2020年5月17日「そこでイエス様に仕えている」コロサイ3:22〜4:1

序−感染症対策によって、休業や休職、テレワークや自宅待機等々、仕事の環境が激変しています。多くの人々が、束縛や不自由さを感じながら、不安や焦燥感の中にいます。聖書では、仕事や働きについてどのように教えているのでしょうか。

T−うわべだけではなく、主を恐れ、真心から−22〜23
 そもそも、人はなぜ働くのでしょうか。創世記1:28。人が地を従えて、すべてのものを治めよと、神様が仕事の使命を与えられました。仕事は職場だけではありません。学生は勉強、主婦は家庭生活が仕事です。仕事は、神様がくださった祝福です。ですから、働く幸せを味わう人がおり、仕事に人生の意味と価値を見出し、情熱や満足度を覚えて仕事をする人がいます。反対に、仕事によって不幸を感じて生きる人もいます。疲れ、ストレス、悩み、苦しみ、挫折を仕事で感じています。
 聖徒たちは、奴隷という束縛の中にありました。22節。聖書は、奴隷という苛酷な労働環境にいる聖徒たちの現実にどのように対応したらいいかについて扱っています。コロサイの聖徒たちのいる所は職場である主人の家であり、彼らの生活すべてが仕事でした。現代も、職場が人々を王子や王女のように迎えてはくれるわけではありません。仕事の推進や結果を要求し、仕事上の職制をあたかも身分制度のようにしている上司や経営者もいます。職場での圧迫や人間関係の中で苦しみ、病む人々も多いです。
 厳しい環境の中にある聖徒たちに「すべてのことについて主人に従いなさい」と言うのです。22節。おかしいですよね。奴隷なら、すべてのことについて主人に従うことは当たり前でしょう。「うわべだけの仕え方」と訳されている言葉は、「アイ・サービス、目の仕事」という意味です。奴隷は、主人の目に見える時はしっかり働き、主人の目がなければ仕事はさぼります。無理やり働かせる主人に対する不満や恨みをしきりに口から出すというのが、奴隷の姿でした。
 聖徒たちがまだそのような奴隷根性の葛藤の中にいることをよく知っているから書いています。ですから、上辺だけの仕え方でなく、真心から従いなさいというのです。ただ無条件に服従するようにとは言っていません。自分に仕事をさせる人の権威を認めて、従うということです。人よりも主を恐れる奴隷になれば、心は自由人として主人に仕えることができるようになります。ここに、大きな転換点があります。仕事をやらされている、いやいやながらという消極的な思いではなく、主を恐れて真心からするなら、仕事の成果も評価も違って来ます。仕事をすることの喜びや感謝も生じて来ます。困難な状況でも、確かな道を発見することができます。
 「何をするにも、主に対してするように」という大原則で、職場生活をしてみてください。23節。主が見ていることを考えるなら、仕事をする時も、誠実に忠実にします。主のために生きる人は、主のために毎日働いている人です。仕事で仕えている主が、礼拝する時と同じ主です。主を礼拝するように職場でも神に仕えるのです。そうしたら、「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言っていただけます。マタイ25:21,23。私たちが職場生活の中で神を発見した場合、礼拝するのと同じ感激を職場でも感じ経験することになるでしょう。

