2020年3月1日「キリストにある成人として」コロサイ1:25〜29

序−人は生まれると、成長して、やがて成人になります。しかし、物事は、何かがあれば停滞し、前進がストップします。人は、問題や試みで揺さぶられると、思いや歩みは停滞し、前進できなくなります。心揺さぶられていたコロサイの聖徒たちは、そのような状態でした。使徒パウロは、自分のことを話しながら、聖徒たちに停滞から前進への道を教えています。

T−委ねられた務めに従って−25節
 言ってみれば、心揺さぶられていたコロサイの聖徒たちは、停滞していた状態です。私たちが問題や試みに会うと、心が揺さぶられます。酷くなると、他のことが考えられず、他のことができなくなります。問題ばかり見つめ、そのことで頭がいっぱいになります。そこで、パウロは、自分の事を言いながら、聖徒たちに大切なことを気付かせようとしています。
 まず、人には神から委ねられた務めがあるということです。25節。パウロは、宣教師として教会に仕えていることを神から委ねられた務めに従っていると証ししています。それは、誰にでも自分に対する神の計画と意図があるということです。パウロは、神から委ねられた務めなので、高慢も誇りも持ちません。不満や悲しみもありません。神から委ねられた務めなので、苦しみの中で喜ぶこともできました。24節。
 救われているなら、それぞれに対する神のご計画があります。イザヤ48:17,ローマ8:28。神はご計画によって、今日も私たちに働いて、志を立てさせ、何かを行わせようとされておられます。ピリピ2:13。私たちは、神がなさることの意味とその方法をよく理解することができません。しかし、自分に関するすべてのものが、神がご計画を達成するためのものであることを信じているかということが大切です。
 パウロは、諸教会に手紙を書く度に、まず、自分がイエス・キリストの召しを受けてその働きにあることから手紙を書き出しています。ローマ1:1。パウロは、いつもその働きに神が召し出されたことを確信して、委ねられた務めを感謝して、忠実に仕えていました。私たちは、自分の仕事や学びや責任を神から委ねられた務めと意識しているでしょうか。意識するならば、その働きや学びに力が入るでしょう。たとえうまく行かず、失敗したとしても、神が志を立てさせ、事を行わせてくださると信じて、停滞することなく、前進することができます。
 私たちは、時々、自分はなぜここに置かれているのだろうか、どうしてこの働きを担っているのか、私のなすべきことは何だろうか、私が咲くべき所はどこだろうかと考え、祈ることが大切です。そうするなら、停滞することも意味があります。95歳以上の50人に「もし、もう一度人生の機会が与えられるならば、どのように生きますか」と質問したところ、日々反省しながら生きる、勇気をもって生活する、何か残る生き方をするという答えが多かったそうです。ここから発見できる重要なことは、「人は誰でも後悔のない人生を望んでいる」ということです。
 ですから、私たちは、自分に対する神のみこころを追求し、神のご計画を悟り、神の導きと神の助けを求めて生きる人生を生きなければなりません。パウロは、世の価値観でがむしゃらに生きて、気付けば教会の迫害者となっていましたが、ダマスコ途上で主の声を聞き、自分の人生を点検させられたのです。そこから目を輝かせながら、神に委ねられた務めに労苦しながら、奮闘して来たのです。29節。パウロは、健康な人ではありませんでした。視力も良くなく、定期的に来る病気もありましたが、堅く立って、動かされることなく、委ねられた務めに励んだのです。Tコリント15:58。

