2020年5月3日「感謝の心を持つ人に」コロサイ3:15〜17

序−今社会は疲弊し、不安や恐れ、不満や憂鬱が増大しているような状況です。そんな中に生きる私たちへのメッセージとなっているのが、今日の箇所です。様々なことで揺さぶられて、不安や恐れ、戸惑いや不満の中にいたコロサイの聖徒たちに必要なことが勧められています。でも、そのような状態とは反対のことのように見えるのですが。

T−主の平安が心を支配するように−15
 今日の箇所は、繰り返し感謝するように勧めています。でも、感謝しろなんて言われても、人の境遇によっては、ふざけるなと怒るでしょうし、不謹慎だと言われかねないことです。なぜ感謝するのですか。どうして感謝できるのでしょうか。感謝するためにどうしたらよいのですか。
 まず、15節。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさいと言っています。感謝の心を持つ人になるために、心が平安になる必要があるということです。人の心は、持ち方に応じて感謝の泉にもなり、文句の掃き溜めにもなります。幸、不幸は、すべて心にかかっているのです。私たちの心に平安がなく、不安や恐れ、不満や憂鬱が満ちているなら、私たちは決して幸いを感じることはできないでしょう。
 感謝する心を持ちなさいというのは、意志的に感謝する者になりなさいということです。文句を言う人は、どんな状況でも文句の種を見つけ、不平不満の材料が尽きることはありません。人々はしきりに何でも比較しようとします。比較は、感謝の最大の敵になります。出エジプトの民の特徴は、不平不満です。いつも不平不満で呟いていました。出エジプト17:2〜3。エジプトの奴隷から解放された感謝がありませんでした。
 人々の心に平安がないのは、罪の働きによって不満や怒りが心を占め、拠り頼むべきものがなく不安や恐れにおおわれるからです。しかし、イエス様が、私たちのために十字架にかかって、罪と死から解放してくださいました。信じて救われることによって、平安をいただくことができます。イエス様が十字架にかかって死なれた時に、弟子たちは恐れと不安で戸を閉めて閉じこもっていました。その弟子たちに現れた復活のイエス様の第一声は、「平安があるように」でした。平安が必要だったのです。
 平和が壊れた人間関係では、互いに反目し、不平不満を持ち、怒り、悪口を言い合い、憎み合います。しかし、イエス様の十字架によって赦しを与えられ、イエス様の愛を受けて、平安が訪れます。イエス様の十字架によって救われた私たちは、感謝する新しい人に生まれ変わるようになります。感謝が人間関係を変えます。家庭で感謝の気持ちを持つ人になれば、夫婦の交わりが回復し、家庭の平和が実現するようになります。
 なぜ、イエス様を信じる聖徒は、感謝しなければならないのですか。世の人々が持っていない平安を受けているからです。ヨハネ14:27。この平安のために何をするようになりますか。ピリピ4:6〜7。思い煩わないで、あらゆる場合に感謝の祈りをすることができます。どんな状況でも、主が感謝の心を持つ人と一緒におられます。恐れないで、心配しないでください。

