2020年5月10日「主にある幸せな家庭」コロサイ3:18〜21

序−今外出自粛や在宅勤務のために、家庭においてストレスや衝突が起こり、離婚や虐待が増えているそうです。ただでさえ苦しい状況にあるのに、さらに辛い状況になっています。今日の箇所から、幸せな家庭になる夫婦関係や親子関係について学びましょう。

T−互いに尊敬し合い、配慮し合う−18〜19
 閉塞感で夫も妻もストレスがたまり、家庭で仕事は進まない、家庭にいるのに、家庭での役割を果たさない、いらいらして相手をなじり、争い、崩壊する家庭が増えているそうです。一緒にいる時間が増えたからというのでしょうか。逆だってあり得ます。未曾有の家庭危機と呼ばれる今、妻たちには、結婚してよかったと惚れ直すパターンと夫に愛想が尽きるパターンとがあるそうです。夫婦のあり方を考え直す機会ともなります。
 今朝の箇所では、夫と妻についてどんなことが言われているのでしょうか。18〜19節。クリスチャン夫婦の人間関係の原理を非常に簡潔に強力に宣言しています。しかし、人によっては「夫に従いなさい」なんて、とても受け入れがたいと感じられるでしょう。夫に従えだって、いつの時代のこと言ってんの、従えるくらい立派ならいいけれど、と言うのです。でも、従うという概念は、自分を下げて相手を高くするというものです。妻は夫を無視しないで、尊重するという言葉です。
 「従う」の原語ヒュポタッソーの意味は、「神の取り決めの下に置かれて」です。神によって、夫に従うように、夫を尊重するようにされているということでしょう。男性は、尊重されて生きて、尊敬を受けて働くものです。プライドを無視されては、生きることができないくらいです。もちろん、互いに尊重し合うことが聖書の教えの原理です。Tペテロ3:7。
 ローラ・ドイル「サレンダード・ワイフ、賢い女は男を立てる」原書では、「降伏した妻」という本があります。作者が、結婚をして時間が経つにつれて、夫の欠点が目に付くようになり、小言を言うようになりました。夫の反発を受け、争い、2人の間は破綻状態になってしまいました。はたと夫を支配しようとしていたことに気が付いて、夫の欠点を直すことをやめて、うるさく指図しないで夫を信頼して任せたら、不思議にも家庭が幸せになったという体験に基づいて書かれています。
 夫に対しては、「妻を愛しなさい」と言われています。19節。この愛は、自己中心のエロスの愛でも、互いに見返りのあるフィリアの愛でもありません。見返りを求めない犠牲も厭わないアガペーの愛です。エペソ5:25。イエス様の愛は、赦しと自己犠牲です。敵のようであった時赦して下さった愛です。御自分を犠牲にして、私たちに命を与えられたイエス様の愛のように、夫は自分を犠牲にして妻を幸せにします。男性は、かしら、つまり、リーダーシップの責任があります。エペソ5:23。かえって、困難な状況でこそ、責任を持って妻や子どもを守る責任があるということです。夫がその役割を果たさなければ、妻や家族全員が苦労します。
 夫は、献身的に家族を守るためにある強さなのに、今社会で問題になっているように、怒号や暴力に及んではならなりません。妻は弱い器、保護すべき対象と認識する必要があります。Tペテロ3:7。ですから、19節で妻に「つらく当たってはいけない」と言われています。なぜなら、女性は男性よりもはるかに繊細で感性的だからです。ところが、夫はたいていそうしているとは思わない、気付いていないのです。辛く思うのは誰か、苦しむのは誰でしょう。分からなければ、妻に聞いてみましょう。どんな答えが返って来ても、受け止めて、愛をもって対処しましょう。
 妻はいつ一番きれいでしょうか。若い時?愛されている時です。なぜなら、それが一番幸せだからです。互いに相手を無視したり、辛い思いをさせてはなりません。つまり、互いに配慮するのです。自分の考えや気持ちではなく、相手がどう思うかと配慮することが必要です。

