民なのに変なことですが、神を信頼していなければ、御心を知ることもないでしょう。知っても行うことがないでしょう。御言葉を示されても、それは難しい、自分の考えとは違うと退けるからです。パウロは、神様を信頼しているから、懇願しているのです。パウロは神を信頼して、コロサイ教会の聖徒たちのためにとりなしの祈りをしているのです。落ち着いて、信頼すれば力を得ることができます。イザヤ30:15。どんなときにも、神に信頼して、自分の思いを主の御前に注ぎ出して、御心を行う者となりますように願います。詩篇62:8。 何かを決断して行う時に、神に栄光を帰することを望んでいるでしょうか。それがなければ、御心を知ることの妨げになります。パウロは、コロサイの聖徒たちが、御心を行って、神の栄光をあらわすように祈っています。11〜12節。
 御心を知って生きようとする人は、他の人に対して「忍耐と寛容を尽くす」ことができます。11節。私たちは、他の人を理解するために問題があります。自分の立場から見て、自分のものさしで相手を量るからです。でも、御心を知る者は、他の人を相手の立場で理解するようになります。お互いの相違を認め、相手の立場で理解することができます。イエス様が私たちの欠けや弱さを理解し、十字架に受け止めてくださいました。ヘブル12:2。
 変えられた心を持った人は、神の御心に沿って生きるとはどのようなことだろうか、と考えます。私たちは、霊的成長を望んでいるでしょうか。パウロは、コロサイの聖徒たちが霊的に成長して、実が実り、信仰が成熟するように祈っています。10〜12節。成熟した聖徒たちはいつも神の御心を実現し、神の意のままに生きることを望んでいます。信仰が成長すればするほど、自分の思い考えよりも、神の御心に従うことを望むようになります。神を信頼し、神に従って生きる人は、決断にあたって神の助けが必要であることを認めます。ヤコブ1:5は、困難や試練の時どう対処すべきか、神がご自分に助けを求める人をすべてお助けになる、と約束しています。
 私たちの信仰が成熟して行くならば、人生のすべての問題を先に神と相談して、神の御心のままに生きて行くようになります。詩篇119:24。神は、御心を示してくださいます。御言葉と御霊を通して与えられています。しかし、私たちはまず祈らなければいけません。ヤコブ1:5。
 



コロサイ1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。
1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。
1:11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、
1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。



エペソ5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

ルカ18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。

ヨハネ6:38 わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。

詩篇62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

イザヤ30:15 神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。

詩篇119:24 まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。

ヤコブ1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

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