U−福音を伝えることで信仰に生きる−
 パウロのその委ねられた務めとは、何ですか。26〜27節。奥義である救い主イエス・キリストを伝えることです。奥義とは、秘密という意味です。なぜ、そういうのでしょうか。今、私たちにとって、救い主がイエス・キリストだというのは、あまりにも簡単に聞こえます。しかし、旧約聖書には、やがて救い主が来られることだけしか知らされていませんでした。その秘密が明らかにされたのが、救い主イエス様です。
 イエス様に人格的に出会って、主の愛と恵みを経験するまでは、まさに秘密です。御言葉すら知らずに、世の思想と教え、偶像の中にいたコロサイの聖徒たちにとって、まさに秘密のベールが取られて目の前にあらわれたのが、イエス様の十字架の福音でした。神なく望みなく、人生をさまよっていた者が、福音を聞いて、救われたのです。あまりにも素晴らしいことでした。イエス様に出会った後は、幸せです。自然に賛美が出て来て、理由なく感謝の思いが生じて、ひとりでに涙が溢れて来ます。状況は一つも変わらないのに、天国を感じるようになります。なぜでしょうか。その秘密を知ったからです。知るまでは分からない、秘密なのです。
 その秘密を世にあらわし、伝えることが教会の使命です。聖徒たちに委ねられた務めです。素晴らしい秘密は知らせないではいられません。その福音をパウロがエパフラスに伝え、エパフラスがコロサイの人々に伝えてくれました。6〜7節。しかし、今それは聖徒たちのところで停滞していました。私たちは、問題や試みに出合うと、自分のことでいっぱいになり、他の人のことを顧みる余裕がないと思い、問題や患難ばかり眺めます。心の働きも停滞します。
 でも、逆なのです。私たちが、問題や試みで心が萎え、行動が停滞している時、他の人に仕え、委ねられた働きに勤しむならば、かえって気が紛れ、いや励ましや力さえもらえるのです。私たちが、福音を証しし、救い主イエス様を伝えるならば、その人が栄光の望みであるイエス・キリストに出会い、救いの恵みに浴するだけでなく、伝える私たち自身も、福音の素晴らしさを再確認することになるからです。そして、停滞していた心や働きが、前進するようになります。イエス様を自分一人だけ信じて生きるのではなく、他人にも伝えて、その人がイエス様を信じて、新しい人になってもらうのです。それが、私たちの前進する人生となります。
 私たちが伝道と証しに力を使わなければならない理由が、まさにここにあります。キリストは栄光の望みというのは、イエス・キリストだけが、私たちの人生の問題を解決してくれる唯一のお方であるという事実を言うのです。私たち自身が、イエス様だけが唯一の私たちの望みと確信して生きて、伝えて行くことです。

V−新しく生まれた者は成長する−
 心揺り動かされて、心と働きが停滞して聖徒たちは、信仰が成長せず停滞していました。福音を信じて、救われた者は成長します。28節。キリストにある成人として立たせるとは、イエス様を信じた者は、成長するということです。霊的に成熟した信仰になるということです。イエス様を信じて救われた時は、新しい人として生まれました。生まれた子どもが成長しないままでしょうか。
 子どものままだったら、どうなりますか。エペソ4:14。人の悪巧みや悪賢い策略によって、教えの風に吹き回されたりすると言っています。誤った教えに揺さぶられていた聖徒たちは、成長が停滞していたのです。
 私たちのために十字架上に犠牲となられたイエス様は、私たちが救われたことだけに満足せず、信仰が成長するように、霊的に成熟した聖徒となることを望んでおられます。主は、弟子たちに福音を伝えて、勧めて、教えて成熟した信仰を持つように導きました。これが弟子を養育する方法でした。パウロも、あらゆる人にキリストを伝えて、戒めて、教えました。御言葉の弟子養育を受けた人が成熟したクリスチャンとなります。
 私たちも、主の弟子養育のモデルに倣います。あのような弟子たちが、どれほど素晴らしい成長を遂げたか、どれほど成熟した働き人になったか、驚くばかりです。Tコリント1:27〜28。停滞しているかに見えた弟子たちも、霊的に造り変えられ、成長しました。ですから、私たちにも、それが起こることを信じます。
 問題や試みで心揺さぶられ、失敗や挫折で停滞する時、重要なことは、救われたに留まらず成長する者になっていることを確信することです。そして、自分自身が成長したい、御言葉による養育によって霊的に成熟したいと願うことです。停滞から前進へと変わります。
 主は、昇天前にその働きを続けるように言い残されました。マタイ28:19〜20。これは、弟子養育の働きを述べています。救われた人を御言葉で養育し、イエス様の救いの証し人として世に遣わし、教会に仕え、人々に仕える者とされるのです。形式的なクリスチャンではなく、信仰に生きる成熟したクリスチャンに育ち、自己中心のクリスチャンではなく、キリスト中心とした信仰生活をする者になります。そのために、パウロは、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しました。29節。
 どこまで成長するのでしょうか。イエス様に似た者となるまでです。理想的な聖徒は、イエス様に似た弟子に成長する人です。エペソ4:13,15。理想的な教会は、すべての聖徒が一緒にイエス様に似た弟子たちに成長する教会です。イエス様の3年間の公生涯は、要約すれば、弟子たちを養育することでした。ですから、私たちも、この働きに集中する必要があります。救い主であるイエス様を世に伝え、救われた魂がイエス様の弟子として養育され、成長して行く教会となることを願います。




コロサイ1:25 私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。
1:26 これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。
1:27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
1:28 私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。
1:29 このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。



イザヤ48:17 あなたを贖う【主】、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、【主】である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

ピリピ2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

Tコリント15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

エペソ4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。

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