U−親に聞き従い敬い、子どもを尊重し配慮する−20〜21
 それでは、親子関係については、何と教えられているのでしょうか。20〜21節。これもまた、親子の人間関係の原理を非常に簡潔に強力に宣言しています。まず、子どもに対して、「すべてのことについて、両親に従いなさい」と言っています。20節。この「従う」の原語ヒュパカウオーの意味は、「聞いて下に置く」です。親の言葉を聞いて、その下に自分を置くということです。すべて親に従えなんて横暴な、時代錯誤だと誤解されるでしょうが、親の言うことをよく聞いて実践しなさいということです。
 これもまた、親の言うことをよく聞いて、尊重しなさいということです。自分の好き嫌いや都合でなく、すべて聞きなさいであり、もちろん間違いであれば、従う必要はありません。ただ、昔のことや自慢、注意を繰り言のように言うのも、聞いてあげてください。不十分だったとしても、精一杯親は子育てしたのです。親を尊重してください。もちろん、親も子どもを尊重しなければなりません。親子も、互いに尊重し合うのです。
 一方、親の方でも、「子どもを怒らせないように」ということも必要です。21節。理由は、子ども怒らせると子どもが「気落ちする」からです。どうしてでしょう。親から拒否されたり、否定されることが、一番子どもを怒らせ落胆させるからです。親から認められないなら、劣等感も覚えるのです。比較されると、自尊心が傷つき落胆を与え易いです。子どもに必要なのは、賞賛と励ましです。つまり、親は、子どもの状態や心を理解して、配慮しなさいということです。親の無理解は、子どもを気落ちさせることになります。子どもを理解しようとする配慮が必要です。
 親が権威を振りかざすことで子どもを興奮させたり、激しい言葉で刺激したりすると、子どもは憤慨し、心に傷を受けるようになります。子どもにとって、親は大きな存在です。一人で泣いている子供を考えてみてください。子どもは、親から生まれて来たとしても、親の所有物ではありません。神から与りものです。神のかたちに似せて造られ、神の使命を持って世に与えられた者たちです。このような存在を無視したり、虐待したりしないでください。子どもの人格を尊重し、配慮してあげてください。
 子どもも、親を敬い、感謝し、聞き従うようになるでしょう。親を助け、配慮してくれるようになります。たとえ親としてよくできなかったとしても、親がなければ自分は存在しないことを知って、親は親なりに一所懸命にやってくれたと分かって、子どもは親を尊重するようになります。

V−主にあって−
 幸せな家庭になるためには、「互いに尊重し合い、互いに配慮し合う」ことでしたが、それが成り立つためには、1つの条件があります。互いに「主にあって」するということです。18節では「主にある者」と言い、20節では「主に喜ばれる」と言っています。「主にある」表現が繰り返されています。幸せな家庭になる秘訣は、家族が一緒に主にある人生を生きることです。家庭の中心はイエス様です。妻は主に従うように夫に従い、夫は主が教会を愛したように妻を愛します。エペソ5:22, 25。子どもは、主にあって両親に従います。エペソ6:1。イエス様が中心となっている家庭こそ最も幸せな家庭です。
 今非常事態の中の家庭では、平時であればしないような相手を精神的に追い詰める言動をしてしまいます。自分も追い詰められているために、自分本位になって、相手を否定して、攻撃してしまうのです。人は、状況によっては罪の性質があらわれ、争い、憎しみ、家庭を破壊してしまうのです。しかし、そんな夫婦関係、親子関係にも、イエス様の十字架の救いによる回復する道が用意されています。だから、「主にあって」なのです。
 私たちにとって重要な言葉は、「主にあって」です。この幸せな家庭に必要な要素を全く考慮しないで、銘々が家庭の主人公になっているので、家庭に深刻な問題が絶えず発生します。一緒に生きていれば、お互いに不快なこともあるし、見解の違いも明らかになってお互いぶつかることもあります。お互いに越えなければならないことも多いです。しかし、そうであっても一緒に生きていく幸せを享受することができます。神は私たちを家庭という中でともに幸せに生きるようにさせてくださいます。ですから、家族がともに生きる知恵を御言葉から学ぶ必要があります。
 アメリカの社会学者が、親が後の世代にどのような影響を及ぼすか追跡調査をしました。選んだのは、18世紀に生きた2人の男です。近所で教会学校に通っていたが、ジュークスは、信仰は何の得もないと拒否して放蕩しました。その子孫の内300人が不幸な早死にをし、100人が平均13年刑務所生活を送り、190人が売春婦となり、また100人がアル中だったそうです。エドワーズは、主に従い、プリンストン大総長を務め、大リバイバルを導いた人です。彼と妻は、主にあって妻は夫を尊敬して、夫は妻を愛していました。その子孫の内、300人が伝道者や宣教師になって主に仕え、65人が大学教授となり、13人が大学の学長になり、60人が素晴らしい作家になり、3人が国会議員になり、その1人が副大統領になりました。
 家庭は、神が与えられた祝福の通路です。私たちは、イエス様の十字架による愛と恵みを経験しています。私たちの幸せは遠くありません。神が立てられた家庭に真の幸せがあります。この家庭において自分の役割は何であり、守るべきことが何なのかを知って、主にあって実践して、幸せを享受することができることをお祈りします。Tペテロ4:8。



コロサイ3:18 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。
3:19 夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。
3:20 子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。
3:21 父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。



エペソ5:22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。

Tペテロ3:7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。

エペソ6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。

Tペテロ4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

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