U−働きの現場で主に仕える−24
 24節を見てください。ここにはっきりと「あなたがたは主キリストに仕えている」と言っています。仕事と生活の新しい意味を宣言しています。「あなたは職場でイエス・キリストに仕えている」と宣言しているのです。驚くべき宣言です。職場は会社だけではありません。学校も家庭も職場です。とりわけ、家庭は、仕事の性格は多大な献身を必要とするにもかかわらず、きちんと評価したり、報酬してはくれない職場です。誰でも、自分が置かれているその現場でイエス様に仕えているのです。
 信仰生活は、日曜日に礼拝に行くだけではありません。信仰生活は、月曜日から職場、学校、家庭でも続きます。その中で主に仕えます。多くのクリスチャンが、神の仕事と世の仕事というように、間違って区別しています。教会での活動や奉仕は神のことで、会社や家庭での働きは世のことと理解しているのです。それでは、日曜日と週日は違う二重生活、違う2人の姿になります。信仰生活は、自分の人生の現場で主と同行する生活です。日曜日の自分と家庭や職場の自分は違いますか、同じ人ですか。
 聖書に出てくる人々、アブラハム、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ダニエル、ネヘミヤなどみな、一様に職場でも神と同行し、神の歴史を経験しました。彼らは、職場で多くの危機を経験し、解決するのは難しい障害に出会った時、神の助けてくださる歴史を経験しました。私たちの働きの現場でも神と同行し、神の働きがあらわれる証があることを願います。そのためには、自分は、そこでイエス様に仕えるのだという意識が必要です。
 人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方は、評価や報酬を期待してのことです。でも、たとえ誠実に働いたとしても、世の現場では確かな評価や報酬を得られるとは限りません。評価や報酬について、聖書は何といっていますか。24節。主から報いとして御国を相続させてもらっているというのです。会社からもらっている給料が自分の働いた報酬の全部だと思わないでください。私の働きに対して適切な分を受けなかったと文句を言いながら過ごすのは意味がありません。文句を言ったら、給料が上がりますか。文句を言ったら、それだけ働く気持ちを喪失するだけです。むしろ、報酬は神からあると心を天に向けるのです。
 コロサイの聖徒たちが正当に報酬を受けたと思いますか。奴隷の身分でした。しかし、世で主キリストに仕える人は、天の報いがあります。家庭や職場で働きの対価がなかったとしても、天の通帳には入金されています。神様は、天から私たちの週日の働きを見ておられます。主は人を外見で判断しません。評価の計算は、表面だけ見て報いる方ではありません。人生が終わるその日は、神が必ず私たちがどのような姿勢で生きていたかどうかについて、御前で責任を問われるでしょう。24~25節。
 人はイエス様を信じて救われた時に、新しい人に造られます。Uコリント5:17。すべてが新しくなります。世界を見る視点が変わり、仕事観も変わります。人々との関係も変わり、人々に対する態度が変わります。ですから、クリスチャンの会社員は、会社のために働くという意識ではなく、主のために働くという認識が優先する者となります。日曜日に礼拝するように、週日も主に仕える喜びと仕事の遣り甲斐を享受してください。信仰生活する人は、職場生活をする時、その束縛の中で、そのストレスを受ける現場の中で主に仕える喜びを見出して行く人たちです。

V−主に対してするように−23,4:1
 続く4:1は、奴隷の主人に対する勧めです。自分たちの主が天におられることを知って、奴隷に対して正義と公平を示しなさいというのです。このことが分からないので、社会で地位がある人は、主人や王様にでもなったかのように振舞う人がいます。仕事をするための職制なのに、横暴に振舞う人がいます。上司も部下も天の神の御前には、同じ造られた存在であり、ともに主に仕える者であることをわきまえなければなりません。当時の奴隷の主人は、奴隷に関するすべての所有者でしたが、自分の上にも主がおられると知ることは、彼らを謙遜にし、仕える者にしました。
 今日ビジネスの世界では、「サーバントリーダー」という言葉があります。ロバート・グリーンリーフが、リーダーシップ研究の中でサーバントリーダーという言葉を生み出し、「真のリーダーはフォロワーに信頼されており、まず人々に奉仕することが先決である」と提言しています。最近日本でも、サーバントリーダーという新しいリーダー像が注目されています。部下を支配するのではなく、支援し奉仕するリーダーシップです。
 ですから、どのような立場であっても、主に仕えるように人に仕えることが、聖書的労働観です。23節。主に仕えることが私たちの生活目標です。卑屈になったり、顔色をうかがったりする働きではなく、主に対してするように、誠実に真心で働くのです。仕事はただ生計維持の手段だけではありません。自己満足、自己実現の手段でもありません。働きながらいつも主に仕えることに焦点を当てる必要があります。私たちは仕事をすることで主に仕え、仕事をすることで他の人に仕えます。これが、仕事を与えられた神の目的です。
 感染症対策の中で、人々の仕事観や職業観が変わって来たそうです。理系の専門家が社会的課題を解決する仕事を志向するようになり、学生の就職も楽しく働きたいが減り、人のためになる仕事がしたいが増えています。困難や束縛の中で、人々はかえって仕事の本質に近づいているようです。
 私たちは、自分に与えられた仕事をする時、主に対してするという姿勢で心を尽くさなければなりません。それが、人々に仕えることになり、人を癒すことになり、神の仕事になります。ですから、仕事をする時は、主が見ておられる、主から与えられたことをするという思いでします。これが、私たちが持つべき職業観であり、仕事のための姿勢です。私たちは、このようにして世を支配し、世を健全にして行くことができます。私たちがそのように生きて行く時、私たち自身も生活の中で幸福感が与えられ、満足と喜びを享受することができます。マルコ10:45。



コロサイ3:22 奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
3:24 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。
3:25 不正を行う者は、自分が行った不正の報いを受けます。それには不公平な扱いはありません。
4:1 主人たちよ。あなたがたは、自分たちの主も天におられることを知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。


創世記1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

マタイ25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

マルコ10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

戻る