U−御言葉を心に豊かに住まわせ、賛美にあふれる−16
 私たちが感謝する人になるためには、御言葉を心に豊かに住まわせる必要があります。16節。御言葉が私たちの心に豊かになると、御言葉を通して罪を悟り、悔い改めて、正しい神の人に造り変えられます。御言葉を聞いて黙想する時、私たちの心が神様に取り扱われ、平安と喜びへ導かれます。心に感謝が生じます。そして、御言葉に養われると、信仰が整えられます。信仰と霊性が養われると、互いに御言葉を分かち合い、互いに教え、励まし合うようになります。
 そして、御言葉を通して、神の御心を知るようになると、感謝が生じて来ます。口から出る御言葉は、賛美になります。御言葉の養いと分かち合いと賛美、これこそ礼拝の生活です。16節は、弟子訓練の学びの暗唱聖句にも入っており、題は、「礼拝の生活」です。聖徒の生活において賛美が占める割合は非常に大きいです。それは、賛美が与える力があるからです。賛美は、人を癒し、希望を与えます。賛美は、人を動かします。ですから、私たちは、賛美する人にならなければなりません。
 よくある例ですが。ある人に事件が起こり、辛い問題を抱えて、重い足取りで礼拝に来たとしても、賛美をしながら、心の痛みが癒され、涙が溢れて来て、こごえた心も溶かされて、御言葉が染み込み、喜びと感謝を持つようになったという証しがしばしばあります。賛美する時、そこに聖霊が働いてくださり、賛美し始めた瞬間から涙が流れて来るという時もあります。賛美は、御言葉そのもの、神様との交わりそのものだからです。
 パウロは、ピリピで伝道をしていた時、捕まえられて投獄されました。パウロたちは、暗い地下牢に投げ込まれました。どれほど恐ろしくて不安だったのでしょうか。でも、獄中で鎖に繋がれながら、賛美をしました。結局地震が起きて、助け出されました。パウロは、この手紙をローマの獄中で記しています。感謝できるような環境でないけれども、感謝を勧めているのです。環境や状況が良ければ、感謝できると人は思うのですが、信仰による感謝は、環境をも越えるものです。
 人は、苦難を受けると、不平不満を抱きます。失望落胆します。憂鬱になります。しかし、聖書に出て来る神の人たちは、逆境でも感謝しました。苦難は、偉大な先生です。苦難があるので、主の御言葉に拠り頼み、人生を生きていくことができます。Uコリント1:8〜9。苦難の時、逆境の時、御言葉を思い出してください。賛美してください。
 環境を越えて感謝することができる秘訣は、人生を眺める視点の違いによります。人生を眺める視点は2つあります。1つは、環境を介して人生を眺める視点です。環境が良いときは、すべてのものがうまく行くように見えますが、状況が変われば、その状況の前に人生は揺れ動くことになります。もし私たちが自分を取り巻く状況だけで人生を眺めるならば、私たちは息苦しさを感じるしかないでしょう。
 しかし、イエス様の中で人生を眺めるならば、違います。パウロは、イエス様に出会って、何が真の人生なのかを発見することになります。神の愛の前に感謝の告白が出てきます。牢獄の中で痛みを覚えながら、感謝しました。望みが絶たれた時でも、主に拠り頼み感謝しました。今の苦難は、将来享受する栄光と比較できないと感謝しました。ローマ8:18。

V−神の恵みを発見し、数えてみる−17
 信仰によって生きる人は、環境が不利でも文句がありません。条件が良くなくても絶望しません。どこにも神の恵みがあるからです。17節。すべての言動をイエス様によってなし、すべてについて神に感謝しなさいというのです。感謝エウカリストスという原語は、良い、豊かという意味の接頭語エウと恵みカリスという言葉の合成語です。恵みは神様のくださるものです。Uコリント9:8。感謝とは、まさにそれが神の恵みだと言う信仰の告白です。そこに神の恵みがあるという感動の言葉なのです。
 感謝祭はアメリカに最初に移住した清教徒が始めたものですが、清教徒は、厳しい環境の中でも、感謝の材料を見出して、感謝しました。私たちは厳しい状況にありますが、そこにも感謝できる材料があります。家族と一緒にいられる、日頃できないことができる、じっくり御言葉を読んで黙想して祈れるなどです。聖書は、あなたが受けた恵みを数えてみなさいと言います。詩篇103:2。感謝日記や感謝ノートというものがあります。意識して記すと、感謝できることは沢山あります。感謝したい人に感謝を書いたノートを贈ると、受ける人も書く人も、劇的に変化するそうです。
 クリスチャンはすべてのことに感謝する習慣が必要です。どのような場合にでも、何をしても感謝することを知っている習慣を持つということです。神様に感謝します、イエス様ありがとうございますと言うように、私たちは、感謝という言葉を生活化する必要があります。感謝が生活化するのです。誕生日に感謝します。過去1年の間、神が守ってくださったからです。結婚記念日も感謝、仕事ができることも感謝、学びができることも感謝、子どもを育てることも感謝です。
 精神医学者の報告によると、健康に影響を与える精神的な変化は、感謝の気持ちが一番良いそうです。嘆いたり文句を言うよりも、病気が発見されたことを感謝、治療ができることを感謝、助けてくれる医者や看護師に感謝、心配してくれる家族に感謝、祈ってくれる信仰の友に感謝することが、癒しや回復につながります。感謝をして生きていく生活スタイルは、病気の予防にも優れた効果があるということです。
 ヘレン・ケラーは、13歳の年に新聞記者から「重い障害があるのに、なぜ、そんなに楽しそうにしていられるのですか」と尋ねられると、「私は神様の贈り物のうち二つを失っただけです。その二つを除いていろいろな贈り物をいただいています。そのうちの一番大きなものは心です」と答えています。老年に達した時に、「苦痛の中で生涯を生きて来たために神を恨んだことはありませんか」と聞かれた時、きっぱりと「ありません。神がくださった恵みを感謝する時間も足りないくらいです。どうして神を恨む時間を持つことができますか」と答えました。最期には、「ああ、確かに私の人生は美しかった」と言葉を残しました。文句や恨みより、常に感謝の気持ちを持って生きる私たちになることを願います。Tテサロニケ5:18。



コロサイ3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。



ピリピ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

ローマ8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

詩篇103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

Tテサロニケ5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

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